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「何だ、コレは…」
「……誰もおりませんわね」
「貴様等、こんなゴミばかりを集めおって!この私をバカにしているのか!?」
「も、申し訳ございません、殿下!対象が移動した為、魔法陣を広げたのですが…」
「誰も居ないではないか!」
「申し訳ありません、王姉殿下!」
「王弟殿下、お許しを…!」
「ふざけおって!」
「ぎゃあぁ」
「ひいぃ」
「困りましたわねぇ。召喚に必要なモノは決して安くはないのですよ?異世界のゴミクズは、使い捨てできる勇者か聖女だけで十分ですわ」
「くだらん!時間の無駄です。帰りましょう、姉上」
「汚らわしい異世界のゴミは、魔の森に落としなさい。次の準備を急がせてちょうだい」
「姫様、生け贄を集めるのに少し時間が必要となりますな…」
「目を付けられるのは困ります。慎重に進めて下さる?」
「はい、わかっております。辺境……村…幼い…」
ゆっくりと、だが確実に自分達が落ちているとわかる。それは遠ざかる声と肌に感じる風と音からも伝わった。
会話の途中から、頭を覆っていたモフモフが消え、目を開けられるようになったが、しゃがみこんでいたオレの位置からは、荷物に視界が遮られていて話している人が誰なのかわからない。
ただ、屋内だったはずの場所が、空の下に変わったことだけは確かだ。
そして、誰かはわからない人達の会話を聞いたからこそ、己の存在を知らせる、という選択肢は無い。
それは離れた所に居る祖父母達も同じようで、お互いを支えながら、セバス達に囲まれていた。
祖父の手は、待機を示しているように見える。
聞こえた悲鳴にビクリと震えた幼子を更に強く抱き寄せ、泣くなよ、という気持ちを込めて抱き締めた手の指で口を僅かに塞いだ。指の下できゅっと唇に力が入った事を感じ、親指で小さく頬を撫でる。
訳のわからない状況に、一人ではない事にホッして不意に見上げた空。
視界いっぱいに広がる蒼い空。
創られた青の向こうに広がる深淵の闇が透けることの無い、どこまでも澄んだ蒼。溶けて消え、一つになれたら。そんな倒錯的な思考さえ抱かせる。
地平線まで広がる木々の深い緑。
区切られた場所にところせましと、だが計画的に成長を管理されて植えられた木々とは違い、力強く雄大に広がる緑。同じ緑の筈なのに、一つも同じには見えない濃淡が、生命力の強さを表している。
落ちていく恐怖が緩和できてしまうくらい、美しい色の広がりに魅せられる。
『ああ、綺麗だな』
もっとこの景色が見たい。本気でそう思っている事になによりも自分自身が驚いた。
「……夜空様、傍を離れる許可を頂きたく」
ハッと我に反る。
視界に崖の絶壁のようなものが写るが、それが崖では無いことはすぐに理解できた。
大岩のようなものは宙に浮かんでいたのだ。
岩の底にある窪みに、淡く光る石があるのも見える。
「あのヤバい奴等に見付からないなら許可する。必要な事をやって。それと、可能ならあの光ってる石みたいなの、調べてみて」
頷いた視界から消えた補佐が何をするつもりなのか全くわからないが、全幅の信頼を置いているので、報告があるまで放っておく。
「……このまま落ちるのが確定なら、あの不思議島に激突しない?いっそ飛び移る…とか?」
明滅する半透明な光の床から下が見える。
自分のいる宙から地面らしきものまでの距離を理解した途端、身がすくむ。高所恐怖症ではないが、流石に背筋がゾワゾワする。
無理矢理思考を変え、視野を広く取り、遥か下に広がる大地に人里がないか探すが、目に見える範囲には大きな人工物は見当たらない。生い茂る緑は、あまりに広大過ぎて、仮に生きて無事に地表に降りられても、長いサバイバル生活しか予想出来ない。
