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目を開けると、空の色が眠る前と違っていた。じきに夜がやってくるのだろう。
祖父母はまだ眠っているようだ。
「…水、飲む…?」
起きていた弟妹は、オレの両脇にちょこんと座り、オレの手を握りしめていたようだ。
ペットボトルに直接口をつけたことなどないだろうから、実践で飲み方を見せて教えた……にもかかわらず、一方は水が気管に入ってしまったのか、ゲホゴホと激しく噎せ、もう一方は口の端から水を溢してビショビショになっている。
何でそうなる…?
仕方なく、ペットボトルを持ち、慎重に弟妹の口元で順番に傾けてやる。
余計な神経を使った…。誰かにグラスを探してもらおうと誓いながら、濡れた上着を脱がせる。
ちなみに、傍にケイトリーの姿はなく、護衛は荷物を運んだりする作業ロボットになっていた。盗賊を撃退する実力を持つので、護衛として遜色はないと思われる。人工AIを持つのは一体だけで、残りは命じられたことを粛々とこなすロボットだ。落下の衝撃で破壊された移動カートの修復をしているので、護衛とともに命じられているのだろう。
そんな事を思いつつ自分も水分を補給すると、医療シートの入口に、Dキューブとタブレットが置かれていた。
Dキューブは、3Dホログラム装置だ。データ取得のためにスキャンする範囲はキューブを置いた地点から一キロ四方。立体的にスキャンして無機物を投影してくれる。目で見えない場所も立体的にわかるので便利だ。生命位置探索機能と連結させれば、人の動きも表示できる。
「……思っていたより壊れた島だったんだな」
正しくは壊された島だろう。明らかに人の手が入った痕跡がありありと残されていた。
上から見た時は気付かなかったが、島の中央から少し外れた場所の地面がえぐれて大きな穴があった。穴の側から島の端に向かって大きな岩が乱雑に積み重なって出来た岩の山があり、ひときわ大きな岩が散乱している側から島の側面の岩肌を削って階段が作られている。地中を掘ってトンネルのような穴が二つあるので、岩の山はこの階段やトンネルを掘削した時の物だろう。
島自体は自然豊かなだけに、あまりにも雑な仕事が残念でならない。
「……島の地中に価値のあるナニかがあったとしても、島の未来を考えて無さすぎじゃない…?」
見事な円形に大地を削り出す技術がある事が立証されているからこそ、中途半端な掘削跡が不自然と言うか、違和感の様なものを醸し出している。
「気分はどうですか?」
真剣にホログラムを見ていたらしい。イーシャンが様子を見に来たようだが全く気付かなかった。イーシャンの手にはソーラーパネルシートの蓄電機がある。どうやらこの世界の太陽でも、役目を果たしてくれたらしい。
「耳鳴りは無くなったよ」
ダルさも寝る前よりは軽くなった気がする。
「そうですか。食事を持ってくるようにメリーに伝えておきますね」
「ああ、うん…」
現金なもので食事を意識した途端、空腹を訴える腹に苦笑する。
「この世界の太陽でも、充電が出来るのは僥倖でした。夜空様、この後ですが医療シートが入る大きさのキッズハウスに造らせますか?それとも、旦那様のテントを張りますか?」
キッズハウスの大きさを考えれば、いくつ組み立てなければいけないのかとオレが眉を潜めてしまう。
「……じじ様のテントで。屋根だけのがあったよね。あれで良いよ。それよりイーシャン、何か分かった?」
「いえ、残念ながら何も。惑星システムとは繋がらず、宙に浮かぶ島々、我々に理解できない言語とくれば、未開の惑星……あるいは、旦那様と奥様が憧れていた異世界ということでしょうか。信じられませんが」
進展なし、とわかってガッカリするも、見逃せないワードに気付いた。
「……理解できない言語って?」
「光が収まってから、聞こえてきた声のことです」
「……普通に聞こえてたよ?」
「えっ?」
驚くイーシャンに凝視されたせいで、一瞬、オレだけに聞こえた幻聴かと思いかけたが、それにしては胸くそ悪い内容だったので、幻聴ではないと思いたい。
「……えっと、誰もいないじゃないか、ゴミだけ持ってきてって怒った声と、ゴミは勇者と聖女だけで良いから、そのゴミは森に落とせって言った女と、男の悲鳴でしょ?」
「……夜空様には理解できたのですか?」
「普通に聞こえてきたからね。二人は?知らない言葉に聞こえた?」
幼い弟妹に聞くと、二人ともフルフルと首を横に振った。
良かった。アレがオレだけに聞こえた幻聴なら、完全に病んでいる人だよ、オレ。
「……正確に、何と言っていたか、もう一度聞いて教えていただけますか?」
「良いけど…」
あの時点で録画してたの…?
