17 王太子妃殿下付き筆頭侍女候補リリアンナの回想【サイドストーリー】
ソファに座り今度は一枚ずつ内容を確認する。
事細かに書かれた初恋の少女との幼い頃の思い出話は陶酔した詩のようでぞわぞわする。「私の婚約者」「私の最愛」「私のマーガレット」「私の小栗鼠」「私の小鳥」「私の女神」「私の聖女」「私の……」「私の……」「私の……」独占欲と執着心にまみれた文字が踊る。
兄のようにしか思われていないことは理解しているなんて書きながら、紙いっぱいに綴られた愛の言葉はまるで呪詛だ。
最後はシリルの誕生日に開かれる王宮の茶会で会うことを楽しみにしていることで締められていた。
(こんなの読んだら、恐怖で茶会に行きたくなくなるわ)
リリアンナは身震いする。
「エリオットの妹ってシリルが執着するほど可愛いの?」
「どうだろう。噂されるような醜女ではないのは確かだ。むしろエリオットに似ているから一般的には整ってる方じゃないのか? 俺の好みじゃないからなんともいえないけど」
そう言ってランスはリリアンナの隣に座る。
熱のこもった瞳にそのまま身をゆだねるのはまだ少し早い。
手で近づく顔を押し返し、もう一度手紙に視線を戻す。
「初恋の少女なんて知らなかったわ」
婚約者がなかなか決まらないからと、誰からも見向きもされない侯爵家のご令嬢を自分を慕ってるからと言うだけで婚約者に据えたと思っていたのは、リリアンナだけではないはずだ。
「王妃様が身罷られたあとシリルが何も手がつかずに目も当てられない状況の時期があっただろ? 王宮の奴らがシリルを見放しはじめた時にエレナ様がずっと兄のように慕ってたから特別な存在なんだろ」
「それなら、早いうちから婚約者候補として囲っておいたらよかったじゃない」
「なんの後ろ盾にもならないトワイン家の令嬢を?」
「……そうなるわよね」
リリアンナもトワイン家の令嬢なんてなんの後ろ盾にもならないと考え、シリルに不満を抱えていた。
「王室の利にならないからと取り上げられたはずの寵愛の少女がまた自分の目の前に現れたからな」
「だとしてもシリルの思いが重すぎるわ」
加減の知らない恋文を机にドサっと置いてリリアンナはそう呟いた。
「シリルは婚約の申し出をしてから、定期的にエレナ様へ手紙を送っている」
リリアンナは小さな悲鳴をあげた。
「シリルにとっては初恋の少女だとしても、エリオットの妹はシリルのこと兄のように慕ってるだけなんでしょう? なのにこんな手紙しょっちゅう届いたら恐怖よ?」
「だから一度も返事がこないんだろうな」
「……そうね。うっかり社交辞令で『わたしもお慕い申し上げております』なんて返信したら舞い上がってもっと恐ろしい手紙が届きそうだし、怖いから送ってこないでなんて返信したら何されるかわからないものね。誰もこの手紙止めなかったの?」
「義兄上が止めると思うか?」
顔を見合わせてため息をつく。
ランスの義兄、つまりリリアンナの兄であるウェードは主人であるシリルを盲信している。
シリルの気持ちや行動は受け入れられて当然で、もし万が一拒絶するなら拒絶する方がおかしいと考えていることは想像に難くない。
その上自身の恋愛観は落ち着いた見た目と違い情熱的だ。市井で出会った平民女性を手に入れるために、次期子爵の地位を平然とかなぐり捨てた過去を持つ。
シリルの狂った恋文なんて、ウェードからすれば子供の落書きだ。
「だとしても、なんで急にわたしに添削を頼むのよ」
「今までは義兄上に相談していたが、あまりにエレナ様から返事がこないもんで、義兄上がエレナ様に不満を持ちはじめたんだ。義兄上に相談してもエレナ様を悪様に言われるし、女心がわからないからリリィに相談したいんだとさ」
