28 エレナと社交界の毒花令嬢
さっきまでわたしと盛り上がっていたネリーネ様は急に静かになる。
「あぁそうか。はじめまして。エリオット・トワインです。ステファンから貴女の話を聞いていたものだから初対面に思えずに挨拶が遅れてしまいましたね。エリオットでもエリーでもお好きな呼び方でどうぞ」
同じ講義を受講していたと聞いていたのに自己紹介が始まるってことは……
顔見知りでも挨拶した事がない人は初対面の扱いなんていうめんどくさいマナーをお兄様は大袈裟な口調と仕草でやりとげ、イケメンの微笑みを讃えているのをわたしは冷ややかに見つめる。
「わっ私は、デスティモナ伯爵が娘、ネリーネ・デスティモナですわ」
ネリーネ様の頬はほのかに赤づき、もじもじと身悶え始める。
そうよね。気持ちはわかるわ。
お兄様はイケメンなのを理解した上でイケメンの振る舞いをするから、わたしですら簡単にときめいちゃうもの。
「あっ。あの……エリオット様」
「はい。なんでしょう」
「あの……」
やっぱりお兄様はオモテになるのよね。
ネリーネ様はお兄様を睨むほど真剣な眼差しを向けている。
苦虫をかみつぶしたようなステファン様の表情は視界に入っているはずなのに、お兄様は知らんぷりだ。
居心地が悪い……
「あの! ステファン様がわたくしの話をしてくださっていたのですか⁉︎ ステファン様が私のことを……? あの……あの……あぁ! どうしましょう! どんなふうにおっしゃっていたのかお聞きしたいけど、わたくしステファン様にわがままばかり言っておりましたからお聞きするのが怖いわ……。あぁ……そうでしたわ。何を自惚れているのかしら……つい心配して言い過ぎてしまいますし、ステファン様のことを困らせてばかりですもの……きっと……きっと……」
お兄様にときめいてるように見えていたネリーネ様はそう言って期待いっぱいに瞳を輝かせ頬を紅潮させる。
かと思うと、急に自信がなくなったのかしょんぼりと眉をひそめた。
えっ? ネリーネ様ったら、ステファン様のこと大好きすぎやしない?
あら、やだ。可愛い。
最終的には顔を皺くちゃにして泣きそうになるのを堪えている。
わたしはたまらず可愛すぎるネリーネ様を抱きしめた。
「ネリーネ様はステファン様のことを大切にお想いになられているのね」
ネリーネ様の侍女が淹れたハーブティーを飲みネリーネは落ち着きを取り戻す。わたしも一緒にハーブティーを飲みながら再び話し始めた。
「もちろんお慕いしておりますわ」
ネリーネ様の言葉に迷いはない。
「でも殿下みたいに本物の王子様を見たら心を動かされたりしませんか? それとも僕はどうですか? ネリーネ様みたいに魅力的な女性に好かれたら僕は嬉しいなぁ」
相変わらず悪趣味のお兄様ったら余計な質問をする。
わたしが睨んでもヘラヘラと笑ったままだ。
「王太子様は将来この国を統べる方ですから敬慕の念を抱いておりますが、磁器人形みたいに整いすぎていて何をお考えかわからなくて怖いからそれ以上の気持ちは抱けませんわ。あと、エリオット様は裏がありそうで気が許せませんので好きになる事はございません」
ネリーネ様は姿勢を正してキッパリと言い切った。
あまりにはっきりいうので、わたしは吹き出しそうになるのをこらえる。
「わたくしはステファン様くらいが丁度いいのですわ」
ネリーネ様はフンと鼻を鳴らして拳を膝に置いた。
「は? 丁度いい?」
いつのまにかそばで書類整理をしていたステファン様が明らかに苛立ってした発言を、ネリーネ様は全く気に留めていない。こくりと頷く。
「そうよ。夜会の時にお召しになっていたような正装で毎日エスコートされていたら、胸をときめかせすぎて幾つ心臓があってもたりないわ。普段は服や髪型に無頓着で野暮なステファン様が丁度いいのよ。先日みたいにわたくしの為にロマンチックな贈り物をくださったりなんて頻繁にされたら宝物が増えすぎて肌身離さず身につけたいのに付ける場所がなくなるわ。いつもの気が利かないステファン様が丁度いいの。それに今日みたいに真剣な表情でお仕事されてる姿を毎日みたら見惚れてしまって何も手がつかなくなるわ。いつもみたいに仕事に疲れ果てたステファン様が丁度いいわ。それに──」
「ネリーネ嬢わかった! ……わかったから、勘弁してくれ」
正装で夜会をエスコートしたとか、プレゼントをもらったとか二人の仲睦まじいエピソードを暴露されたステファン様は真っ赤な顔で叫んだ。
ネリーネ様は咎められた理由がわからない様子で小首を傾げて黙る。
もう……ちょっと待ってよ!
ネリーネ様が、見た目によらずとんでもなく可愛いだけじゃない。
あの真面目で仕事中毒なステファン様が真っ赤になって取り乱すなんて。
ああ、もう! お二人とも可愛いすぎやしない?
コーデリア様とダスティン様も萌えるけど、また違う萌えだわ。ニヤニヤしちゃう。
「お二人とも幸せそうで羨ましいわ」
わたしはそう言ってネリーネ様の手を取り笑顔を向ける。
ゴホン。
顔をあげると咳払いの主である殿下がこちらを眺めていた。
いつも通り目を細めてわたしを見つめているけれど、微笑みなんかじゃない。
非難するような視線に二人の可愛らしさに興奮していた気持ちがしぼむ。
「殿下は何を考えてるかわからないなんてよく言われますけど、とてもご機嫌がわかりやすいと思うわ」
殿下の机の前に立つ。わたしに向けていた視線は何事もなかったようにそらせれていた。
「お話は弾んでたけど、元々は領地での事業計画に投資していただけないか相談していたのよ。サボっていたわけじゃないわ。女官見習いとしてなすべき仕事はまっとうします。ここにいるみんなも殿下がお戻りになる前からずっとお仕事なさっていたのよ。そろそろ休憩を取られた方がいい時間よ。みなさまごめんなさいね。わたしが仕事に戻れば殿下のご機嫌もなおると思うわ」
殿下の机から書類箱を取り、わたしは席を立った。