見上げれば、見えるのは淡く光る岩の底。
そして、辺りを見回せば、空中に浮かぶ島々。ソコには人工物がチラホラ見える。
問題は、浮かぶその島に自由に行く手段がない、ということ。
「……そうですね。この現象がいつまで持つかわかりませんので……自分が降りてみます」
自分を落ち着かせるための独り言のつもりだったのだが、ケイゴがそれに反応してしまったようだ。
意図せず提案になってしまったが、オレには発言の責任はとれないぞ。
「待って。アレが本物かどうか、確かめてから行って」
顎で荷物を示す。
「……お気遣いありがとうございます…」
水のペットボトルを手に取り、投げ付けるように放り投げる。
オレには小さなペットボトルがどうなったかは見えないが、人間ではない護衛には見えている筈だ。
「バウンドしているので本物の地面のようです。音や衝撃に寄って来る生き物も無いようです。行きます」
「ああ、気を付けて…」
躊躇など一切せず、潔く飛び降りたケイゴ。その姿は直ぐに小さくなっていく。少しずつ淡くなる足場の光に恐怖心が芽生える。
光が消えたら、オレが予想したペットボトルと同じ未来しか描けない。
「……どんな原理だろ…」
触った感触はつるつるした床だ。
明滅によって感触が変わることはない。
だが、落とせ、という言葉が出るまで、足場の光は明滅していなかった。故に、予想する未来は光の床が消え失せ落下する、それしか連想できない。
「夜空様、このままでは地面に衝突の可能性がありますので、私が夜空様を…」
「私がお二人を抱えて飛びます」
メリーとメイの提案に拒否権はない。むしろ、オレから頼みたい。
落ちている感覚は変わらないが、速度が増したような風切り音のせいで動悸が止まらない。
「ああ、やっぱ、ペットボトルと同じになるかもしれないのか」
「はい。時間の猶予がありませんので失礼致します」
ヒョイと軽くお姫様だっこされたオレと、両脇に荷物の様に弟妹を抱え、二人は高く大きくジャンプ。
「……」
仕方ないとはいえ、メイドにお姫さまだっこされるなんて、屈辱だ。
「島からこぼれ落ちはしなかった、か?」
荷物が大きく跳ね、場所によっては崩れたり中身が転がり出したりしているが、大破と言うほどではない……ように見える。荷物が密集しているが故の錯覚かもしれないが…。
「はい、そうですね。しかし、生身の肉体であればミン……骨折は免れなかったかと」
ミン…?ミンチって言いたかったの?こわっ!
「な、なるほど。無事に降りたら、荷物の損傷の程度を調べてくれる?何がいくつあるのかも知りたい」
「承知しました」
ストン、と大した衝撃もなく地面らしきものに降り立った二人は、オレ達をそっと腕から降ろす。
「じじ様とばば様は?」
「あちらに。血圧の上昇の他、バイタルに多少の乱れはありますが、直ぐに命に関わるような大きな異常はありません」
ホッと安堵の息を…。
「うおっ!」
トンっ、と軽い着地音と共に上から降ってきたのは、耳の長いモフモフ。
「びびった…」
「……ただいま戻りました」
ブルーグレーのソリッドカラーなウサギは、ネイビーブルーの燕尾服のジャケットとベージュのベストを身に付けている。モデルは不思議の国のアリル……アリス、だっけ?本の物語に出てくるウサギらしい。ちなみに衣装は、ばば様チョイスだ。
オレ専属の世話役兼護衛のアニマロイド。名前はシュート。モフモフが結構気に入っていたりする。
石を調べてこいとのオレの命令に従っていたからその内、上から落ちてくるとは思っていたが、着地の衝撃が少ないことに驚いた。最悪、あの足場が衝撃で霧散する覚悟もしていただけに、本当に驚いた。あの高さからの落下で破損がない事にも驚いた。何で?
