64 エレナは殿下の宣言を阻止したい
「随分と早い帰還だな。もう少し領地にいてもよかったのに」
「私が王都を離れる様に仕向けたあげく、不在の時を狙ってこんな騒ぎを起こしていいと思ってらっしゃるんですか!」
周りの罵声が大きくなるけれど……お兄様の無駄に通る声は観客のブーイングなんてものともしない。
「こんなことしてうちの妹が傷つくと思われなかったのですか⁈」
観客席から「傷つくようなタマかよ」と野次があがりドッと笑い声がおこる。
お兄様は「ほら見たことか!」と叫ぶと、観客をかき分けて舞台に向かって近づいてくる。
観客はお兄様が近くを通ると目を見開き、お兄様と私の顔を見比べる。
そりゃ驚くよね。
顔立ちは似ているはずなのに、お兄様は麗しの貴公子様でわたしは小太りの醜女だ。
階段から落ちて「エレナの記憶を失って前世の記憶を思い出した」なんて思いこんですぐの時は、鏡で見てとんでもない美少女だなんて勘違いしていた。
でも、コーデリア様やアイラン様みたいな本物の美人や美少女を見てしまった後だと、背が低くて子供っぽく見えるし、顔も丸いし胸も大きいから太って見える。
ほかの人に言われなくったって絶世のイケメンな殿下の隣に立つのに相応しくないことくらいわかってる。
ため息をついて観客席を見回す。
お兄様の怒気に気圧されたのか、周りの罵る声は少しずつ勢いがなくなり表情からも生気が失せる。
気が付くと観客はみんな真っ青な顔をしていた。
「王太子殿下。うちの妹から手を離してください」
舞台に降り立ったお兄様がわたしの肩に触れた頃には、あれだけ騒がしかった芝居小屋の中はしんと静まり返っていた。
「断る」
殿下はお兄様の手を払うとわたしを抱きしめる。
「いい加減にしてください! 以前エレナがこの芝居が原因で傷ついたのはご存知のはずなのに! こんな場所に連れてきて、エレナがまた傷ついてもいいと思ってるんですか⁈ 」
「傷つけようと思って連れてきたわけではない」
「なぜそしたらエレナがこんなに悲しげな顔をしてるんですか」
「お兄様。やめて」
「いいからエレナは黙ってなさい。殿下にしたらエレナが傷ついて泣けば慰めるふりをして抱きしめられて願ったりかなったりなんですもんね。ああ、やだやだ浅ましい。エレナ。殿下に隙を見せちゃいけない。毅然とした態度ではっきり拒絶しないと伝わらないよ」
「エリオット。エレナが私を拒絶するわけがないだろう?」
「そうよ。お兄様。殿下がわたしなんかを抱きしめたいだなんて適当なこと言いふらさないのよ。殿下が物好きだと思われるわ。幼ない頃の思い出を大切にされていらっしゃるから、わたしが泣くと子供の頃みたいに優しく慰めてくださるだけなのよ」
お兄様の言い方じゃ語弊があるわ。
これじゃ殿下がわたしに下心があるみたいじゃない。
客席をチラリと見ると観客達は信じられないと言わんばかりの顔をしている。
「……とにかく、エレナを返してください」
「エレナはエリオットのものではないだろう」
「殿下のものでもありませんけど?」
「エレナは私に『慕っている』と言ってくれたし、ともに噂を覆そうと約束もした。それに金糸雀は鳥籠に囲われたままでよいと言ってくれた」
「……鳥籠は比喩だったのですか?」
驚いて声を上げると、なぜかお兄様が勝ち誇った顔をした。
「ほら! エレナが何もわかっていないのをいいことに、何でもかんでも自分の都合がいいように話を持っていって」
「ひどい! お兄様ったらわたしが世間知らずだって言いふらすのね。お兄様ってば酷いわ」
「待って待って。僕に厳しくない? 僕は何があってもエレナの味方なのに」
「私だってエレナの味方だ」
「はあ? こんな敵ばかりのところに連れ出して何が味方ですか?」
「敵? ここにいる民は『ある国の王子が恋を知り、最愛の少女の協力を得て成長する物語』に夢中なのだから私とエレナの味方だ。そうだろう?」
殿下は観客に同意を求める。観客席からは「そうだ、そうだ」と気遣った声とパラパラと拍手が聞こえる。
「殿下。客席のみなさんに強要してはいけません」
「強要? 本心だろう?」
わたしは殿下の腕の中で首を振る。
「エレナ様!」
観客席から声が上がる。ピンクのツインテールが揺れる。
「スピカさん?」
「じゃあ、わたしが魔法をかけたら信じられますか?」
「えっ?」
スピカさんまで舞台に降りてくる。
「真実の口!」
呪文を唱えて手を上にかかげると小さな光が乱舞する。まるでゲームやアニメで見たエフェクトみたい。
スピカさんが頭の上で握りしめた両手を胸元まで下ろすと、光は見えなくなった。
「これで魔法が展開されました」
「もうみんな嘘をつけないの?」
「エレナ様は心にもないことは言えません」
「本当に?」
「はい。これから何か嘘をついてみてください」
「えっ、ええ? 急に言われても思いつかないわ」
「じゃあ……わたしに嫌いって言ってみてください」
「スピカさん、き……痛い!」
ズキッ。頭が痛い。あまりの痛みに言葉が出ない。言おうとするのをやめると、すっと頭痛が消えた。
「すごい! 言えないわ! 本当に心にもないことは言えないのね!」
「よかった。魔法がしっかりとかかったみたいで。これからここにいるみんなの言葉は信じられますか?」
嬉しそうなスピカさんにそう言われたら、わたしは頷くしか出来なかった。