9 エレナの新しい侍女
「エレナ様、無理なさらなくても……」
気遣わしげに真っ赤な髪が揺れる。
メアリさんと一緒に王立学園の廊下を歩く。
焼き菓子が山盛りのバスケットをそれぞれ手に持ち、騎士候補達の訓練の見学に向かう。
作法の授業で見当たらなかったメアリさんは、授業終わりにわたしを迎えにきてくれた。
そうそう。メアリさんは、いつのまにかわたしの侍女になっていた。
わたしの知らない間に王太子妃になった際の侍女にと、お兄様が色々根回しして最近親族からいくつか接収した領地の一つをメアリさんの婚家であるジェイムズ家に管理の引き換えに爵位を与えていたらしい。
というのも王宮で侍女や乳母になれるのは貴族の妻と決まっているからで。
結婚した時点で王立学園をやめるつもりだったメアリさんは、在籍しているけど授業を受けるのが目的というよりもわたしの侍女として通い続けることにしたらしい。
ランス様もそうだものね。殿下の補佐官として通っていて授業をろくに受けている気配がないもの。殿下の侍従であるイケオジのウェードに至っては在籍すらしていない。暗黙の了解で連れ込んでいる。
このまま殿下とウェードのように、メアリさんは卒業後もわたしに付き合って王立学園に通いそうな勢いだ。
きっとわたしは婚約破棄されるのに、メアリさんの人生を振り回すみたいで申し訳ないわ。
いつものマイナス思考がもたげてきたけれど、殿下の真っ赤になった真剣な顔が頭に浮かぶ。
殿下はわたしに「好きだ」と言ってくださった。婚約破棄はされないのかもしれない。
ううん。落ち着いて。
殿下は幼い頃の思い出にほだされているだけよ。
一緒に噂を覆そうと言ってくださったけど、悪い噂なんてそうそう覆らない。
嫌われ者の令嬢が王太子妃になんてなれるわけがないわ。
そう心の中で言い聞かせていると、涙が込み上げてくる。
「本当に平気ですか? わたしがエレナ様の代理で配ってきましょうか?」
メアリさんがわたしの顔を心配そうに覗き込んでいた。
「平気よ。それに久しぶりに王立学園に来たのだもの。前みたいに見学したいわ。みなさん変わらず訓練に励んでいらっしゃるのでしょう? スピカさん達に差し入れもたくさん用意したのよ?」
慌てて目尻の涙を拭って、胡桃ケーキがたくさん入ったカゴを持ち上げる。今日は屋敷の料理人達が久しぶりに王立学園へ差し入れするからと気合が入りまくっていた。
「でも……先ほどの授業で、気疲れされたのでしょう? また囲まれるんじゃないですか」
「平気よ。コーデリア様が皆さんにうまく話をしてくださいましたもの。流石に何度も囲まれないと思うわ」
作法の授業でご令嬢に囲まれてあたふたするしかなかったわたしに、主催者の役割を振られていたコーデリア様が声をかけてくれた。
以前みんなで恋バナをしていた時に、わたしは幼い頃に殿下に可愛がっていただいて「マーガレットの妖精」だなんて呼ばれていたと明かしていた。
コーデリア様から「みなさんも幼い頃のお話を聞きたがっているのよ」なんて言われて、話をさせていただくことになった。
わたしと殿下の幼い頃の思い出話をご令嬢達が前のめりになって聞く。
マーガレットが咲く丘で鬼ごっこして転んだわたしを背負ってくれたこと、その時に「マーガレットみたい」と言ってくださったこと。それ以降わたしのことを「マーガレットの妖精」と呼んでくださっていたこと。
誕生日に殿下からいただいた本をわたしは殿下の膝の上で読んでいただいていたこと。その後も殿下は毎年わたしに本を送ってくださっていること。
刺繍をする時に殿下はよく膝枕で寝ていたこと。そして毎年刺繍をしたハンカチを殿下誕生日に贈っていて、大切に使ってくださっていること。
木登りするようなお転婆だったわたしに侍女がお嫁に行けないと心配しているのを聞いた殿下が「お嫁さんにしてあげる」と言ってくださったこと。
別に嘘ついているわけじゃないはずなんだけど。
ご令嬢たちの悲鳴や、お嫁さんにしてあげる話のくだりでめまいをおこして倒れてしまったのを目の当たりにしてしまうと、なんだか後ろめたかった。
中庭にある訓練場に近づくと、剣がぶつかり合う音に気合いの入った掛け声、それに時折黄色い悲鳴が聞こえた。
その中でもはっきりと聞こえる凛とした声。
殿下の声が聞こえて、わたしの胸はドクンと跳ねた。




