48 エレナ、殿下とお忍びで視察する
「エレナ。今から街に視察へ行くから付き合ってもらえないだろうか」
結局何も聞けないまま王立学園や女神様の礼拝堂で殿下と一緒に過ごす日々が続いていたある日。
殿下に視察に誘われた。
「視察ですか?」
「ああ。本来であれば王立学園の学生である今が一番自由に動くことが出来るはずで、民の生活を知るためにも王都や多くの領地へ視察したいと考えていたのだ。言い訳に聞こえるかもしれないが、なにぶん貴族院から送られる領主達からの陳情書の大半が私宛に届いていた事もあってその対応で視察に行きたくとも、やらねばならぬ職務が多くてなかなか行けなくてな。最近エリオットやステファンが私の補佐に入ったり、私を担当する文書係もハロルドに代わったりと効率的に職務を行える環境が整ってきて、ようやく王都を視察する時間を取ることができたのだ」
殿下は早口で言い切ると、私の目を捨てられた子犬のようにじっと見つめる。
王立学園を殿下が卒業するまであと数ヶ月しかない。帳尻合わせのようなタイミングで視察をすることに何か後ろめたい気持ちを持っているご様子だ。
でも、殿下が忙しかったのは事実だもの。
少し前まで補佐官はランス様だけでお兄様は邪魔するばかりで手伝わないし、秘書官にステファン様がついたのは最近だし。以前殿下付きだった顔だけ良くて役に立たない感じの悪い文書係は書類の中身も確認しないで何でもかんでも殿下に届けていたし。
……それに、わたしだって。
チート能力があるに違いないって思い込んで自分で解決する気で殿下にシーワード子爵の不正を暴くように進言したくせに解決を全部殿下にしていただいたりり、悪役令嬢ムーブだわなんて思いながらお兄様とアイラン様の婚約の後押しをして殿下の仕事を増やした張本人だもの。
「民に心を寄せるために民の生活を知るのは素晴らしいことだと思います」
「そうか! では……」
ほっとした表情の殿下にわたしも安心する。
「ただ、わたしは王都をまともに歩いたことがありませんから視察の役に立ちません。ですからステファン様とご一緒されるといいと思うわ」
わたしは階段から落ちて以降、王都内は屋敷と王立学園と王宮、それに女神様の礼拝堂しか行ったことがない。ううん。そもそも街に出たのだって階段から落ちたあの日の昼間くらいしかない。
領地ならまだしも、王都なんて同行しても殿下以上に知らないのだから全くもって役に立たない。
役立たずな自分に悔しくて唇を噛む。
「もちろんステファンは同行するが、その、エレナにも同行してもらいたいのだが……ほら、女性の視点と言うのも必要ではないだろうか?」
「殿下。ステファン様なら十分職務を果たされるでしょうし、奥様もいらっしゃる方ですから女性の視点など聞きたいことがあれば事前に質問されておけばご用意くださると思いますよ」
「いや、その、それでもエレナに……」
「どうして? ステファン様の何が足りないと言うのです」
殿下はステファン様を過小評価されてらっしゃるのかしら。それともネリーネ様が派手好きだから、ネリーネ様の意見は役に立たないとでも言うの?
「シリル王太子殿下。はっきりおっしゃったらどうですか?」
「うっ」
リリィさんにも問い詰められて口ごもる殿下をじっと見つめる。
「はぁ。うちの意気地無しが意気地無しなのは主が意気地無しだからなのかしらね。エレナ様。シリル殿下はデートのお誘いをしたいとのことでいらっしゃいます」
「……その、どうだろうか?」
再び捨てられた子犬のような瞳に首を縦に振りそうになる。
ううん。ダメよ。
「ご一緒したいけど……でも、わたしは街に出てはいけないってお兄様から言われてて」
「エリオットが言っているだけだろう? 侯爵には許可をとった」
お父様はエレナのことを大切にしてくれるけれど権力者にたてつくような方ではない。
殿下から言われて拒否なんてできるわけがない。
だからって、同行してはいけない。
傷つきたくないからじゃない。
嫌われ者だってわかってる。言われればそりゃ嫌な気持ちになるけれど。でももう階段から落ちたりはしない。
それよりも、嫌われ者のわたしが殿下の婚約者として大手を振るって同行なんてしたら……
ぶるぶると被りを振る。
「わたしは街で嫌われていますから、出歩いたら騒ぎになるわ」
「王太子殿下の顔はわかっても、エレナ様の姿絵などは今はまだ王都で出回っておりません。誰もエレナ様と気が付きませんから大丈夫ですよ。エレナ様のお顔をご存知なのは王立学園の生徒のほかは、貴族や一部の官吏それにトワイン領から稼ぎに来ている民くらいでしょう。その者たちが騒ぎ立てるとは思えません」
殿下が領都の土産屋で購入したという姿絵は女神様の礼拝所に一時期飾られていたとはいえ、飾られていたのは子どもたちが勉強する教室だ。人目に触れていたとは考えづらい。
それ以外にわたしの絵姿なんかが出回ることもないだろう。
「わたくしも同行いたします。王立学園の制服で歩くエレナ様は女官見習いにしか見えないと思いますよ。王宮内でだってしばらくの間誰も気が付かなかったのですから、通り過ぎるだけの女官見習いの少女が王太子の婚約者などとは誰も気が付きません。さあご準備をお願いします!」
自信満々のリリィさんからそう言われると言い返せず、わたしは頷くしかできなかった。