第6話 朝の出来事
お待たせしました。
「ん・・・」
辺りが明るくなってきた事が瞼の裏からも分かり、俺は自然と目を覚ます。
近くにあったスマホを手に取り、時間を確認すると6時前であった。
一応目覚ましのアラームは六時過ぎにセットしているものの、アラームで目を覚ます事は少ない。というのもほとんどの場合アラームが鳴る前に目が覚めてしまうからだ。これは学生時代から続いている習慣の産物であり、今後もこれが無くなるという事はないだろう。
ふと隣の布団を見てみると、すでに莉緒ちゃんの姿は無かったが台所の方で物音がしているのでそこに居るのだろう。
俺は起き上がって台所に足を運ぶと莉緒ちゃんが棚や周囲を確認していた。
「あっ、弘人さんおはようございます。物音で起こしちゃいましたか?」
莉緒ちゃんが申し訳なさそうな表情をして近寄ってくる。
「おはよう。俺はいつもこのくらいの時間に起きてるから大丈夫だよ。莉緒ちゃんこそこんな早い時間に起きてどうしたんだ?」
「えっと、食器と調理器具を確認していました。今日から私が料理をしますので足りない物は家から持ってこようかと思いまして」
誠也と莉緒ちゃんが住んでいた家はここから徒歩で30分は掛かったはずなので、荷物を持ってくるとなると少々大変だろう。
「それだったら俺が車を出すよ」
「えっ、良いのですか?」
「良いも何も料理を作ってもらうんだから、これくらいは当然させてもらうよ」
「ありがとうございます!」
莉緒ちゃんが笑顔で声を上げるが、料理を作ってもらう俺にしてみればむしろお礼を言うのはこちらの方だろう。
「でも、まずは食材の買い物です。冷蔵庫の中は食材がほとんど入っていなかったですし、本当にほぼ外食の生活をされていたのですね・・・」
「う~ん、独身男性の一人暮らしってこんなもんじゃないか?」
「そんな事無いと思いますよ?最近では一人暮らしでも料理をされる男性も多いと聞きますし」
「そうなんだ。まあ俺は料理をほとんどしたことが無いからやりようもないけど。それなら莉緒ちゃんが居るうちに少しでも料理を習っておいた方が良いか」
と思ったのだが、
「いいえ、料理は私に任せてください!弘人さんはお仕事でお疲れだと思いますので」
「しかし、それでは・・・」
「私に任せてください!」
なぜか有無を言わせぬ勢いで俺が言った事を却下してきた。何かおかしな事でも言ってしまったのだろうか・・・。
やはり頑固さは誠也といい勝負だなと思いながら、結局俺は頷くしかないのだった。
「弘人さん、出来ましたよ~」
テレビで朝の情報番組を観ていた時に莉緒ちゃんから声が掛かる。
テーブルに置かれた皿にはスライスチーズを上に乗せた食パンが2枚あった。どちらもトースターで焼かれていたので香ばしい匂いがする。さらに莉緒ちゃんは冷蔵庫からペットボトルの野菜ジュースとパックの牛乳を取り出して置いてくれた。
「すみませんが、今日はこれで我慢してください」
「いやいや、気にしないで。元々朝はこんな感じだったし」
「むむ、それはいけません!これでは栄養に偏りが出てしまいます」
「一応野菜ジュースも飲んでるし・・・」
「野菜ジュースは気休めにしかなりません。明日からはきちんと栄養を考えて朝食を作りますので」
「そ、それはありがたいけど、本当に簡単なもので良いよ?あまり負担を掛けるのも悪いし・・・」
「いいえ、私がやりたいだけですから。弘人さんは気にしないでください」
何だか昨日も似た様なやり取りをした気がする。莉緒ちゃんがやる気になっているのであれば、これ以上俺も遠慮しない方が良いだろう。
(そうなるとあとは・・・)
朝食を食べ始めた頃に俺はもう一つ気になっていた事を莉緒ちゃんに聞いてみた。
「ところで莉緒ちゃんはここからどうやって通学するんだ?」
莉緒ちゃんが通う高校は俺が住んでいるアパートからだと以前よりも遠くなったはずである。徒歩でも通えなくはないが、おそらく30分以上は掛かるだろう。
ちなみにであるが、莉緒ちゃんが中学生になった頃からはずっと誠也が車で送迎している。しかも毎日欠かさずである。たとえ自分の体調が悪くてもやめないという徹底ぶりであり、周りから過保護だと言われても仕方がない。
「そうですね・・・一応自転車が有りますので自転車で通おうかと思っています」
無難な答えだと俺は思ったが、それはあくまでも一般的に考えた場合である。もし自転車通学をさせている事が誠也に伝わってしまったら間違いなく怒り出し、車で送迎しろと言われるのは目に見えていた。ただ、俺は誠也と違って必ずしも定時で帰れるという訳ではない。しかもこの時期は仕事の関係上それなりに忙しく、残業で帰りが遅くなる日が多くなっていた。
