28 エレナ、殿下の気持ちを聞く
──デコチュー!!
待って! 待って! どうしてそうなるの⁈
「なんで⁈」
思わず出た言葉に殿下は不満げな表情を浮かべる。
「エレナが可愛いのが悪いのだろう? ……エレナを膝に抱いたりしたら自制ができなくなるのが怖かったが、想像よりも実際に抱きしめてしまえば存外我慢できるものだと思っていたのにな……あまりに可愛いらしい顔で見つめられると、さすがに何もしないのは無理な話だった」
「なっ何をおっしゃっているの⁈ わたしの話聞いてくださいましたか? わたしは記憶を無くしてるんですってば!」
「では、エレナはどうしてひたいを出す髪型にしてるか覚えているかい?」
「それは……」
えっ? どうしてって理由なんてあったかしら。
前髪を伸ばし始めたのは……そうだわ。
あのマーガレットが咲く丘で殿下やお兄様たちと追いかけっこをした時からだ。
あの日、確か伸びてきた前髪をピンでとめて遊んでた。
追いかけっこで殿下に捕まったわたしが不貞腐れていた時に、殿下がおでこにキスをして「エレナのおでこは丸くて可愛いね」って言ったんだ。
殿下がそう言って幼い頃に何度もおでこにキスをしたことを思い出す。真っ赤になった顔がますます赤くなるのを感じる。
「耳朶だけじゃなくて、ひたいも私のためによく見えるようにしてくれているのを思い出せた?」
頷くと、嬉しそうな笑い声が耳元で聞こえて……イヤリングに優しく触れる。
ひいぃぃぃ。
「おっ思い出しましたけど……お戯れがすぎます……」
「思い出したのなら問題ないではないか」
「問題だらけなんです」
「どうして?」
「ですから、大切な記憶を忘れて……」
「エレナと過ごしたあの日々以上に大切な思い出はないよ」
寂しげにそう笑った殿下は再び肩に頭を預けた。
「……本来ならこの一年でエレナとの大切な思い出がもっと増えていてもおかしくないはずなのにな」
呟きにどうしていいか分からずそっと殿下の頭を撫でる。
「……婚約を申し出たあの日から、幼い頃と同じようにエレナと触れ合いたいと思っていたのに、手紙を送っても返事はないし顔を合わせる事もなく日々が過ぎて……」
「あの……ごめんなさい。あんなにたくさん手紙を送ってくださっていたのに……」
「いや、エレナのせいではないのだから謝る必要はない。ただ、あの時は手紙がエレナの手元に届いていないなど微塵も思わず、私の思いがエレナの負担になっていると考えてしまった。その中、去年の茶会でエレナが皆の前で婚約についてままごとだと揶揄された時に、兄と慕う私とのおままごとのような婚約の何が悪いのか、与えられた役割は全うすると宣言したのを聞いて……私は兄でいようと自分に律したのだ」
抱きしめる力が強くなる。
「だというのに、こうして近くに座るだけで欲望に負けてエレナを押し倒してしまいそうになる自分の弱さを思い知るだけだった。自分の心の弱さに目を背けエレナと距離を取るしかないと考えた。押し倒さないために触れるのを我慢し、触れないように目を合わせるのを我慢し、目を合わせないようにするために名を呼ばぬようにし、名を呼ばなくても済むように近づくのを我慢した。なのに我慢すれば我慢するほど押さえつけられた欲望は大きくなるばかりで、自分の浅ましさに恐怖を覚えた」
「……」
「不思議なものだな。あんなに我慢をしても抑えきれなかった欲望も、いざこうして抱きしめてしまえばエレナが私の腕の中にいる安心感の方が勝るのだ。まあ、先ほどのようにエレナが私を焚きつけるようなことさえしなければの話だが」
「何を言ってらっしゃるの! 焚きつけてなんか……」
耳元の声に熱がこもるのを感じて身を引く。でも、キラキラしたイケメンなのに、見た目よりも筋肉質な殿下の腕の中に囚われたわたしは駄々っ子のように身を捩るしかできない。
だめよ。わたしは偽物のエレナなんだから!
「ふふ。いやいやと身をよじるのは焚きつけてるのではなく無自覚の行いなのかな? やはり何もしないでいるのは無理か。まあ、これくらいであれば婚約者としての振る舞いの範疇として見逃してもらえるだろうか?」
えっえっえっ。
耳を食べてしまいそうなくらい顔が近づく。
バン! と扉が開く音に殿下は顔を上げた。
「殿下っ! なにしてるんですかっ! エレナから離れてくださいっ!」
振り向くと、真っ青な顔で叫ぶお兄様と間諜よろしくコップを耳に当てたユーゴがいた。