18 エレナ、役人たちの報告会に参加する
お兄様が殿下の執務の扉を開くと、いつも通り門番のように立っていたウェードが深々とお辞儀をする。
「エレナ様。お待ちしておりました。先ほど用意させていただきましたラグの座り心地はいかがでしたでしょうか? エレナ様がお座りいただくのですからと、最高級羊毛で名工が何年もかけて作ったというトワイン産のラグをエリオット様にご譲渡いただいたものなのですが、お気に召していただけましたか?」
「ふぇっ?」
殿下ではなくわたしに話しかけてきたことに驚いて変な声を出してしまった。一つ息を吐き、笑顔を取り繕う。
「……ええ。とても座り心地が良かったわ。殿下のおくつろぎになるためのラグなのに、わたしに合わせてトワイン産のものをわざわざ用意してくれたのね。ありがとう」
「ただの側使えでしかない私目にお礼の言葉など、至極光栄でございます。さ、こちらにお座りになってください。紅茶がお好きなエレナ様のために、本日は紅茶も用意してございます」
ソファに座ったわたしに傅き、紅茶の産地とその特徴を説明してくれる。
殿下が紅茶を飲むことはないからとハーブティーばかり用意してるのに、飲み物までわたしに合わせてくれている……
最近のウェードは様子がおかしい。
少し前まではわたしに対してそっけない態度というか、殿下の婚約者に内定したからって調子に乗るなくらいの雰囲気だったはずなのに。
いまはイケオジのお尻に犬のしっぽの幻影が見える……
戸惑って殿下を見ても、殿下はさも当たり前みたいな顔をしている。
わたしはとりあえずウェードのおすすめの紅茶を頼む。
「リリィ。ウェードはエレナのお茶を用意するので、私にはハーブティーを」
そう言って壁際に待機する人たちの一人に声をかけた。
リリィさんだ! それにランス様と、ステファン様にハロルド様、あと……もう一人は……誰だったかしら。
整った顔は見たことがある気がするんだけど……
あ! 殿下に書類を届けにきていた感じの悪い役人だ!
役人の制服じゃなくて、執事のような服装をしているから思い出すまでに時間がかかってしまった。
なんであの感じの悪い役人がいるの?
ついつい睨みつけてしまう。
「エレナ。私の前で他の男を見つめるなんて妬いてしまうな」
「えっ? 見つめてなんて……」
「私以外の男がエレナの視界に入るだけで胸が掻きむしられるほどなのに、しっかりと視線が捉えていたではないか。私といる時は私だけを見ていて欲しい」
じっとりと殿下の視線が絡む。目を逸らしたいのに反らせない。
イケメンの顔は見慣れても、見つめ続けるのは慣れない。顔が赤くなっていくのを自覚する。
「うぅ……確かにしっかりと睨みましたけど、そういうことでは……というか、そんなこと言われても困ります」
「エレナ様。『困る』だなんて曖昧な言葉では都合のいいように取られてしまいますから、調子に乗るなとはっきりお伝えした方がよろしいですよ」
リリィさんはわたしにアドバイスという形で殿下を非難しながら、殿下とお兄様の前にガチャリと音を立ててハーブティーを置く。
わたしの前にはウェードが入れてくれた紅茶とお菓子が載ったトレーのティーセットが置かれた。
「殿下はエレナに『誰も見ないで、誰も話さないで』なんていってエレナの自由を奪うつもりなんでしょ。人でなしだね」
お兄様もリリィさんに便乗して殿下を真っ直ぐに非難する。
幼馴染だとしても殿下に対して酷い言い様だわ。
それに……
わたしには、殿下がエレナの行動を制限したい気持ちは少しわかる。
エレナは衝動的に行動してしまうし、わがままで癇癪持ちだと言われても仕方ない節がある。
いくら殿下がエレナのことを好きだと言ってくれても、エレナは王太子妃に相応しいご令嬢じゃない。
お兄様だってそんなことわかってるはずなのに……
「お兄様。殿下のことを『人でなし』だなんて非難なさって、不敬だと訴えられたらどうなさるおつもりなの」
「非難だなんて、真実を述べただけだよ? それに不敬で訴えてトワイン侯爵家が爵位剥奪されたら困るのは殿下だもの。僕は殿下の弱みを握っているからなんの心配もないよ」
肩をすくめるお兄様を睨むと、殿下もお兄様を睨んでいた。
「……アイラン様を人質にするなんてひどいわ」
「へ? なんで急にアイランが出てくるの?」
いつものキョトンとした顔にすこしイラッとする。
わかってるくせに!
「せっかくいまはイスファーンとの和平によって好景気なのに、トワイン侯爵家が爵位剥奪されたらお兄様のアイラン様との縁談もきっとなくなってしまうわ。そうしたらイスファーン王国との和平に水を刺すことになって昔に逆戻りじゃない。イスファーン王国との和平交渉は殿下に一任され殿下の功績になるはずなのに、お兄様とアイラン様の縁談がなくなって和平交渉が決裂したら殿下がお困りになるってことでしょう?」
「……うん、まあそうだね。エレナがそう思ってるならそういうことにしておくよ」
お兄様は全然理解してない顔のまま、わたしの目に前に置かれたトレーから一つ焼き菓子を手に取り頬張った。
釈然としないままわたしも焼き菓子を一口齧る。
「あの……お話させていただいてもよろしいでしょうか」
壁の端で待ちぼうけさせられていたステファン様がおずおずと声を上げた。