47 エレナと届かなかった手紙
廊下を走る。
メリーがいたらはしたないと注意されるけれど、今日の私に付き添ってくれたのはお兄様とユーゴだもの。怒られることはない。
もうすぐ庭に出る扉に手が届くと言うところで、わたしの腕は掴まれる。
引っ張られたかと思うとギュッと抱き寄せられた。
押しつけられた胸板。耳元ではバクバクと速い心音が聞こえる。
頭上で聞こえる呼吸も浅い。
わたしは腕を引っ張っり抱き寄せてきた相手を見上げる。
サラサラの淡い金髪が目に映る。
「……すまない。エレナ。その、エレナを追い詰めるためにここにきたのではなかったのだ」
苦しげな表情は走って追いかけてきたから?
「こちらこそすみません。殿下は正教会への牽制のためにきたのですものね。それなのにわたしが騒いでしまって」
「そんなのはここに来るための言い訳だ、エレナが気にすることはない」
強く抱きしめたまま、殿下はかぶりをふった。
わたしだって言い訳なのは理解している。
何か話したいことがあることも。それを素直に受け入れられないのは、わたしがエレナであってエレナじゃないから?
エレナが殿下と婚約してからの記憶がほとんど思い出せないけれど、いつまで経っても思い出せないのは辛くて苦しい記憶から逃げたかったからなんだと思う。
それくらい一方的に恋心をつのらせたエレナに殿下は今更何を言おうというの?
「……私は真実を確かめにきたのだ」
「真実?」
どういうこと? 思ってもみなかった単語にわたしの体は強張る。
もしかして前世の記憶についてとか?
「あぁ。エレナに話せばならぬことがある。だからその逃げずに聞いてもらえるだろうか」
「……はい」
本当は首を横にふりたい。今までだったら「真実」なんて言われたら怖くて逃げ出していた。
わたしがいつもみたいに逃げ出さないように抱きしめたまま、殿下は話を続ける。
「今日、私がこの礼拝堂を訪れることができたのは、エリオットの手紙がリリアンナ夫人に届いたからだ」
「お兄様がリリィさん宛に手紙?」
「そうだ」
そういえばさっきお兄様がリリィさんが考えた大義名分とか言っていた。
なんでわざわざリリィさんに手紙を出したんだろう。殿下やランス様宛ならわかるけど……
わざわざリリィさんに送る意味がわからない。
「お兄様がランス様を揶揄うために送ったの?」
「……エレナは僕に厳しくない? 僕にもっと感謝してくれていいと思うんだけど」
聞き慣れた声に顔を上げる。殿下の肩口から半目のお兄様の顔が覗く。
お兄様も追いかけてくれていた。
「……感謝って? 今日付き添いに来てくれたことですか?」
「今日なんで付き添ったと思う?」
「アイラン様がバイラム王子殿下とお会いになることになってお暇だからでしょう?」
なぜか「バイラム王子」と聞いて殿下の腕の力が強くなる。
「違うよ。今日はエレナの慰問に付き合うからバイラム王子殿下にアイランを預けたの」
「じゃあ、わたしがトビーと会えるのは今日で最後だから? トビーを孤児院から送り出す時にわたしが泣いてしまうと思って?」
お兄様の呆れ顔が視界から消える。
「会えなくなるから泣く? トビーというのはエレナにとってどんな存在なのだ?」
「くっ苦しいわ……」
震える声の主がわたしをキツく抱きしめる。
「バイラム王子殿下はまだしも、エレナに懐いてる孤児院の子供にまで嫉妬しないでよ。ほら、エレナともっと離れてください」
お兄様がわたしと殿下の肩を掴んで引き離そうとする。
殿下は力を弱めてくれたけどまだ腕の中から解放はしてくれない。
お兄様のため息……これは心を落ち着かせるための深い呼吸ではなくて、本当に呆れているため息が聞こえる。
「残念なことに我が国の王太子殿下に物語の進行をお任せすると話が進まないみたいだから、僕が進行役を買ってでるよ」
「──! お兄様も殿下も物語の役割があるの?」
そうよ! メアリさんがお兄様のことを転生者じゃないかって疑っていた。
わたしはあの時否定したけれど、お兄様はわたしよりも何枚も上手だ。転生者であるわたしに転生者だとバレないようにすることくらい造作もないに違いない。
やっぱり、ここは何かの物語の中なのね?
ヒロインは誰? コーデリア様も、アイラン様も、もちろんお兄様も違かった。
やっぱりネリーネ様? ネリーネ様だとして……
ああ、ネリーネ様が悪役令嬢として転生した世界で、ネリーネ様が破滅フラグを回避した後の世界線だったらいいのに。
悪役令嬢のネリーネ様が破滅フラグを回避した。殿下の婚約者にならなかったことで、モブのわたしが殿下の婚約者になったとしたなら。
悪役令嬢に転生してフラグ回避をしたらネリーネ様にはハッピーエンドが待っているはず。
悪役令嬢のネリーネ様がフラグ回避して結婚するのは殿下付きの秘書官になる予定のステファン様だ。
ステファン様が破滅することはあり得ない。
つまり殿下も破滅するわけがない。殿下の婚約者であるわたしも破滅しないで済むんじゃない?
「ねぇ、お兄様! その物語でわたしの役割は? ヒロインは誰なの?」
「ヒロインってなんのこと? エレナの役割って……エレナは女神様に決まってるじゃない。『始まりの神様』と『恵みの女神様』が出会う話しが大好きだったでしょう?」
お兄様はいつも通り肩をすくめてそう言った。