14 エレナ、学園の中庭で過ごす
それから数日、わたしはというと……
たまに、ご令嬢たちから殿下と幼い頃に過ごした領地での話を聞かせて欲しいと囲まれてせがまれたりするくらいで、いつも通りの王立学園生活を送っていた。
そして殿下がわたしにべったりだったのも初日だけで、相変わらずお忙しいらしく、あまりお会いできない日が続いていた。
殿下にチヤホヤされるのはやっぱり周りに気を使うから、むしろホッとしている節もあったのに……
なぜかいまわたしの眼下には陽光に照らされ風にたなびく麦穂のように、キラキラと輝く金色が広がっている。
今日の休憩時間はご令嬢の皆さんと中庭で刺繍の予定。わたしが講師になって皆さんの刺繍にアドバイスをするなんて畏れ多い役割を与えられてしまっていた。
本当はわたし的に、毎日スピカさんの応援を兼ねて差し入れを渡しに行きたかったのだけれど。
見学に行くと狭い訓練場なのにわたしの周りにご令嬢たちの人垣ができてしまいご迷惑になることが続き広い中庭で過ごすことが増えた。
かりそめの婚約者でしかないわたしと親しくなっても仕方ないと思うのに……
ため息をつきながら眼下に広がる金色を撫でる。
「あっ……。緊張でまた針をいれる場所間違えちゃったわ……」
「わたしもよ。ステッチの幅がバラバラだわ」
「もともと得意じゃないんだから、緊張しててもしてなくても、刺繍の腕はいつもと大して変わらないようにしか見えないけど」
顔を見合わせてベリンダさんとミンディさんが呟きあっているのを殿下の護衛の一人としてついてきたブライアン様が顔をくしゃくしゃにして笑いながら茶々を入れる。
気軽な調子に、普段は護衛騎士然としたキリリとしたブライアン様しか知らないわたしはつい声を上げて笑ってしまった。
周りの視線を感じて慌てて首を振る。
「ごめんなさいね。ブライアン様もうちのお兄様のように妹を揶揄ったりするのだと思って、つい笑ってしまったの」
「まあ! いつも穏やかなエリオット様がエレナ様を揶揄うなんて想像つかないわ!」
「ええ、そうですわ! エリオット様はエリナ様が王立学園に通われる前から、それはもうエレナ様のことを『可愛い妹』だなんておっしゃって大切にされてらっしゃいましたわ」
「ええ、私たちがエリオット様をパーティにお誘いしても、事あるごとに『その日はうちの可愛い妹と過ごすんだ』なんておっしゃってましたもの。エリオット様みたいなお兄様がいらっしゃるなんて羨ましいですわ」
わたしの説明にベリンダさんが目を丸くしてそう驚くと、周りのご令嬢たちも口々にお兄様を擁護する。
なにそれ!
ご令嬢たちの話す内容に、わたしは開いた口が塞がらない。
去年の記憶が曖昧だったとしても、お兄様は領地にいるわたしに会いに来たのなんて数えるほどしかないはずだわ!
自分が女の子に愛想振り撒くだけ振り撒いて、いざ言い寄られて面倒になったら、わたしを言い訳にして断ってたってことじゃない。
「そう。まるで『お兄様の可愛い妹』は、人の良いお兄様に甘えてわがままばかり言って振り回してるかのようだわ」
後でお兄様を問い詰めてやる!
わたしは強く決意した。
「……んんっ」
慌てて視線を下す。つい苛立って金色を撫でる手が雑になってしまったらしい。膝の上で頭が動く。息漏れですら艶やかだ。
ゆっくりと開かれた深い湖のような真っ青な瞳と視線が交じり合う。
「殿下。起こしてしまったのね。よく寝ていらしたのにすみません」
わたしの顔をじっと見つめると、殿下はゆっくりと体を起こす。そっとこちらに右手を伸ばした。
頬を包む大きな男らしい手は優しく温かい。
ご令嬢たちの声にならない悲鳴が鳴り響いた。
「エレナ。どうしたの?」
「ふぇ?」
急な問いかけに間抜けな返事しかできなかったわたしに、殿下は眉を顰める。
「ブライアン。いま何が起こったのだ。私のエレナを傷つけるような出来事があったのか?」
冷たい声に賑やかだった周りもシーンと静まり返る。
「違うわ! 殿下の危惧するようなことは何も起きてないわ。わたしが一人お兄様に腹を立てていただけよ」
慌てて弁明してわたしは殿下の手に自分の手を添える。頬を手に預けて見上げると、殿下は空いている左手で胸を押さえ「ぐぅっ」と苦しそうな呻き声をこぼした。
「殿下、大丈夫? って聞くだけ野暮か」
「お兄様のせいよ」
わたしはどこからともなく現れたお兄様を睨みつけた。