35 王太子殿下と淡い恋の物語【サイドストーリー】
別荘での生活に少しずつ慣れはじめた頃、エレナの誕生日がもうすぐだと聞いた。
「エレナは誕生日に何が欲しい?」
僕の質問にエレナは腕を組んだ。
幼い頃から付き合いのある令嬢たちは年上ばかりだ。彼女たちは誕生日に親や兄にアクセサリーをねだっていた。
九歳になるエレナもアクセサリーが欲しいのだろうか。それともまだ子供らしく人形なのだろうか。
返事をじっと待つ。
「……! シリルお兄ちゃまが最近読んだご本の中で一番面白かったご本が欲しいわ」
腕を組んだまま空を見つめてしばらく考えこんでいたエレナがパンッと手を叩く。
すごくいいことを思いついた様に嬉しそうだ。
僕は予想外の返事に面食らう。
「エレナは、前に僕が読んでた本を見て難しそうって言ってなかった?」
「うん。でもシリルお兄ちゃまは面白そうに読んでいるし、わたしも読めたらいいなって思うの」
「人形やアクセサリーじゃなくていいの?」
「んー。お人形はもうお気に入りがあるし、アクセサリーはつけないもの」
「じゃあ新しい本にする?」
「なんで?」
「なんでって。お古の本よりも新しい本の方がエレナのための本って気がしない?」
「うーん。でも新しいご本はお誕生日じゃなくてもお父様にいつでも買ってもらえるし、シリルお兄ちゃまが読み終わった本を貰った方が『シリルお兄ちゃまからのプレゼント』って気がして素敵だと思うの! それに、シリルお兄ちゃまが読んだご本なら、わたしが読み終わったあとに感想をお話できるし、もし難しくてわたしがわからないところがあってもシリルお兄ちゃまに教えてもらえるでしょ?」
エレナに言われると僕が読み終わった本がすごい素敵な贈り物の様な気がするから不思議だ。
「いいよ。じゃあ誕生日には僕が読み終わった本をあげる」
その言葉にエレナが満面の笑みを浮かべた。
***
どの本ならエレナが読んで面白いかな?
エレナは「僕が最近読んだ本の中で一番面白かった本」って言っていたけれど……
どうせあげるなら、僕だけが面白く思うんじゃなくて、エレナも面白いって思う本がいいな。
自室に戻った僕は、持ってきた本を並べる。
考え事に没頭できるようにと、家庭教師に勧められた本の中でも少し難解な本ばかりを持ってきていた。この中から選んでエレナにあげるには違う気がする。
ふと、ベッドサイドにしつらえた小さな本棚に何冊か本が置いてある事を思い出す。
去年避暑に訪れた際に、母上が寝る前に読んでくれていた本だ。その中の一冊を手に取る。
『ヴァーデン王国伝記』
小さな頃にみんなが読んで知っているお伽噺の国づくりの神話は、この国の建国の歴史をなぞらえている。
神々の時代に大地を作りこの国を建立したという『創世神』を崇め、また、共に建国に協力をした十二柱の神々を三つの公爵家と九つの侯爵家の祖としてそれぞれの領地を守る神と信仰する風習が脈々と続いている。
トワイン領も領地に広がる広大な農地を護る『地母神』への信仰が篤く、初夏に行われる収穫する豊穣祈願祭や、秋の収穫感謝祭でにぎわいをみせる。
この伝記は歴史書ほど堅苦しくはないけれど。
慣れ親しんでいるお伽噺の神話が、この国の歴史につながっていることが分かる伝記本ならエレナも興味を持ってくれるかな。
懐かしくなって頁をめくる。
もうすぐ十歳になるのだから寝かしつけに本を読んでもらう必要はないと固辞したが「普段王宮ではなかなか甘やかしてあげられないから」とつぶやいた母上の顔があまりに寂しそうで……
結局小さな子供の様に甘えて、寝つくまで本を読んでもらった事を思い出す。
あの時は気恥ずかしい思いだったけれど、今となってはあのときに甘えられて良かったと思う。
母上との大切な思い出の本か……
いや。別に母上との思い出の本はこの本だけではない。城に戻れば小さいころに読んでもらった思い出の本はいくらでもある。
僕は妹のようなエレナに、興味を持ってくれるだろう本をあげたい。そう思ってこの本を贈ることにした。