満更でもない女
「今日、あの人居ないの?」
レジ打ちをしていたら、お客さんのおじさんにそう訊かれた。
名前こそ出なかったが、あの人と言われただけで誰の事を訊いているのかすぐ分かった。
この店には長年勤める所謂お局様が居る。その人の事だ。
お客さんに対して愛想が良く、地頭の良さから会話も上手で仕事も出来る。何よりお顔がお美しい。そんなお局様は当然お客さんから人気である。今のように、今日は出勤しているかと訊かれることは度々ある。
「今日、居ますよ」
そう答えると、そのお客さんは、
「あの人にレジして欲しかったなぁ。次は代わってよ」
これもよく言われる。
すると、ちょうど検品を終えたお局様がバックヤードから出てきた。
「あ〜!こんにちは〜!」
お客さんの顔を見るなり、お局様は元気よく挨拶をした。
お客さんは嬉しそうな顔をした。
少し世間話をした後、何故かお客さんは右手を差し出した。
「握手してくれない?」
何それ、アイドルなの?
お局様は笑い声をあげながらも、突然の握手に応じた。
お客さんはお局様の手をにぎにぎすると、満足そうにして帰っていった。
「今のお客さんさぁ」
お客さんが居なくなったのを確認すると、お局様が言い出した。
「なんで急に握手求めてきたの?しかもさぁ、おつり渡す時、いつも手握ってくるんだよね」
「え、まじすか」
「しかも、こう、両手でねっとりした感じで。本当にやだ〜!」
その時、店長がやってきた。
「店長!さっきあのお客さんがまた来てさぁ。私ほんと嫌なんだけど!もう次来ても対応しないよ〜!」
「また触られたの?しつこいね」
人気者はつらいなと思っていると、嫌だ嫌だと訴えるお局様の為に店長が対策を考えようと提案した。
次にあのお客さんが来てお局様を呼ばれても、なるべく他の人がレジを対応する事になった。いくらお客様といえど、そういうお店では無いのでこれ以上のお触りはご遠慮頂くつもりのようだ。
数日後、またあのお客さんが来た。
「今日は、あの人居ないの?」
いつもの通り、お局様の出勤確認だ。
出勤しているのだが、このお客さんの場合は申し訳ないがお局様を呼ぶ訳にはいかない。
えっと〜…と口籠もっていると、
「あ〜!こんにちは〜!」
遠くからお局様の声がした。
お客さんはその声の方に振り向いた。
え、自分から声掛けるの?
嫌なんじゃなかったの、もう対応しないんじゃなかったの。
意外な登場に驚いていると、お局様がレジに入ってきた。
「私、やるから」
お局様は小声で私に言うと、楽しそうに世間話をしながら手際よくレジを始めた。
聞いた通り、そのお客さんはおつりを受け取る際にねっとりとした手付きでお局様の手を両手で包み込むようにして握っていた。
お客さんが帰ると、お局様は、
「ねぇ!本当に嫌なんだけど!」
と大きな声で文句を言い出した。
「見た?また凄い手握られたんだけど!本当に気持ち悪〜い!」
私は、まじっすね、きもいっすね、と返事をした。
自ら話し掛けて自らレジを代わったのにめっちゃ、文句言うじゃん。しかも、お客さんが自分に気付いていたならまだしも、自分の存在に気付いていないところをわざわざ後ろから声を掛けていておいてこの言い様だ。
本当に嫌ならやらなけりゃいいのに、と思ったが黙っていた。何故なら、このお局様は厄介なのだ。何か少しでも自分の気に触ると自分の都合の良いように言いふらすのが常で、この人に逆らったらこの店ではやっていけない、という暗黙のルールがある。パートの身でありながら、実質この店舗を牛耳る裏ボスである。よく聞く典型的なお局だ。あまりにもテンプレ過ぎて、キャラなんじゃないかと疑いたくなる程の絵に描いたようなお局である。
なので、周りのスタッフ皆んなお局様のご機嫌をとる。こんな分かりやすい構図があるだろうか。
斯くいう私は、お局様の面白くもない話に爆笑と謎の褒めちぎりをする皆様の中、ヨイショに疲れて無反応でいた為、月に1回開催される飲み会に誘われなくなったのである。
だが、お客様方はそんな事など露知らず、お局様に自家栽培の野菜やお米などを献上しに来たりする。どっかの殿か何かなの?
思うところは多々あるものの、私も自分の身が可愛いので当たり障りの無い返事しかしなかった。
「もう、いっつも触ってきてさぁ!あんた触られた事ある?私だけにやってくるんだよ〜!本当やだ〜!」
そう言いながらもお局様は毎回、このおててにぎにぎおじさんの接客を自ら引き受けていた。
散々文句垂れながらも顔はにこにこしているし、きっと本当は満更でも無いんだろうなと思っている。
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