「直ぐに準備します!」
そう言って居なくなったイーシャンは、セバスと共に戻ってきた。
「夜空様、彼らは何と言っていますか?」
渡されたタブレットには、オレが見ることのなかった光景が映っていた。
ドレスを着た若い女性と帯刀している若い青年。黒いローブを被った集団。
「わぁ、まんまばば様知識アニメの悪役じゃん」
「我々も同感です。それで、会話は普通に聞こえていますか?」
「うん」
セバスに言われて頷く。一言一句、普通に聞こえている。
タブレットを操作し、映像から聞こえる台詞を打ち出した。
「……なるほど。これは信用出来ない類いの輩ですね」
セバスは何度も聞き返しながら、眉を潜めた。
「うん。会話に悲鳴だけでヤバい奴等だってわかったから、名乗りあげない事にしたんだと思ってた」
存在を気付かれていないなら、場を制圧しても利がない。
「正しい判断です」
セバスは満足そうに頷いた。
「何故、我々は理解できないのに、夜空様は理解できたのでしょうね?」
イーシャンの疑問に答えたのは、セバスではなかった。
「それは、召喚された人のチート能力の一つ、言語理解が作用したからよ!」
「セバス達は人間ではないから、作用しなかったのだな」
断言するばば様に、納得するじじ様。
「……目が覚めたなら、夜空様と言語認識が同じか確認していただけますか?」
セバスがタブレットを渡すと、二人は仲良く一つのタブレットを一緒に覗き込む。
「一言一句、夜空と同じだ」
「そうね、同じね」
頷き、タブレットをセバスに戻した。
「言葉と文字の情報が足りませんね。会話を集めないといけません」
「やることが多いですねぇ」
人間らしく溜息を吐いたイーシャンは、メリーが食事を運んで来たので医療シートの入口を開ける。
「申し訳ないのですが、今夜はご不便をお掛けします」
メリーが申し訳なさそうに食事を置く。
「いやいや、体調も少し回復した。今夜はこのまま野宿気分を楽しむよ」
「そうですね。登山でのテントとは少し違いますが、これはこれで楽しみです」
「ポジティブですねー」
朗らかに微笑む祖父と、嬉しそうな祖母の様子に、苦笑しなから飲み物を準備するイーシャン。
「自分達は何も出来ないからな。優秀な者達が動いているなら邪魔はしたくない」
「一人ではないなら、何事も楽しまないと!」
ポジティブというより、異世界の可能性にテンションが上がっているだけのような気がする。
「……そうだね。いただきます」
「「いたーきましゅ」」
漸く環境にも慣れたのか、側から離れないのは相変わらずだが弟妹もオレの真似して両手をあわせてスプーンを握った。
「ワシ等も食べるか」
「そうですね。温かいものは温かい内に、です」
久しぶりに食べたリゾットは美味しかった。
「さて、これからどうする?」
食事が終わり、幼子がウトウトしだしたので祖母が二人を寝かしつけている。
「……えっ、オレに聞いてるの?」
辺りには護衛としてケイトリーが端末を操作しなから座っているが、祖父の視線はオレを見ていた。
「惑星システムと通信出来ないと知っても、夜空はワシ等ほど絶望はしていなかっただろう?」
ああ、なるほど。そこか。
「……スラムで生きていた頃は、惑星の恩恵なんてなかったから、あんな感じかなって思ったんだ。それだけ」
「……そうか」
深刻そうに呟いた祖父には申し訳ないが、オレは祖父母に引き取られてからも、いつか捨てられてあの頃の生活に戻ると思っていたからそんなに絶望を感じなかっただけなのだと思う。
オレの母親は、オレを生んで生活費と養育費を父から貰っていた。六歳まで、オレは時々やってくる父と過ごした記憶がある。だが六歳の誕生日を最後に、父が社長になってオレのところに来なくなった。やがて、正式に他の女と結婚したらしいと、役立たずと罵る母に叩かれながら知った。
父に会わなくなってから二年後、結婚した父と正妻との間に子供が出来たことで、母は手切れ金を貰って身を引いた。そして、その金を全部、自分の事に使うためにオレを捨てたのだ。
スラムに捨てられたオレは、幸いなことに死ぬ直前で優しい人に拾って貰えた。
