24 エレナの気持ち
慣れない辻馬車に乗り帰宅したわたしを見てお母様やメリー達は驚いた顔をしていた。
泣くのを我慢していたのにいつも優しい二人の顔を見たら涙がこぼれそうになっちゃう。わたしはただいまも言わずに自室に駆け込み、扉の鍵を閉める。
扉をノックする音やお母様やメリーの声に耳を塞ぐ。ベッドに倒れ込むと、我慢していた涙がボロボロとこぼれ落ちる。
ああ、こんなはずじゃなかったのに。どうして。
わたしは声を上げて泣いた。
***
──早く殿下に婚約破棄をしてもらって『悪役令嬢』のエレナを破滅フラグから救ってあげたい。わたしはそう思っていた。
階段から落ちて目覚めたあの日今世の記憶が曖昧になって、かわりに前世の記憶をはっきり思い出した。
そこから、わたしはずっと何か物語の世界に転生したと考えていた。
だって幼い頃から大好きな王子様に一方的に思いを寄せていて、殿下の婚約者探しが難航しているからと地位に物を言わせて婚約者におさまった侯爵家のお嬢様だなんて、まるで『物語の悪役令嬢』だとしか考えられない状況だったもの。
異世界転生ものの定番の悪役令嬢に転生したと思ってた。
エレナとして日々を過ごす中で、エレナの記憶を少しずつ思い出してもその考えは変わらなかった。
お兄様やお父様にお母様、それにメリー達使用人から愛されていると感じても、幼い頃と違って距離を取る殿下の態度は拒絶としか思えなかったから。
殿下の深いため息も、顔を背けて眉間の皺を揉みほぐす仕草も、婚約してからずっと殿下から手紙が送られることがなかったのもエレナを婚約者として受け入れられないからだって……
だから本物のヒロインが現れれば、かりそめの婚約者でしかないエレナはすぐに婚約破棄される。
ヒロインが現れたら騒いだりせずにちゃんとこちらから身を引いて殿下とヒロインの恋を祝福して、断罪されるようなことがないようにだなんて考えていた。
なのに、殿下と一緒に過ごすことが増えるに連れて、少しずつ考えが変わってきた。
最初のうちは幼い頃の思い出の殿下と今の殿下との振る舞いの差や、妹としか思ってもらえていないことに落胆ばかりしていたけれど。
泣いているわたしを見ればまるで物語の王子様のようにそっと涙を拭い抱きしめてくれた優しさ。
国のためにと自分を犠牲にして働き詰めになるような不器用な真面目さ。
お兄様やランス様に時折見せる少年のような笑顔。
幼い頃の恋心とは別に、この数ヶ月でわたしはどんどん殿下に惹かれていった。
わたしはエレナとして、殿下のそばにいたい。
そんなことを考えるまでになってしまっていた。
ああ、なんてわたしはおごった考えをしていたんだろう。
殿下の好きなエレナは前世の記憶を持っているエレナじゃない。
見せていただいた手紙に現実を突きつけられる。
届かなかったたくさんの手紙は、どれもエレナへの気持ちに溢れていた。
殿下が好きなのは幼い頃のまま真っ直ぐに育ったエレナだ。
純真無垢な真っ白いマーガレットのような少女。
王妃様が儚くなられた殿下の辛かった時期にただただ殿下のそばにいたいからと寄り添っていたエレナを、殿下はずっと特別に思われていて……
わたしは自分が本物のエレナじゃないってわかっているのに、今はもう殿下のことを諦められないくらいに殿下のことを好きになってしまっている。
殿下のことが本当に好きなんだったら、小太りで醜女で癇癪持ちのわがままばかりのご令嬢なんて悪名高いわたしは、殿下のために離れた方がいいのに。
このまま、エレナの記憶を利用して殿下に偽ったまま婚約者として過ごしてそのまま王妃になるなんて望んでしまっていいの?
だめ。無理よ。いけないわ……
ドンドンドンドンドン! ドンドンドンドンドン! ドンドンドンドンドン!
激しいノック音に思考を中断される。
「エレナ様! エレナ様! 先ぶれも何もなく、王太子殿下がいらっしゃいました! どうすればいいですか⁈ 旦那様は父様と領内の事業の件でご不在ですし、エリオット様はまだ王立学園みたいですし、奥様が対応してくださってるんですけど、エレナ様に会わせてくればかりで全然人の話聞いてくれないんですぅぅ!」
しつこくノックを続けながらユーゴが叫んでいた。
殿下が追いかけてきてくれた。
つい嬉しくなってしまったけれど、わたしは首を振る。
偽物のエレナのくせにお忙しい殿下のお手を煩わせてしまったわ。
せめて謝らなくちゃ。
わたしは扉を開けた。