第4章 Jardin secret ~秘密の花園~ 第九話
饗宴から数日後のことです。
ローザタニアに戻って来られ、相変わらずのんびりと平和に過ごされているご兄妹。
ですがなにやら隣国では少し不穏な様子があるようで…
さぁ第九話の始まりです。
月明かりだけが静かに輝く夜のことです。
ブルネイの豊かな髪をカールさせ、茶色い瞳に真っ白な肌を輝かせたある一人の少女が夜道を足早に歩いておりました。
「バードリー神父様のところに懺悔に行っていたら遅くなってしまったわ。早く帰らないと…」
少し人里離れた場所にある教会を出て家路を急ぐ途中、少女を包み込むように霧が辺りを立ち込めました。
「やだ…霧が出てきた…」
少女はさらに早足で歩き始めます。丘を超えて湖の近くを歩いている途中、更に見通しが悪くなったために少女は道を間違って森の中へと迷い込んでしまいました。
「…森に迷い込んでしまったのかしら…。しかもここ、確かずっと空家のお屋敷の近く…?」
少女は気を紛らわそうとブツブツと独り言を言っております。誰も居ない森の中、フクロウの泣き声が響きわたります。
少女は暗くて寒い森の中でだんだんと方向が分からなくなっていき、右往左往して森の中を彷徨っておりました。
パキッと誰かが木の枝を踏む音が聞こえ少女は恐る恐る音のする方向に顔を向けたその瞬間、目にも止まらぬ速さで何かが駆けてきて一瞬で少女を抱きかかえるように捕まえました。
獣のように荒い呼吸で迫ってくるその何か―――…は黒いマントを頭からすっぽりと被った男性の様でした。
少女は恐怖の余り声を出す事も出来ずに硬直して震えておりました。
ニタァッと涎を垂らして笑うその黒いマントの男は、少女の首筋にそっと自分の唇を這わせました。
そして次の瞬間、少女は首筋に熱い痛みと今まで感じたことの無いくらいの甘く痺れるような感覚を感じました。
見開いた瞳にだんだんと力が無くなっていき少女はその男にしな垂れるように倒れ込みます。
男は再びニタァッと笑うと、少女を抱きかかえたまま森の奥深くへと姿を消していきました。
静かな夜このと。
このことはお月様だけしか見ている者はありませんでした―――…。
・・・・・・・・
さて、ウィリアム様、シャルロット様のグララスのご訪問から約2週間後のことです。今日もお城では平和な一日がゆっくりと流れておりました。
穏やかな初夏の日差しの下、ウィリアム様とシャルロット様はお庭で少し早い時間ではありましたがランチをいただいておりました。本日のランチの8種類のサラダ、そしてラム肉とビーンズの赤ワイン煮をぺろりと召し上がられ、今は食後のお茶を楽しんでいらっしゃいました。
「今日のサラダ美味しかったわ」
「そうか、よかったな」
「何だか最近お野菜が美味しいって思えるようになってきたの」
「お前も大人になったなあぁ」
「そうかしら。だといいんだけれど」
「おや?」
「?どうしたのお兄様?」
ウィリアム様は持っていたカップをカチャンっとテーブルに置き、少し驚いた面持ちでシャルロット様を見返しました。シャルロット様は意外な反応を返してきたえウィリアム様を見返します。
「いや…ついてっきり、『んもぅ!子ども扱いしないでっ!』とかのプリプリ怒りながらの反論が来るのかと思っていたから少し驚いてしまったよ」
「やだ、お兄様ったら!シャルはもう立派なレディーよ?そんなことで怒ったりしないわ」
「そ…そうか」
「へぇ…立派なレディ…?この間東の塔の屋根に上ってドレスを汚しまくった人が立派なレディですって…?」
「ヴィ…ヴィーッ!!」
フフンっと勝ち誇ったように笑っていたシャルロット様の背後からニュッとヴィンセントが姿を現し、横目で蔑んだような冷たい目でシャルロット様をご覧になってハッと嘲笑しました。
「んもぅ…っ!いきなり背後から現れないでよっ!ビックリしちゃったじゃないっ!!」
「『んもぅ…っ!いきなり背後から現れないでよっ!ビックリしちゃったじゃないっ!!』…立派なレディーとは程遠い返しですねぇ」
「な…っ」
「…ったく。いいですかぁ姫様、立派なレディとは知識も教養があり、品行方正、お淑やかであることです。つまり14にもなってお城の屋根に登るような野生児はレディーではないのです」
「だってノアが気持ちよさそうにお昼寝していたんだもの。だからどれくらい気持ちいいのか確かめたかったのよ」
「…猫と同等にならないでください。危ないから」
「え~?でもそんなに高い屋根でもないし、落ちたとしてもあそこは下に牧草がたくさん積んである場所でしょ?大丈夫よ」
「いやいやいや…危ないから止めてもらえます?」
「え~?でも今まで落ちて怪我したことないし大丈夫よ?」
「うん、でも皆心配するからやめなさい?」
