56 エレナと流行りのワンピース
着替えたワンピースは、まるでわたしのために作られたみたいにサイズがぴったりだった。
たっぷりとしたドレープは上半身を覆い、肩口の金具でしっかり固定されている。長袖のパフスリーブは袖口に金糸と銀糸で施された細かい小花の刺繍が可愛らしい。
紺色のスカートの上にはエプロンのような白い布があしらわれていて庶民的な印象を与えている。
可愛らしいデザインだけど上半身にボリュームがあるからか、太って見える気がして心配だ。
なのに鏡がないから確認ができない。
着替えを手伝ってくれているリリィさんはすでに着替えは終えている。
「リリィさんのワンピースはランス様とステファン様とお揃いなのね」
リリィさんのワンピースはわたしが着たワンピースと似た意匠ではあるけれど、もっとシンプルだ。
「そうみたいですね」
「わたしの着ているワンピース、太って見えないかしら?」
「そんなことありません。大変お似合いですよ」
「ねぇ。リリィさんのワンピースと交換するわけにはいかないの?」
スレンダーなリリィさんの方が上半身にボリュームのあるワンピースが似合う。
わたしだってシンプルなワンピースの方がいくらかマシな気がするし。
「交換なんてしたら嫉妬でとんでもないことが起きますよ」
「まぁ。あのいつも落ち着き払ったランス様が嫉妬に狂うなんて! リリィさんは愛されているのね」
リリィさんは困った顔でわたしを見つめ小さく息を吐き出す。
「……そうですね。ランスは私のことが大好きで大好きでしょうがないのです。幼い頃、エリオット様のほか私とランスもシリル王太子殿下の幼馴染として遊び相手になっていたのはご存知ですよね」
「もちろんよ」
幼馴染だからかリリィさんは殿下やお兄様に対して気安い雰囲気がする。
少し前ならリリィさんがヒロインの物語に転生してきたんじゃないかって妄想が止まらなかったと思うんだけど、いまはもうそういう妄想に取り憑かれることはない。
だって、前世のわたしは「転生しているのを覚えているっていう記憶をなくす」なんて意味わからない小説も漫画も読んだことがないし、そんなゲームも知らないもの。
わたしは物語を生きているのではなく、エレナ・トワインとして現実を生きている。
「そのころから物陰から私のことをこっそり覗いていたり、少し離れたところから後をつきまとっていたのです」
リリィさんはわたしの髪の毛を結いながら、幼いころの思い出話や結婚のいきさつを話してくれる。
ずっとずっと一途にリリィさんのことを思っていたなんて惚気話だ。
「ではランス様の一途な愛にリリィさんは絆されてしまったのね?」
「一途ですか? ふっ。ふふっ」
「どうしたの?」
「いえ。ランスの執着を一途な愛と思えるなんて」
「リリィさんの気持ちは違うの?」
「私の気持ちは、そうですね。シリル王太子殿下の婚約者がエレナ様で本当に良かったと思っています」
「そうやって話を逸らして……」
返事もなく笑い続けるリリィさんを見つめる。
「そういえば、前に同じようなことランス様にも言われたのを思い出したわ」
「ランスがですか?」
「ええ」
王宮学園に改めて通い始めてすぐの頃。殿下に王宮学園の裏庭に誘われた帰り道で似たようなことを言われた。
リリィさんとランス様はなんだかんだ言って似たもの夫婦なのね。
まぁ、そもそも曲者な雰囲気とか全体的に似ているんだけど。
「……とにかくそういうことで、私とエレナ様のワンピースを交換することは出来かねますのでご了承ください」
「わかったわ」
「出来上がりましたよ。さぁ、きっと待ちくたびれていらっしゃいますから向かいましょう」
リリィさんに手を引かれ、お待ちいただいている馬車に向かった。
***
今まで視察先で連れて行ってもらったお店も市場も大通りや街の中心部で、どちらかというと安全な場所だった。
これから向かう先は道一本入った繁華街だ。
道を歩く客層も変わる。
「離れないように近くにおいで」
殿下はわたしの腰を抱き寄せる。周りからの視線を感じると口笛が鳴った。
「お熱いねぇ」
店先で昼間からお酒を飲んでるのか赤ら顔のおじさんたちから冷やかしのような声が次々とあがる。
誰も諌めるものはいない。むしろ楽しげに笑うものたちばかりだ。
「ありがとう」
殿下は優美な微笑みで答えるているけれど私の腰を抱く力は少し強くなる。「先を急ごう」耳打ちされたわたしはおじさん達に会釈をして殿下と共に歩き出す。
「……あの」
歩きながら小声で話そうとすると殿下は顔を近づけてくれる。
近づいた長いまつ毛にドキドキする。
「なに?」
優しい声色に心臓が跳ねる。ドキドキしながら殿下の耳元に顔を近づける。
これから話す内容は周りに聞こえてはいけない。
「……もしかして、この地域の人たちには正体がバレてないのかしら」
「気がついた?」
「ええ。みんな殿下のこと気がついていないのよ」
「そっち? うーん。私の正体はみんなわかってると思うけど」
「そんなことないわ。正体がわかっていたらあんな軽口をたたいて口笛を吹くなんてできないもの」
「そうか」
腰を屈めていた殿下はいつもの綺麗な姿勢に戻る。
「バレていないなら、今日は一日恋人のようなデートを楽しもう」
「こっ恋人⁈」
思わず大きい声をあげてしまうと、目の前の顔を曇らせてしまった。
「せっかくお忍びなのに大きい声を出して注目を浴びるようなことをしてごめんなさい」
「大丈夫だよ。周りはまだ気がついていないから。さあ行くよ」
殿下は周りを確認するように見回したあと、わたしに笑いかけた。