40 エレナ、殿下からデートに誘われる
お兄様は殿下が乗ってきた馬車に乗り込む。
車内から見慣れた役人達がわたしに向かって頭を下げる。わたしもお辞儀を返す。
「では、わたしは我が家の馬車で先に向かっていますね」
バイラム王子殿下は王都のホテルにご滞在されている。旧市街にある女神様の礼拝堂までの通り道だ。お兄様を降ろしてから向かうのだろう。
「いいや。私もトワイン家の馬車に乗るよ」
殿下は私の手を引いたまま我が家の馬車に向かって歩き始める。
馬車を覗き込むと既に乗り込んでいるランス様とリリィさんの間にユーゴが挟まれて座っている。殿下のことを怖がっていたはずなのに、なんだか鼻息が荒くて頬は紅潮している。
目が合うと膝に乗せたバスケットを自慢げに持ち上げた。
「さあ、エレナ様! 用意したお菓子を早く配りに行きましょう!」
「ユーゴなにしてるの。貴方はお兄様の侍従見習いなのだから、お兄様についていかなくてはいけないのよ。職務を放棄してはいけないわ」
「いいえ。わたくしは女神様の使徒ですからっ! 女神様の礼拝堂にお伺いするのが最優先です!」
キリリとした返事にため息をつく。
「降りなさい」
「いやですぅ」
「かわいこぶっても許されないわよ。いい? ユーゴの態度がお兄様の評価に関わるのよ。殿下もいらっしゃるところでやりたい放題していい訳ないわ」
「あまり怒らないでやってくれないか? 私がユーゴに同行を願ったのだ」
キラキラとした声に見上げると殿下が微笑んでいる。
「えっ殿下がですか?」
「ああ。エレナが子ども達に菓子を配るのは祭事だからね。祭事に詳しいものの同行が必要だろう?」
「……祭事じゃなくて慈善事業ですよ?」
「子ども達はみなエレナを女神だと思っているのに?」
殿下の言葉にユーゴと何故かリリィさんまで深く頷いている。
だめだわ。冷静なのはランス様しかいない。
ここはわたしが落ち着かなくては。
「……子ども達は、お菓子に喜んでいるだけですよ。わたしじゃなくてもお菓子を配ってくれるなら女神様扱いしてくれると思います」
「そうかな? まあ、エレナがそう思うならそういうことにしておこう。ほら早く向かわなくては。子ども達が待っている」
殿下のエスコートで馬車に乗り込んだ。
そして動き出した馬車の中ではユーゴの妄想女神様トークがずっと続いている。
殿下が話を聞いてくださるものだから、ユーゴの早口オタトークは止まらない。
隣を見上げると殿下の凛とした横顔。綺麗な顎のラインに長いまつ毛が滑らかな頬に影を落としている。
視線に気づいてわたしを見つめ返すと、とろけるような笑顔に変わる。
ああ、カッコいいけど、無理っ!
顔が良すぎるのも良くないわ。
恥ずかしいから窓の外でも眺めたいのに、レースのカーテンは閉めきられていて。
開けようとするとリリィさんに止められた。
そうね。わかってる。
もうすぐ殿下の誕生日だもの。
わたしが殿下の婚約者として公になる日までカウントダウンが始まっている。
発表されてないけど、わたしが婚約者だっていうのは市井の人々は知っていて……
いくら殿下に好かれていても、わたしが嫌われ者の事実は変わらない。
嫌われ者のわたしが、婚約者として殿下を振り回しているのは外聞が悪いもの。
殿下がトワイン侯爵家の馬車に乗ってるのなんてバレたらなにが起きるかわからない。
いくら殿下と両思いだからって……物語じゃないからそれでめでたしめでたしではないんだわ。
物語の登場人物だって思いこんで、物語に抗おうとしてたのに。
物語じゃないって理解したいまは、物語のようにハッピーエンドで終わらないことが辛いなんて本当にわがままだわ。
殿下の笑顔にときめいて高くなった体温は急転直下冷めていく。
わたしは女神様の礼拝堂に着くまで、下を向いて座っているしかなかった。