黙ってシャルロット様とヴィンセントのやり取りを聞いていたウィリアム様も優しい穏やかな口調でさりげなくそうお伝えしました。
「まぁ確かにお前は身軽で運動神経も良いし大丈夫だとは思うんだがね、でもやはり万が一と言う場合もあるんだ。もしそうなってしまった場合…そうでなくても骨折とか大けがもした場合、ここに居る皆は悲しみに暮れてしまうし、お前を止められなかった後悔の念に駆れてしまう。そんな悲しい思いさせたくないだろう?」
「…えぇ」
「もしこれをした場合どうなるか、としっかり考えて行動しなさい。お前の行動の結果、周りの人間がどう思うか一度立ち止まって考えなさい。お前はお前が思っている以上にたくさんの人たちに支えられて生きているんだ」
「…分かったわ…。これからもう少し色々考えて行動するように心掛けるわ」
「うん、いい子だ。さぁデザートの時間だ」
にっこりとウィリアム様は少し俯いてしょんぼりされているシャルロット様に微笑まれると、いつの間にかすぐ傍でデザートの準備をしていたセバスチャンに合図を出しました。セバスチャンはスッと会釈をしてテキパキとデザートのレアチーズケーキをお二人の前にセッティングし終えました。
「本日のデザートはレアチーズケーキでございます。ソースはオレンジソースをかけております。どうぞお召し上がりください」
スッとお辞儀をして、セバスチャンは少し離れたところに置いてあるワゴンの近くで控えました。
目の前にある美味しそうなレアチーズケーキを前にシャルロット様はウキウキが止まらないようで、すぐさまいただきま―すっと頬張りました。
「美味しい~❤幸せ❤」
「…デザート食べただけで幸せだなんて…まだまだお子ちゃまですね」
「愛らしくていいじゃないか。おや…穏やかではない事件が載っているなぁ…」
ふぅ…と呆れて溜息をつくヴィンセントにケラケラ笑いながらウィリアム様は答えると、テーブルの端に置いていた新聞を手に取り一面に目をやって大きな独り言を呟きました。
「あぁ…グララスの事件ですね。そう言えば陛下がジョージ陛下とお会いする前に警察署長と面談されていたとお伺いしましたが…まさかその件だったんでしょうかね?」
「面談の内容は詳しくお聞きしていなかったんだがその可能性は高いな」
「?なぁに?グララスで何かあったの?」
ペロリとデザートを平らげてしまったシャルロット様は首を傾げて重い雰囲気で話されているウィリアム様とヴィンセントに尋ねられます。ヴィンセントはジッとまた少し呆れた風にシャルロット様を見つめ返します。
「…姫様新聞読んでないでしょ」
「読まないわよ新聞なんて」
「…ったく少しは新聞でも読んで世間のことを知ってください。社交界の話題についていけませんよ?」
「だって読んだら眠くなっちゃうんだもの」
「…」
信じられないと言った目つきでジーッとシャルロット様を見るヴィンセントをなだめます。そしてウィリアム様は新聞を読みながらシャルロット様に説明するように話し出しました。
「ここ3ヶ月くらいグララスで若い女性の行方不明事件が起きているらしいんだが…その行方不明になった女性の死体が何体か発見されたらしいんだ」
「まぁ…怖いわ」
「しかも皆身体から血を首筋から抜き取られた跡があるらしい」
「まるで吸血鬼みたいね」
「そう言えば…200年前にグララスで同じように女性が血を首筋から抜き取られた吸血鬼事件があったみたいなことを仰っていたなぁ」
「そう言えば確かジョージ陛下が仰っていたわね。でも…吸血鬼なんて迷信じゃないの?」
「まぁな。…おおかた犯人はその事件に触発された人間の模倣犯だろうがそれにしても気味が悪い事件だな。グララスは隣国だが気を付けるに越したことは無いな」
「そうね…」
重苦しい話題にせっかくの穏やかなランチタイムが沈んでしまったところ、ばあやの上ずった甲高い声が遠くから聞こえてきました。
「姫様~っ!姫様ぁ~っ!!」
少し頬を赤く染め、ニンマリとした表情で全く出来てはおりませんでしたがスキップの様な軽快な足取りでウフフフフ…とニヤつきながらお庭へとやって来ました。
「どうしたんですかばあや。ついに姫様を心配し過ぎておかしくなってしまいましたか?」
「もぅ!ヴィンセント様ったらっ!!ばあやはいたって正常ですよっ!!」
「一体どうしたのばあや、そんなニヤニヤしちゃって」
「うふふふふふふ❤んもぅ、シャルロット様も隅に置けませんねぇ❤」
「なによ、なにが隅にも置けないの?」
「じゃーんっ!!」
ばあやは勢いよくパッと皆の前に後ろ手に隠し持っていた何かを差し出すとウィリアム様とヴィンセントが同時にハモッて「あ」と口にし、シャルロット様は大きな目をさらに大きくして驚かれました。
「バラの花…」
「先程用事で街から帰ってくる時にね、お城の門の付近でとあるイケメンの殿方に呼び止められましてねぇ…。こちらを姫様にって手渡されたんですよぉ❤」