「ああもう。兄さんには困ったものだわ」
「そうだな」
ランスはリリアンナの肩を抱く。
「リリアンナ」
「なぁに。どうしたの?」
甘い声が耳をくすぐる。
「いや……本当は、シリルのやつが最近休みが取れずにリリィに会えてないだろうから、手紙の添削を口実にリリィに会いに行ってこいって言ってくれたんだ」
肩に置かれた頭をリリアンナは撫でてやる。
亜麻色の髪の毛はサラサラとして手触りがいい。
「じゃあさすがにあんな狂った手紙をしょっちゅう送ってるわけじゃないのね」
「……」
「送ってるのね」
「残念ながら送ってる」
リリアンナはランスの腕から抜け出し向き合う。
「いまさら挽回できないだろうけど、まともな手紙を送る手伝いをしてあげようかしら。シリルに直接話さないと」
「いまから?」
「あら、いまから行ってもいいの?」
「明日でいいんじゃないかな」
手を引っ張られたリリアンナは体勢を崩す。
ランスの顔が近づき、リリアンナは目を閉じた。
***
次の日リリアンナはシリルに対して、これまでの手紙で十分なほど気持ちは通じているのだから、余計なことは書かずに「茶会で気持ちを聞かせて欲しい」とだけ書くように助言した。
その後リリアンナがはじめてエレナの姿を見たのは王宮の茶会で「この婚約は、兄妹がするままごとのようだ」と揶揄されていた時だった。
その時エレナは毅然とした態度で「殿下を兄のようにお慕いすることの何が悪いというの? ままごとでも、わたしは与えられた役割をやり遂げるわ」と言い放った。
あんな独占欲と執着心に塗れた恋文に臆することなく、王太子の婚約者としての役割を果たそうとするエレナに、リリアンナは好感を持った。
シリルが兄のようにしか思ってないと本人の口から聞いて打ちひしがれていても「ままごとでも役割を果たすといってくれたのだからよかったじゃない」と励ました。
だから、エレナが屋敷の階段から身を投げたと聞いた時は、あれほど気丈な少女がそんなことをするわけないと信じられなかった。
一命を取り留め、王立学園に通えるほどまで元気を取り戻してからは、あの茶会での発言の通り、王太子の婚約者として想像以上の役割を果たしている。
シーワード公爵家の問題だからと誰も取り合わなかったシーワード子爵の不正摘発の助言だけでなく、その後シーワード公爵令嬢の立場が悪くならないように友好関係を築くことに心を配る。
イスファーン王国との歓迎パーティでは裏方に徹し王女の案内係と通訳を買って出た。イスファーン語がわからない領主たちに代わりイスファーン王国の使者たちと交易品の交渉までやってのけた。
交易が本格化するにつれ王宮内のイスファーン語を理解するものが不足しシリルに負担が偏るのを心配したエレナはイスファーン語話者である兄のエリオットの協力を仰ぐだけでなく、自身も出仕する。
出仕すれば書類回送の仕事やシリルが設置したイスファーン語がわかる官吏ばかり集めた特設部署の仕事の効率化をはかっていた。
この国にエレナほど王太子妃の役割を果たせるものはいない。エレナと一度話せば誰しもそう思うはずだ。
(それなのに、手紙をいただいたことがないってどういうこと? エレナ様はシリルの狂った愛情を知らないの?)
シリルの気持ちを知らないエレナは、市井での噂を信じ、自分はシリルの役に立てない。かりそめの婚約者としても相応しくない。などと泣いていた。
ただエレナは泣くだけの少女ではなかった。
もし自分が婚約破棄をされたとしても、シリルの役に立つために女官として働きたいと前を向いていた。
(わたしは仕えるべき主人に出会ったわ)
シリルと心中する覚悟はまだ持てないリリアンナは、将来の王太子妃と心中する覚悟をした。