子供達を束ねてギャングのような事をしている集団だったが、幼い子供には優しかった。食事を与え、服を与え、生きるための全てを教えてくれた。
卑怯でも汚くても、生き残れ。帰ってこい。
そう言ってくれた彼等に、お帰りと言って欲しくて必死に生きた。
スラムを承認していない政府に雇われた傭兵が、ゴミとしてスラムを人ごと焼き払って処分しに来る。その時は、なりふり構わず逃げるしかない。命があるだけラッキーだし、生きられる所を探し歩けば、自分が何処に居るのかなんてわからない。それでも、似たようなギャングは何処にでもあって、所属を表す刺青があれば受け入れて貰える。
犯罪であろうと、生きるために色々やった。
そんな時、未開の惑星探査に協力して欲しいと政府の役人がやって来た。
スラム出身の若者を傭兵として雇いたい、と。働きによっては新たに発見された惑星の市民権を与えるという餌を持って。
政府はスラムを減らし、スラムに住む命は人間として生きられる可能性を得る。
利害は一致した。
中には政府など信じられないと断る人も多かったが、若い命は未来を夢見た。ゴミではなく人間として生きられる未来を。
健康診断が行われ、船に積み込まれる筈だったオレは、何故か父の元に送られた。
数年ぶりに再会した父とは抱擁などはなく、会話も母が死んでスラムに落ちたのかと問われただけなので、捨てられたと答えた。父との会話はそれだけだった。
その後、何があったかは知らないが、施設に入れられ、教育を施されると祖父母に引き取られた。
今思えばこの時に、父から母が亡くなっていると教えられたわけだが当時は全く気付かなかった。
母の遺品にオレの荷物が一つも無いことから、父は何かしら思うことがあったのだろう。
祖父母に引き取られてすぐイーシャンから、母が提出した行方不明者捜索の解除手続きや遺産がどうとか言っていたが何もわからないので丸投げした。その際、金目当ての暴漢に襲われたと聞いたが、実の子を捨ててそこそこ派手に男漁りしながら遊んでいたそうなので自業自得だろう。
そして今がある、訳だが…。
正直、スラム時代と今の状況を比べた所で意味はない。何一つ、一致していないのだから。
「食料も水も取り敢えずは心配ないし、住む場所ももうじき完成する。命を守ってくれる護衛が居るし、生き残るための知識もある。コンピューターが起動すれば統一されるし、通信や演算も可能になる。何とかなるんじゃない?」
セバス達が居れば、食事も服も心配ないし、病気や犯罪者からも守られるに決まっている。
ラウムがいれば、例え岩の洞窟であろうと快適空間が約束される。
コンピューターがあれば、一定の距離なら離れていても通信で意志疎通が出来るし、データが揃えばこの地で生きていくために必要な演算を行い正しい言動を教えてもらえるだろう。
「……そうか…?」
不安要素など何処にもないのに、何が心配なのだろう。
「情報収集は始まってるし、あの時の映像を撮っているくらいだから、セバスはあの集団にもスパイを放ってるでしょ。コンピューターが起動すればそのスパイとも通信できるし、言語も理解するのは早いだろう。ここが何処なのかも、何故こうなったのかも、待てばわかるんじゃない?」
「そうだな…」
「わからないことを心配してもしょうがないよ。じじ様もばば様も言っていたじゃない。今を楽しまないと、って。まずは足手まといにならないように体調を整える。今のオレ達には、それしか出来ないよ」
「うむ。寝るか」
「うん、寝よう。おやすみなさい」
オレもまだまだ子供なので、目を閉じると睡魔は直ぐにやってくる。
「……夜空はまだ、あの頃に囚われているのだな」
「……スラムで生きた三年間は、そう簡単に忘れられる経験ではありませんもの、仕方ありませんわ」
「……三年か…どんなことがあったのか、想像も出来んな。ワシ等の罪は、深く重い……バカ息子め…」
「……だからこそ、私達が傍にいてやらねばなりません。夜空を再び一人にしなかった……それだけが幸いなことでしたわ」
「……そうだな」
薄れていく意識の中で、祖父母のそんな会話を聞いた…気がする。
言語理解はチート能力の定番