「もしかして…その方、お兄様たちくらいの背丈で、金髪にシルバーアッシュの…」
「そう、そんな感じの方でした!陛下とはまた違った少し大人の香りが漂う紳士でしたよっ❤」
「カルロ様だわっ!!」
シャルロット様はばあやから手渡された赤色に近い鮮やかなピンク色のバラがたくさん入っている花束を見つめて優しく微笑み、ほんのりと頬がピンク色に染まりました。
「良い香り…」
「見事なバラですねぇ~!ひいふうみぃ…12本の赤いバラの花…!んまぁ~っ!!」
「なぁにばあや…12本だと何かあるの?」
「12本の赤いバラの花束の花言葉ですよ」
「?」
「『私と付き合ってください』っていう意味があるんです」
キャーキャー一人で盛り上がっているばあやを見て小首をかしげるシャルロット様に向かって、ヴィンセントは小馬鹿にしたようにふぅ…っと息を吐きながら花言葉を教えて差し上げました。
「やだぁ~!ばあやったらっ!!そんなんじゃ全然ないわよ!きっとたまたまよ!それにカルロ様とは最近お知り合いになったばかりだし。カルロ様とはただのお友達よ」
「いいえ姫様っ!!姫様はそう仰っていても向こうはそうはお考えではないかも知れませんよっ!」
「そうかしら?」
「そうですよ~!!」
「う~ん…何だかよく分からないけれど…まぁいいわ。このお花…お部屋に飾ろうかしら」
「でしたらクリスタルの花瓶が合いますね。確か…宝物庫の方にあったかと」
「じゃあ取りに行くわ」
「あ、ばあやが行きますよ」
「ううん、自分でやりたいの。じゃあお兄様、シャルはこれで失礼しますわ」
ペコッと会釈をしてシャルロット様は上機嫌で足早に席をあとにしました。その後を慌ててばあやが駆けてついて行きます。その場に残されたウィリアム様とヴィンセントは一連のやり取りを見て少しポカーンとされておりました。
「…あの姫様がフランツ王子以外からプレゼントをもらう日が来るとは夢にも思いませんでしたねぇ。ここりゃあお赤飯を炊く日が近いかも知れませんね」
「…」
「あ…すみません。少し冗談が過ぎました」
「…いや、いつかはこういう日が来るだろうから別にいいんだが…ちょっとまだ心の準備が出来ていなかったから面食らってしまったよ…」
「陛下…」
「まぁシャルももう14だしな…この間のパーティーの時もシャルと踊りたいと言って居た奴がいっぱいいてたし…まぁ…別に…」
「陛下…動揺されてますね」
平静を装いながらも、手に取ったカップがカタカタと震え続けているウィリアム様を見てヴィンセントはやはりシスコン…と言いたい一言を飲みこんですかさず呆れたようにツッコミを入れます。
「ど…動揺なんてしてないさ。何を言っているんだヴィー…」
「いやいや…めちゃくちゃ手ぇ震えておりますけど」
「気のせいだろう…」
あはははは…と笑いながら、ウィリアム様は震える手をもう片方の手で支えてゆっくりとカップをソーサーの上に置きました。しかしまだ動揺は続いているのか、カタカタとカップは鳴り続けます。
「しかし…カルロ伯爵か…。まぁ先日会った時の印象はそんなに悪くはなかったんだが…」
「少し浮世離れされている感じはお見受けしましたがね」
「あぁ。世界中を旅していると言っていたな。だからだろう」
「年齢は我々よりは上でしょうね。おそらく…30前くらいでしょうか」
「仮に30だとして…16歳差か…」
「まぁフリードリヒ様とマグリット様も10つ違いでしたし…。ナルキッスのジョージ陛下とマリー皇后も15歳差だったと記憶しております」
「そう言われればそうだったな…」
「ありっちゃありですね」
「…カルロ伯爵について、調べられるだけ調べてくれ」
「承知いたしました」
「…今すぐもの凄く濃くて重たいワインが飲みたい…」
「ダメです。この後会議ですから」
はぁ…と溜息をついて頭を抱えるウィリアム様にピシッと容赦なくヴィンセントは突っ込みます。その言葉に酷い奴だ…と言わんばかりの眼差しで見つめるウィリアム様に対し、さらに呆れた顔でヴィンセントは見つめ返しておりました。
「…ヴィー」
「はい」
「今夜付き合えよ」
「ショウチイタシマシタ」
はいはい…と溜息をついてヴィンセントは空を見上げると白い雲がゆっくりと空を横切って流れていきます。スゥ…と軽やかな風がヴィンセントの銀糸の様な髪を揺らして通り抜けました。
「やれやれ…今日も我が国は平和ですねぇ…」
常套句のようにヴィンセントは呟きます。そしてチラッと横目でしょんぼりとして少し元気のないウィリアム様を見てしょうがないなぁとまた溜息をつくと、そろそろ会議の時間ですと促しました。
のっそりと立ち上がったウィリアム様は、はぁ…とまたこちらも深い溜息をつき気持ちを落ち着かせると、キリッと気を引き締め直してお城へと戻って行かれたのでした。




