50 エレナ、殿下とお忍びで視察する
到着したのはまるで百貨店のような大きな建物だった。
馬車から降りた人物に少し慌てた表情のドアマンが慇懃に扉を開く。一階は宝飾品や美術品のフロアだ。
上を見上げれば吹き抜けに大きなシャンデリア。足元はふかふかの絨毯が敷き詰められている。待ち構えていた店員に挨拶をして奥へと進む。
「私どもは王都で古くからある商会として貴族の皆様にご贔屓いただき御用聞きを中心とした商売をしております。現在力をつけてきた中産階級相手にも商売を広げております。この店舗はその中産階級に向けて開かれた店舗です」
店員が説明しながら歩くのを聞くながら着いていく。
たくさん陳列された宝飾品の前には女性店員が立ち、着飾ったご婦人に鏡の前で試着するように勧めている後ろを通る。
「真珠の装飾品が多いのですね。それにイスファーンを意識した意匠が多く感じます」
アイラン様がよく身につけている額飾りに似ている。
「はい。今までの天然真珠は高価だったため、資金力のある貴族の方くらいしか手にすることが難しかったのですが、養殖真珠が流通したおかげでお求めやすい価格でご紹介することができるようになりました」
店員の話に値札を見る。
「それでも高級なのね」
お求めやすいなんて聞いたけど庶民じゃ手が出ないほどの金額なのは世間知らずなわたしでも理解できる。
前にハロルド様が真珠の宝飾品を流行らせるために購入をおすすめされたけど、安請け合いしなくてよかった。
「贈ろうか?」
小声で殿下に聞かれて見上げる。
「理由もないのに贈っていただくなんてわたしには身分不相応です」
そりゃ殿下にしたら安いんだろうけど、こんな高いものホイホイ買ったりしたら反感買うわ。
慌てて断ると殿下の顔が耳元に近づく。「真珠が手に入りやすくなったのは、民のためにシーワード子爵の不正を暴くべきだと背中を押してくれたのがきっかけなのだから。遠慮することはないんだよ」と甘い声。心臓が跳ねる。
調子に乗ったらダメよ。
わたしは「不正を暴くように」と騒いだだけで、何もしていない。知らない間に殿下達がやってくれたことだ。
「……わたしはいただいたイヤリングだけで充分です」
「そう?」
着飾ったご婦人も上品そうな店員もこちらを見て顔を赤くして口をぽかんと開けている。
「邪魔をしてしまったかな。もう移動するので気兼ねせずゆっくりと買い物を楽しんでもらいたい」
「はっはい」
突然王太子殿下に話しかけられて驚いたのか、真っ赤な顔の二人は頷くだけしかできない様子だった。
階段を上がると今度は服飾フロアだ。
いろとりどりのドレスをまとうトルソーが並んでいる。
「あまりあちこち見回さないように願います」
「はっはい」
つい物珍しくてキョロキョロしていたのをリリィさんに窘められる。
そうよね。物珍しげにしていたら、普段買い物をしていないのがバレてしまう。
だって普段買い物に出かけたりしないし、使用人がなんでも用意してくれるんだもの。
イスファーン王国の大使を歓迎する歓迎式典に参加した時にデイ・ドレスをいくつもあつらえた時はお店の人が屋敷まで来てくれたし、王立学園でスピカさんたちに差し入れをする時だってメアリさんを通じて頼んでいるだけだもの。
でも、あまり落ち着きがないのはいけない。殿下の付き添い人として不自然すぎる。
わたしは姿勢を正して前を向いた。
販売フロアの奥に重厚な扉。店員がノックの後に扉を開いた。
渋い白髪の細身なおじさまが出迎えてくれる。
「よくいらしてくださいました」
お得意様用の応接室に通される。
「王太子殿下に侯爵家の方まで足を運んでいただけるだなんて身に余る光栄でございます」
あら。商会長にはわたしの素性が知らされているのね。
そう思ってわたしが挨拶しようとすると、渋オジの視線はわたしを素通りしてステファン様に釘付けだった。
ステファン様はマグナレイ侯爵家の傍系である男爵家の出だと聞いている。
ステファン様経由でマグナレイ侯爵に繋がろうとしてるってことか。
やっぱり、わたしは素性がバレないように振る舞った方がいいのね。
商会長が殿下やステファン様に向けて説明するのを隣で大人しく聞くことにした。
帰りがけ、美術品が売られるフロアにでたくさんの絵画が置かれているのを見学した。
油絵の風景画が多いけど、多色刷の版画は人物が多い。
オペラの歌姫たちと思われる美人画に混じり見慣れた顔の王侯貴族をモデルにした版画も並ぶ。
あの版画は絶世の美女と名高いコーデリア様だ。婚約者のダスティン様と並ぶ姿絵まである。
国王陛下や殿下の姿絵、それに王宮で女官達から人気のあった王弟殿下の姿絵も。
あれはお兄様とアイラン様だわ。
もともとお兄様は市井でも人気があったらしいんだけど、アイラン様とボルボラ諸島で執り行われた婚約式から益々人気が出たと王立学園のご令嬢達が教えてくれたのを思い出す。
口を開けば暢気なお兄様と騒がしいお姫様も、絵なら見た目通り柔和なイケメンと華やかな美少女でしかないもの。
目の保養になる。
そんななかでとても気になるのが……
少しイケメンに描かれたステファン様と結婚衣装をきた金髪の美少女の姿絵だった。
「えっ? もしかしてネリーネ様?」
隣のリリィさんに小声でたずねる。
「ええ。そうですね。ああ、そうでした。街の噂はあまり知らされないんですよね。ステファン様とネリーネ様の姿絵が一番人気みたいですね。少し前まではエリオット様のご婚約を祝福する姿絵ばかり溢れていたんですけど。まぁ、お二人の結婚式はそれはもう王都がひっくり返るんじゃないかと思うほどの大事件だったので当然かと」
「どういうこと?」
「ネリーネ様は『社交界の毒花』なんて異名がつくほど悪い意味で有名だったのですが、結婚式で見せた素顔に驚かされただけでなく、子どものいないマグナレイ侯爵がステファン様を侯爵家の跡取りに指名されたのです」
「まぁ、そんな事があったのね」
初耳だ。
そうか。それで商会長はステファン様に媚を売っていたのか。
店内を見回す。
もちろん殿下のことにも気がついているとは思うけど……
客の多くはステファン様に注目している。姿絵に描かれている有名人が目の前にいることに動揺している様子だった。
「わかったわ。木を隠すなら森ってことね」
「どういうことですか?」
「つまり、わたしたちよりも騒がれる人がいればそちらに気を取られて目立たなくなるってことでしょう? リリィさんが考えてくれたの? ありがとう」
「……まあ、可愛いらしいのでそういうことにしておきますね」
「え?」
「さあ、次は少し街中を歩いてみましょう」
リリィさんは口の端を少し上げてわたしの背中を押した。