39 エレナと殿下と殿下の運命の番(つがい)と道ならぬ恋
図書室脇の談話室にお兄様の笑い声が響く。
「そんなに笑わないでください!」
「あは。あははっ。だって、だってさぁ、あははっ。エレナったら何を言い出すかと思ったら、ははっ。僕と殿下が運命の相手で、さっきは二人きりになった僕と殿下が全てのしがらみを捨てて愛を育もうとしてたとか、そんなあり得ないこと言うからさぁ。あははっ。ははっ。はぁ……はぁ苦しい」
お兄様は笑いすぎて苦しそうだ。
部屋に移動して正解だったわ。
ようやく落ち着いたお兄様は、まなじりの涙を指で拭う。
「相変わらずエレナったら思い込みが激しいね。僕が女の子大好きなのなんて、エレナはよく知ってるじゃない」
お兄様は、さらりと、とんでもないことを言ってのける。
でも、思い出そうと努力する必要がないくらい、お兄様は女の子が大好きだ。
「……ええ、お兄様は、ゆりかごから墓場までの全ての女性の、おはようからおやすみまで、優しく甘やかして生きていますものね」
「あはは。やだなぁ。いくら僕でも墓場の女性は無理だよ。あ、でもお墓参りに来た女性には優しくするか。あと僕は好きな子にはおやすみ以降も優しくするし、おはようの挨拶より先に甘い言葉を囁くよ」
わたしはお兄様を半目で見つめる。
本当に調子がいい。
「そんなことをされるから、お兄様を狙うご令嬢達が、薙ぎ払っても薙ぎ払っても生え続けるのです」
「エレナったら、可愛い女の子達を雑草みたいに言わないでよ。それに反省したからきちんと線を引いてるでしょ」
「あまりにモテてしまってご自身が面倒になったからでしょう? まったく。女性の心を弄んで。あ! そうだわ。アイラン様のことだってそうです。ご存知ないかもしれませんけどアイラン様は本当にお兄様に恋焦がれていらっしゃるんですよ!」
「やだなあ、僕はちゃんとご存知だよ」
「……それは、今はでしょう? お兄様がいつも適当だから、マリッジブルーになんてなるんです」
「えっ⁈ マリッジブルー? アイラン様が?」
ふざけて話してたお兄様が、慌てて前のめりになる。
顔から血の気が引いていくのがわかる。
イケメンの顔が近い。
「違います。何おっしゃってるの。お兄様の話でしょう? お兄様がマリッジブルーだったのではなくて?」
「へ? 僕が? 何言ってるの?」
否定したわたしに、お兄様は目を丸くした。
あれ?
「……だって、婚約式が終わってからずっと物憂げにしてらしたでしょ? あれがマリッジブルーでなければなんだというのです」
「いや、あれは、殿下が──」
お兄様は言いかけて、ハッとして口を塞ぐ。
「やっぱり殿下はお兄様を……」
「ない! それは絶対にない!」
わたしの発言に、お兄様は猛烈に首を振る。
「落ち着いて考えてみてよ。僕とアイラン様が結婚すればいいって殿下が言い出したんじゃない。僕のこと好きだったら流石にそんなことしないと思わない?」
確かに。勘違いが発端とは言え、お兄様がアイラン様と結婚する事については殿下が言い出した話だ。
「……じゃあ、本当にお兄様も殿下も幼馴染の友人としての感情しかないの?」
「そうだね。女神様に誓ってもいいよ」
胸を張るお兄様は、嘘をついている様子もない。
「なら、どうしてお兄様はあんなに物憂げでしたの?」
わたしはお兄様を見つめる。
「えっ? あっ、だってさ……えっと……だから……あれは、殿下がエレナを……」
「えっ? わたしがなに?」
「……うっ。もう! 僕の口からは言えないよ!」
お兄様はそう絶叫した。
叫び声に反応したのかドアの外では走り寄る足音が聞こえる。
部屋の前で足音がやむと、ドアは乱暴に開け放たれた。
「エレナ! エリオット! やっぱりここに……」
扉の向こうには、髪を乱して息を切らせた殿下が、肩で息をしながら立っていた。