44 エレナと別荘での思い出
お兄様はひとしきり、「あー。かわいい」だとか「あー。癒される」だとかのたまってアイラン様の膝枕でゴロゴロとしている。
ついつい「呆れた」と口から漏れ出てしまうくと、殿下も「そう……だな……」と応じて呟いた。
「何? 二人とも何か言いたいことあるなら、はっきり言えば?」
アイラン様に膝枕してもらったまま半眼でわたしと殿下を見つめているお兄様は、挑発するような態度だ。
殿下に対してもアイラン様に対しても不敬この上ない。
「ネネイがいないからって調子に乗って。だらしない格好で子供みたいに甘えたりして、みっともないわ」
はっきりと断言する。
「ふふ。子供みたい?」
お兄様はそう言って笑うと、寝転がったままアイラン様の黒髪を一房すくう。
真っ赤に染まっていくアイラン様に微笑みながら、黒髪に唇を落とした。
『エレナったら僕が子供みたいな振る舞いしてるだって。アイラン様はどう思う?』
『……とんでもないわ。大人よ』
新婚だ何だと騒いでいても、まだ十四歳のアイラン様には刺激が強すぎるんだろう。
顔を横に振る首筋まで赤くなっている。
「ほら。膝枕なんて婚約者らしい戯れだよ。ウェードだってそう思うでしょう?」
ハーブティーと焼き菓子の給仕をしているウェードにまで同意を求める。
「さあ、どうなのでしょう。私の妻は庶民の出なものですから、貴族の子息として一般的な婚約者というものに縁遠く、残念ながらエリオット様のご質問にお答えできるほどの経験を持ち得ておりませんね」
そう言って、給仕を終えたウェードはお辞儀をすると壁際で待機する。
この状態になったら、殿下のご用事でもないと、置物よろしく私たちが何を言っても答えてくれない。
お兄様はつまらなそうに唇を尖らせる。
わたしは、テーブルに刺繍枠を置き、ハーブティーをひと口飲んで無理やりにでもリラックスしようとする。
「じゃあ、ランスとかブライアンに聞いてみようかな」
新婚のランス様や、もうすぐ結婚するブライアン様なら、確かに質問相手として相応しいかもしれないけれど、この場に呼びつけてそんな質問されたりするのは針のむしろに違いないわ。
しつこいお兄様を睨む。
「やめてやれ。いいか、エリオット。別に私もエレナも膝枕をすること自体が子供のような振る舞いだと言いたい訳ではなく、だらしない姿で甘えるのは外聞が悪いと言いたいだけだ。するのであれば誰から見ても恥ずかしくない振る舞いを心掛けろ」
殿下はそう言ってご自身の膝の上で握る手に力をこめた。
「ふぅん。じゃあ手本を見せてよ」
「は?」
そう言ってお兄様は有無を言わせないくらいの満面の笑顔を浮かべた。
「さあ、早く。殿下は臣民の規範となるべきお方でしょう。ほら、僕に誰から見ても恥ずかしくない膝枕を教えてください。あ、それとも、やっぱり外聞のよい膝枕なんて殿下でも無理でしたか? できないことおっしゃるなんて殿下らしくもない。そんなことないですよね? どうなんですか?」
お兄様はアイラン様が自分のバックにいるからと強気だ。ニコニコと笑いながら責め立てる。
「……いま、この場でやりようがないだろう」
殿下は出来るとも出来ないとも言わずに、やりようがないことにして逃げようとする。
「殿下ったら何をおっしゃてるんですか? 殿下だって隣に婚約者がいるじゃない。むしろこの場以外にやる場があると思えませんけど? ほら、エレナ。殿下が外聞のよい膝枕の手本を僕に見せてくださるそうだから、殿下にお膝を貸して差し上げて?」
「えっ?」
「あの頃は毎日のようにしてたんだし、エレナは別に殿下に膝を貸すくらいは嫌じゃないでしょ?」
意地の悪い聞き方だ。そんな聞き方されて断ったら殿下に対して失礼な態度になる。
こんなことで不敬罪で訴えられたりしたら困るわ。
「……そりゃ、もちろん嫌な訳ないわ」
わたしはそう答えるしかない。
それなのに、隣に座っている殿下が両手で顔を覆い下を向くのが目の端にとまる。
呻き声のようなお腹から振り絞った深いため息が、わたしの返事を責めているように聞こえた。
「さあ、お手本をどうぞ」
こちらの気持ちも気にせずお兄様は、殿下に「ほら、ほら」と急かす。
「エレナ……すまない……」
殿下の苦しげな謝罪の声が聞こえた後、ポスっと私の眼下に淡い金色が広がった。