15 クラスメイトのオストは女神様に仕えたい【サイドストーリー】
高祖父が武勲をあげて男爵の地位を賜ってから代々騎士として国に忠誠を尽くしている事が、オストの生まれたグルアジ家の誇りであった。
というのは建前で、領地を持たない貴族であるグルアジ家は、跡継ぎが騎士にならなければ貴族の地位を維持できない。
小さな頃から騎士になるためにと親から厳しく躾けられたオストにとって、手のひらのマメが潰れて血が滲んでも父との訓練からは逃げられず、棒剣を握り、吐くほどに追い詰められた日々は、思い出したくもない記憶だ。
それでも父に連れていってもらった王宮の訓練場で見た騎士達に憧れを抱き、自分も必ずや王宮に出仕し歳の近い王太子の剣となり盾となる決意を幼いながらに固めていた。
だというのに。
オストの忠誠を示すべき王太子やその婚約者は「無能で不能な感情のない、見た目だけの傀儡」だとか、「癇癪持ちの愚鈍な小太りの醜女」だと噂されている。
今の王室は市井の人々にとって尊敬の対象ではなく嘲笑の対象だ。
(俺が辛い日々を過ごしていたのに、あいつらは周りに甘やかされて育ったに違いない)
オストは王立学園に通い始める前に、騎士への憧れも王室への忠誠心も失っていた。
残っていたのは自分が男爵位を継ぐための打算だけだった。
***
「講堂で隣にお座りいただいているのに、エレナ様の素晴らしさがわからないなんて信じらんない! エレナ様はわたしみたいな庶民を友達にしてくださるのよ? エレナ様はこの世に舞い降りた女神なんだから!」
ピンク色の髪の毛を揺らしながらオストを睨む少女の文句は、正直聞き飽きた。
目の前の少女は嫌味を言われた自分を庇ってくださったとかで、王太子の婚約者に心酔している。
癇癪持ちとまではいかなくとも、貞淑さを求められる貴族女性ではあり得ないほどの気の強さは、周りのご令嬢から距離を置かれているのにも気がつけないほどに。
「スピカみたいな庶民しか友人になってもらえないからだろ」
言い返されることをわかっていても、つい構ってしまう。
「そんな事ないわよ! だってほらシーワード公爵家のお姫様とも仲良くされてるもん」
「それはシーワード公爵令嬢がトワイン侯爵家のご嫡男様のご友人だからだろ」
「……そうかもしれないけど、でも、噂と違って愚鈍でも醜女でもなかったじゃない! オストだって、エレナ様のこと可愛いって思うでしょ? 王太子様がご寵愛されてるんだから」
「スピカが言うみたいにご寵愛してるんだとしたら、王太子様は見る目がないんだな」
確かに才女ではあったし、醜女というほどではなかった。どちらかというと顔立ちは可愛いのかもしれない。
王立学園内ではあからさまに嘲笑する者はいない。
だが気が強く、背が低いふくよかな少女を王太子が寵愛しているとは思えないし、ましてや女神様だとは到底思えなかった。
(昨日までは、そう思っていたのに──)
「オスト様も、おひとつどうぞ」
エメラルドのようにキラキラと輝く瞳がオストをじっと見上げている。
「エッエレナ様は、俺なんかのことご存知なんですか……?」
「ふふっ。何をおっしゃるの? いつも講堂ではお隣に座ってらっしゃるじゃない」
オストは上擦った声しかでないのを乾燥した喉のせいにして、ごくりと唾を飲む。もちろんちっとも潤わない。
汗と土埃で汚れたオストにエレナは嫌な顔一つせずに近寄ると焼き菓子を差し出す。小さな手がオストの手を握り、紙に包まれた焼き菓子を置く。
ふわりと香る花のような甘い匂いは焼き菓子の匂いじゃない。
エレナが笑うだけで、周りに花が咲いたかのような錯覚を起こす。
オストの心臓は早鐘を打つ。
久しぶりに王立学園に現れた王太子の婚約者は、重いケープを脱ぎブラウス姿になっただけで、何も変わっていない。
自分がよく見ずにふくよかだと誤認していただけだ。
華奢な手足に、頼りなさげな細いうなじも、小さな肩も全て視覚に入っていたはずだ。
騎士を目指すものとして体格を見誤るなどあってはならない。
(俺にはエレナ様を見て胸を高鳴らせる資格なんてない。それに……)
講堂で、ついエレナに見惚れてしまったのをスピカの勝ち誇った顔を思い出して、オストは深呼吸する。
「オスト様は幼い頃から訓練を重ねてらしたのね」
エレナはそういってオストの手を労るように握り直すと、小さな手が離れていく。
「栄養をとり休息をしっかりとるのも訓練のうちですから、是非召し上がって下さいね」
(──っ! 意識するな! 俺には好きな女がいるだろ!)
スピカを見つけたエレナが嬉しそうに駆け寄るのを、オストはただ見つめるしかできなかった。
「やっぱり王太子様のご婚約者様ともなると、そこらのご令嬢とは格が違うよな」
「俺たちの訓練なんて興味ないくせに場所ばっかとって邪魔しかしてない女達と一緒にするなんて失礼だろ」
周りの男達は平然と手のひらを返して、手渡された焼き菓子を頬張る。
疲れた体に焼き菓子の甘さが染み渡る。ドライフルーツやナッツの歯応えは食べ応えがあった。
「だから言ってたじゃない! エレナ様は芯が強くてご自身の信念をしっかりと待ってらっしゃるんだから」
男達の声に、スピカがピンクの髪を揺らしてここぞとばかりに主張する。
将来を約束された少尉に夢中になった令嬢たちが訓練もろくに見ずに場所取りで争っているなか、凛とした立ち姿のまま訓練を見学していたエレナは、たった一度の来訪で騎士を目指す青年達の心を掴んでいた。
皆思い思いに称賛する。
「エレナ様、マジで女神様だった」
「でしょ? トワイン侯爵領だと、お祭りで領地の子供たちにお菓子を配る時にいい子にしてると、女神様の格好をしたエレナ様が頭を撫でてくれたり、抱きしめてくれるらしいわ」
スピカの発言に想像力のたくましい青年たちはごくりと唾を飲む。
周りの評価に上機嫌のスピカをオストは目を細めた。
「俺もスピカと一緒に、女神様をお護りする騎士になりたいな」
「オストにも、ようやくエレナ様の素晴らしさがやっと伝わったわ!」
ポツリとこぼしたオストの呟きに周りの青年達は頷き合い、スピカはオストの手を握りしめた。
オストはエレナに手を握られた時よりも心臓が早鐘を打つのを感じながら、女神の護衛になる決意を固めた。
──オストのスピカへの想いが届くのはしばらく先の話で、オスト達が隣国との争いで活躍するのはまた別の話だ。