21 エレナは王宮女官として働きたい
朝。いつも通り馬車に乗り込むと王宮に向かう。
夏の空は真っ青で、街路樹の木々の緑は目に鮮やかだ。大きな葉っぱの鈴懸の木が日陰を作り、人々が涼んでいた。
受けなくてはいけない試験があるときには王立学園に通うこともあるけれど、わたしの王宮勤めは一ヶ月経とうとしていた。
その間も殿下はイスファーンの大使との会談に、貴族院の重鎮たちとの会談などなどが立て込んでいた。
書類を届けに行っても不在なことばかり。
殿下にはなかなか会えないけれど王宮内での仕事は順調だった。
わたしやメアリさんが文書回送の手伝いをしたことで、ハロルド様が取り組まれていたイスファーン王国の法規集の翻訳が完了した。
これで翻訳済みの法規集が各部署に備え付けられ、イスファーン王国の法律に触れていないか確認しながらそれぞれの部署で文書作成することができるようになった。
作成された書類がイスファーン王国の法に触れていないか確認しながら翻訳していたステファン様達は、翻訳だけに集中できるようになり業務効率がぐっと上がっている。
「ねえ。エレナも王宮で女官見習いごっこするのはそろそろやめたら?」
今まで文官見習いらしく王立学園の制服で登城していたお兄様は、今日は薄手のブラウスにスカーフタイを巻いている。
どっからどう見てもどこぞの貴公子様のような装いは、文官見習いとしての出仕ではないから手伝わないアピールだ。
「でも、いまはハロルド様が法規集の翻訳に尽力された報酬で長期休みをとってるもの。わたしが文書回送の仕事をしなくちゃいけないわ」
「別にリリィだっているし、メアリ嬢……じゃなかったメアリ夫人だっているし、そもそも文書係が抱えている文官はいっぱいいるんだよ。エレナがいなくったってどうにかなるよ」
「どうにかならなかったから、殿下のお仕事が増えてたんだわ」
文書係は王宮の別荘まで書類を持ってきては山積みにして文句ばかり言っていた感じの悪い役人みたいなのばかりだ。
「えー。今まで殿下がどうにかしてたじゃない」
「だから殿下がどうにかしなくちゃいけないようにならないように、お手伝いに行くのよ。お兄様だってまだお手伝いされてもいいのにやめてしまうなんて信じられないわ」
「ハロルドが法規集を翻訳を終えて、役人達で回る仕事量になったんだから僕が手伝う必要なんてないよ。だいたい文官見習いだからってろくな給金も貰えないんだよ?」
「お給金をいただけなくとも、お兄様が食堂で召し上がられる昼食だけで十分だと思いますけど」
「ええ? あんだけの量で? だったらもっと食べとけばよかった」
「あんだけって……十分すぎるくらい召し上がってましたけど」
体を大きくするために食事をするのも仕事のうちな騎士達が、食堂でお兄様の食事量を目の当たりにしてドン引きしていたのを思い出す。
わたしの目の前で長い足を組んで座るお兄様をじっと見る。どちらかといえば細身な身体のどこにあの食事量が入るんだろう……
視線に気がついたお兄様を肩をすくめる。
文句ばかり言っているけれど、基本的にエレナに甘いお兄様は文官見習いとしてお手伝いに行くのはやめても、こうしてわたしに付き添って王宮まで一緒に来てくれる。
いまはお父様のお仕事のお手伝いと称して領地までの街道整備を企てたり、イスファーン王国の大使の通訳を買って出ては恩を売ったりと忙しそうだ。
「ほら。エレナはここで降りるんでしょ?」
お兄様はわたしの頭を優しくポンポンすると「頑張ってね」と声をかけてくれる。お礼を言って馬車から降りたわたしは、いつも通り顔パスで受付を済ませる。
廊下ではすれ違う役人や女官達と挨拶を交わし、文書係の部屋まで向かう。
殿下宛の書類を受け取り特設部署に向かう。ステファン様をはじめとした顔馴染みの役人たちは、今日も殿下が会合に出ていることを教えてくれたついでに「王太子殿下はエレナ様とお会いできないのを今日も嘆いていらっしゃいました」なんて言ってフォローしてくれた。
今度は殿下の決済済みの書類をいろんな部署に届けるため、わたしは書類入れを抱えて歩き出した。