16 エレナの噂はお兄様のせい?
「お兄様ったらご自身と懇意にされていたご令嬢の皆さまに何の口添えなさったの?」
「えっ? なんのこと?」
キョトンとした顔のお兄様を見上げながら、休憩中の賑やかな廊下をステファン様の待つ部屋に向かって歩く。
お兄様の話を聞いた殿下からわたしも行く必要があると断言されてしまったから着いて行かないわけにはいかないけれど。イケメン二人に挟まれて歩くのは注目の的になって肩身が狭い。
わたしは周りを極力気にしないふりをして話を続けた。
「しらばっくれなくても、わかってるわ」
「またエレナのいつものが始まった。だから、なんのことなのかをきちんと説明してくれないと、いくら僕でもわからないよ?」
頭を撫でて誤魔化そうとするお兄様の手をかわす。
冷静になったわたしはもう誤魔化されたりしない。
「こないだお兄様が森ばかり見ないで木を見るんだっておっしゃっていたでしょう? 近くをよく見れば、噂にとらわれずにわたしの味方になってくれる方がもっといる。なんて言ってしまった手前わたしの味方になってくださる方を増やさなくてはいけませんものね。大丈夫よ。お兄様の仕込みだってわかってるわ。皆さんお兄様の信奉者なのでしょう?」
「ええ? 僕の? エレナの信奉者じゃなくて?」
「違うわ。だって、わたしは皆さんにお菓子を配ってないもの。針仕事中にお菓子を食べるなんてもってのほかですから」
わたしは刺繍を教える立場なのだもの、油汚れや菓子カスのついた指で布と針を持つなんて許すわけにはいかない。
布や糸は汚れるし、タンパク質の汚れは汚いだけじゃなくて虫食いの原因になるし、水分がつけば針が錆びる原因にもなる。
そうよ。アイラン様に刺繍を教える時だって、お菓子はダメだって言ってるのに練習だからなんていっていつもお菓子を召し上がるのを、お兄様にご注意していただかないと。
本当はお茶だってよくないと思ってるのに……
「やだなぁエレナったら。ご令嬢たちは領地や礼拝堂の子供達じゃないんだから、お菓子を配ったくらいでエレナのことを女神様だなんて信じたりすることはないよ」
思考が飛んでいたわたしは、お兄様の暢気な声で現実に引き戻される。
「……ですから、そもそもわたしは女神様しゃないし、お菓子も配ってないのにわたしなんかの信奉者になるきっかけなんてないじゃない」
「だとしてもあの発言は彼女たちの本心だよ。僕の信奉者で僕の仕込みだなんていうのは誤解だ」
「いいえ。お兄様の信奉者だとしか思えません。だって、お兄様のことあんなに評価されてらっしゃるなんて普通じゃないもの。お兄様はただ外面がいいだけなのに過大評価が過ぎるわ」
「もうぅ。ねえ、殿下もなんか言ってよ」
「エリオットがエレナに信じてもらえないのは日頃の行いのせいだろう」
すげない返事の主にお兄様は不満そうな視線を送る。
「殿下ったら酷い。こんな時に意趣返しするなんて」
「意趣返しって何のこと?」
「んー。殿下がエレナの信用を得られないのは殿下の日頃の行いのせいだって話」
「ちょっと! お兄様ったらなんてことを言うの⁈ わたしはいつも殿下のことを信じているわ」
お兄様がわたしを巻き込もうとするのを慌てて回避する。
「……そう。エレナは殿下を信じてるんだね。殿下、よかったね。エレナは殿下の言うことを信じているってよ。ほら、殿下の目を見てもう一度言ってあげたら?」
自分の思う通りにならなかったからってこれみよがしに肩を落としたお兄様は、殿下の背中をを押してわたしの前に立たせた。
殿下は顔を片手で隠し、指の隙間からわたしを見下ろす。
「エレナ。私を信じてついてきてもらえないだろうか」
「えっ? ええ、もちろんよ。わたしも行く必要があるという殿下のお言葉を信じて一緒に執務室に向かってますわ!」
「……そうか」
わたしの力いっぱいの返事を聞いて、指の隙間から見える表情は複雑そうだ。
お兄様が殿下の肩を抱いて「ごめんごめん。エレナはやっぱりなんもわかってないからさ」なんて言ってるのが聞こえる。
「お兄様ってばひどいわ!」
「怒らない怒らない。ほら扉の向こうでステファンが待ってるから」
そう言っていつのまにかついていた執務室の扉を開けた。