(まあ出来るだけ送迎するように頑張るか・・・)
そう決心し俺は口を開く。
「学校を出る時間はいつくらいになりそう?確か莉緒ちゃんは部活に入っていると聞いた記憶があるけど」
俺の記憶が正しければ、確か文芸部に所属していたはずである(もちろん誠也からの情報である)。
ちなみに莉緒ちゃんは運動神経もかなり良い。中学時代は陸上部に所属しており、県大会でも入賞する程の実力者であったが、容姿が整っているために多くの男子生徒の目に留まり一時期は告白が絶えなかったそうだ。
その話をどこかで聞いてしまった誠也は怒り狂う一歩手前までいったようで、中学に直接乗り込んで校長に直談判をしたという話は今でも有名である。
「そうですね、だいたい18時前には終わります。といっても表立った活動はほとんどありませんので早めに帰る事も出来ますが」
俺が働いている会社の定時は17時だから、迎えに行くのも充分出来そうな時間である。
「俺が車で送迎しようか?」
俺が提案すると、莉緒ちゃんは嬉しさと申し訳なさが混ざったような複雑な表情を浮かべる。
「え?で、ですが弘人さんにご負担が・・・」
「遠慮する必要はないよ。どうせ誠也も強要してきそうだし。ただ、仕事が遅くなる日は悪いけど
自転車で登下校してもらうことになるかな」
「い、いえ、充分です!で、では、お言葉に甘えてお願いできますか?」
「ん、じゃあ早速今日から送迎しよう。いつぐらいに学校に到着すれば良い?」
「そうですね・・・8時くらいでお願いします」
「ん、分かった」
俺が返事すると、なぜか莉緒ちゃんは俺の方をチラチラ見ながら視線を彷徨わせていた。
「どうした?」
気になって聞いてみると、莉緒ちゃんは少しの間何かに迷っている様子であったが、やがて小さく頷くと意を決して口を開く。
「あ、あの、宜しければ連絡先を教えてもらえませんか?その方が色々と便利ですし・・・」
言われてみれば莉緒ちゃんの連絡先を知らなかった気がする。確かに連絡先を知っていれば色々と都合が良いだろう。
「良いよ、交換しよう」
「は、はい、ありがとうございますっ!や、やりました・・・!」
なぜか小さくガッツポーズをしているが、可愛いので良しとしよう。
莉緒ちゃんと連絡先を交換し、朝食を食べてからしばらくすると出かける時間がやってきた。
「そろそろ行こうか」
「はいっ」
2人で戸締りを確認して玄関まで来た時に俺はある事に気付き、慌てて部屋へ戻る。
「どうしましたか?」
「ちょっと待っててくれ」
俺はクローゼットの中にある小箱からある物を取り出してすぐに玄関へ向かう。
「莉緒ちゃんにはこれを渡しておく」
俺は莉緒ちゃんの手のひらに持って来た物をそっと置く。
「これは鍵、ですか?」
「そう、この部屋の合い鍵。無くさないようにね」
俺の言葉を聞いて何か衝撃を受けたような表情を浮かべる莉緒ちゃん。さらに言うなら徐々に頬が緩んできている様な・・・
「はいっ!大事にします!」
合い鍵をとても大切な物のように優しく両手で包み込むと、なぜか目や口をぎゅっと閉じた。
全身も微かに震えているように見えるが大丈夫だろうか?
「あ、ああ、そうしてくれ・・・」
とりあえず一連の仕草は突っ込まない方が良いと思い流すことにした。
鍵を掛けて駐車場まで行き、莉緒ちゃんには車へ乗るように促す。荷物は後部座席に置き、シートベルトを装着したのを確認して車を発進させる。
「どこで降ろそうか?誠也のことだからどうせ校門前まで送ったんだろうけど」
「そうですね・・・では校門から少し離れた場所で降ろしてもらえますか。お父さんは毎回校門前まで送ってくれるのですけど、まだ入学して間もないのでちょっと目立ってしまって・・・」
困ったような笑みを浮かべる莉緒ちゃん。確かに他の生徒にしてみればまだ見慣れた光景ではないだろうから、注目を浴びるのも仕方ないと言える。
しかも誠也は周りを警戒するように声を張り上げながら話すから、余計に恥ずかしい想いをするだろう(実際に何度か目撃したことがある)。
「分かった、それなら学校近くの公園辺りで降ろそう」
「すみません、態々送っていただいているのに我が儘を言ってしまって」
「いや、気にしないで。莉緒ちゃんの気持ちも分かるし」
誠也の話もしながらしばらく雑談していると、あっという間に目的地に到着する。
「終わったら連絡してほしい」
「分かりました、必ず連絡しますね」
「よろしく。じゃあ・・・いってらっしゃい」
すると莉緒ちゃんは満面の笑顔で、
「はいっ、いってきます!」
と答えるのだった。
お読みいただきありがとうございます。
そろそろ本格的に寒くなってきそうなのでダウンコートをクリーニングに出しました。
皆さんも体調管理にはくれぐれもお気をつけください。