52 領地の土産物屋は振り回される【サイドストーリー】
王都の喧騒とは無関係とばかりに静まり返っている店内で店主はため息をつく。
(くそっ。稼ぎどきだっていうのに、嵌められちまった)
勘定台に突っ伏し目を閉じる。
瞼の裏で光が揺れた気がした。
「新しい店はどうだ」
「ひいぃ!」
足音もなく背後に忍び寄った男の声に悲鳴をあげ立ち上がる。
「びびび……びっくりしたぁぁぁ」
振り返ると無表情な男が目の前に迫っていた。
動悸が止まらない店主を尻目に声をかけた男は返事を待っている。
(見りゃわかるだろ)
文句を言いつのりたいが相手の素性を考えれば店主は愛想笑いを浮かべるしかない。
「どうだも何も、見ての通りですよ」
がらんとした店内はやたらと広い。
元は潰れた新聞社の社屋だったらしい。一階は広間になっており、購買者獲得のために美術展なんかを開いていたそうだ。
(こいつのせいだ)
無駄にだだっ広い建物に店を構えることになった経緯を店主は思い返した。
***
──あの日はとにかく暑い日だった。
「王太子殿下とエレナ様の版画を売るために王都で新たな店を構える? そんなそんな滅相もない」
店主は姿絵を包みながら首を横に振った。
二版を刷ったから取りに来て欲しい。と目の前にいる王太子付きの役人に手紙を送ったのは随分前だったはずだ。
なんの音沙汰もなかったくせに突然現れて「二版はまだか」と偉そうに振る舞う男に対し、店主はいくばくかの腹立たしさを感じていた。
(こいつのいう通りにはしたくない)
それに夏が終わればトワイン領の秋祭りが始まる。
領都にたくさんの領民が駆けつけ、そのなかでもトワイン領の領都にある礼拝堂は信心深い領民達が必ずというほど立ち寄る。
礼拝堂横にある店主の土産屋はこれから忙しくなるのだ。新しい店など開いている場合ではない。
忙しくなるのを見越して店主は新たな博打に打って出ていた。
(若様が異国の姫さんを射止めたんだ。この好機に手をこまねくわけにはいかねぇ)
今まで女神の版画ばかりを販売していたが、侯爵家の跡継ぎであるエリオットとイスファーン王女であるアイランの版画を借金までして大量に刷ったのだ。
「これ以上金を借りるわけにはいかないですから」
以前の博打は不発に終わった。在庫は処分できたが動揺してタダ同然で売ってしまった。
通常の倍……いいや、三倍でも支払っただろう相手にだ。
店主はいまだその時の借金も抱えたままだ。
勝算もない博打にこれ以上の借金を重ねる気はない。
「新店舗は、デスティモナ伯爵家とジェームズ商会が出資する」
この国で商いを生業にするものなら誰でも知るその名に、店主は目を見張る。
「融資ではなく?」
「ああ。出資だ。店主は金銭の負担はない」
ただで王都に店が出せるだなんて。事実なら願ってもいないことだ。
表情ひとつ変えずに言い切る役人の男を信用していいものか、店主は逡巡した。
「王太子殿下の誕生日には婚約者が公式に発表される。みなこぞって殿下とエレナ様の姿絵を求めにくるはずだ」
耳に入る王太子とその婚約者であるエレナの評判は酷いものだ。
顔だけの無能な王子は国を我が物顔で牛耳る重鎮たちの傀儡でしかない無能で、そのため国内の名だたるご令嬢に相手にされず婚約者が決まらなかった。
ようやく決まった婚約者は侯爵家で我がままに育った小太りの醜女で、その婚約は公表もされないまま近いうちに破棄されるだろうなどという噂がまことしやかに流れている。
トワインの民である店主にとっては腹立たしい内容だが、王都の人々は真実として疑っていない。
エレナを女神の生まれ変わりと信じ敬愛してやまないトワイン領の民たちにすら売れなかった王太子とエレナの姿絵が王都で売れるわけがない。
「こぞって買いに来るだなんて本心でそう思ってるんですか?」
「店主よ。貴殿は王太子殿下は噂通りの方だと考えているのか?」
質問で返されて店主は言葉に詰まる。
一度だけ店に訪れた王太子は噂通り……いや、噂以上の美貌をたたえ、男の店主でも見つめられただけで心臓が跳ねるのを感じた。
無能か有能かは土産物屋である店主には判断がつかないところであるが話す限り傀儡などと呼ばれるような愚者には思えなかった。
そして信じられないほどエレナに執着していた。
山のようなエレナの姿絵を大切そうに抱えて去っていく姿は衝撃的だった。
(王太子がお嬢様を手放すわけがない。婚約破棄するなどあり得ない。だからといって売れるかどうかは……)
「王太子殿下付き筆頭補佐官殿。民を脅して事を運ぼうとするなど主は求めていないはずです」
役人の後ろに控えていた冷たい顔の美女が店主に助け舟を出した。
役人のような制服を着ている。
美女は冷たい顔をかすかに綻ばせ店主の手を取った。
「上級女官殿──!」
役人が何か言おうとしているのを美女は視線で黙らせた。
王太子付きの役人を黙らせるのだから役人よりも地位があるのだろう。
「少し働いていただければ店は貴方のものになります。王都では様々な恋物語が溢れています。トワイン領の民が目の当たりにした『侯爵令息と異国の姫君の恋物語』はもちろん『親に翻弄された公爵家のご令嬢が婚約者になった騎士の男に溺愛される』ような話や、最近皆が夢中なのは『侯爵家の跡取りに抜擢された男性が社交界の毒花と呼ばれる悪女と結婚したら実際は花の妖精のような美女だった』なんて話が人気です」
恋物語に胸を踊らせるような表情の美女に店主は見入る。
「王太子殿下とエレナ様の版画だけを売る必要はありません。皆が夢中になるたくさんの恋物語を彩る版画を取り扱う店が王都に開かれたらどうでしょう?」
(新しい版を用意するのは金がかかるが、若様と姫さんの版画は十分に用意ができる。店舗に金がかからないなら……)
店主の心を読んだように美女は頷く。
「用意している店舗は新聞社だった建物です。印刷機などもそのまま残っています。こちらで少し刷っていただきたいものがありますので、それさえ対応いただければ全て店主が自由にご利用いただけます」
美女の微笑みに店主は首を縦に振ってしまった。