「どうだった?」
「夜空様が気にしていた通り、あの石に何らかの仕組があるようです。大岩が浮いていたのは、この石が支えていたからのようです」
ブルーグレーのウサギが両脇に抱えている淡い光を放つ石は、アニマロイドのシュートを僅かに宙に浮かせている。
見た目の可愛さとは違い、当然ながら生き物ではない人工物のウサギは重い。それを浮かせるって、どれだけ浮力があるのだろうか。
「……これ、どこかに行かないように固定できそう?」
「……そうですね、取り敢えず、袋に入れてこの島の木にでも縛り付けておきましょう」
「頼んだ。オレは合流しとく」
恐怖体験に茫然自失で地面にへたり込んでる弟妹を脇に抱える様に持ち上げ、ヨロヨロと祖父母の元に向かう。
「無事か?」
流石、年の功。緊急事態により声は掠れているようだが意識はしっかりしている。若干、顔色が悪いのは、状況を正しく理解しているせいか、それともダイブによる影響かはわかりかねる。
「何とか。気分は?」
「……少し、頭が痛い。息苦しい、な」
「……少し、息が乱れるわ…」
祖父はセバスに、祖母はイーシャンに姫抱っこされて島に降り立っていた筈だ。
診察しているイーシャンは祖父母が現役の頃からの医療や研究の専門職なので、二人の事は本人よりもわかっている筈だから任せておけば問題ない。イーシャンの目は医療系アンドロイド特有の機能で、心拍や体温、血圧程度なら見ただけでわかるらしい。
セバスは既に落下したコンテナの確認に向かったようで、姿は見えなかった。
「恐らくですが、重力の違いと高所の関係、空気にも異常があるのでしょう」
空気にも?
うん、気付かなかったことにしよう。
「……ばば様知識の高山病?」
「それだけではありませんが、そんな感じです」
微妙にアッサリと認めた。
ばば様知識とは、今は廃れた漫画や小説、ドラマという旧時代の娯楽から得た知識の事を指す。
「まぁ、これが、高山病…」
「うむ、喜べん、な…」
非常に苦しそうに会話するくらいなら、黙るべきではないだろうか。
イーシャンが弟妹を受け取りながらオレを見る。
「夜空様、自覚症状はありますか?」
つまりは、オレも高山病らしい。
「……ダルいし、息が…苦しい。あと、耳鳴りが、止まらない」
「耳鳴りは気圧の関係ですかね。全員、バイタルが正常値に戻るまで隔離シートの中で安静にしていただきます」
反論の余地はない。無茶して死んだら意味ないしね。
セバスと共に居なくなっていたメイが持ってきた薄い幕のテントの中に入る。箱のような四角い形だ。
「現在、ケイゴとサディークがこの島の安全を確認しています。ケイトリーは周囲の安全を確認中ですが、システム全てが使えません。全ての事に時間が掛かるかと…」
「それ、は……」
「何て、こと…」
言葉を失う程の衝撃的な事実に打ちのめされても、事態は改善などしない。
今、生きているなら、生き延びるためにすべきは安静にすることだ。
「……なるほど。ここから出られるまでの時間が長いなら、ラウムに……ラウム、居る?」
データ入力を終えたイーシャンに聞いてみる。地べたに座る習慣のないこの人達には、固い地面に長時間は耐えられないに違いない。ラウムの能力は生活型ナノマシンによる自由創造だ。主が快適に過ごす空間を造り出す為だけの存在。
「……通信が出来ないのは不便ですね。確認してきます」
ケイトリーは本来なら自立飛行する飛行物体の小型機を手動で操作しているようだ。それでもここから離れない事から、護衛としてオレ達の側に居る、という事になるのだろう。
「夜空様、無事と言って良いのかはわかりませんが共に来ていました。ラウムの能力が使えるそうですので実行して貰います」
イーシャンがラウムと戻って来た。
「この環境ではこれが限界です。申し訳ありません…」
ラウムがシートテントの中に入り、能力を解放するが、本人も納得いかない出来のようだ。
オレが立ってシートの天井にギリギリ届かない高さしかない狭い空間ながら、枕元にカバーのようなカーテンの付いた大きな二つのベッドが奥と手前に現れた。手前側のベッドが少し短いので、導線が確保されている。壁を設置しないのは、圧迫感に精神が参ってしまう可能性と、シートの外からイーシャンが体調の観察ができることを考慮したのだろう。シートの高さと広さを考えればこれが最上なのだとオレは思う。
「柔らかいし光も遮れる。十分だよ、ラウム」
オレの言葉に祖父母も頷いているのを見て、ラウムは困った様に頷いて大人しく出ていった。
「ペットボトルの水で申し訳ありませんが、置いておきますね。水分補給は大切です。トイレの際は、一人で勝手に出ないようにしてください」
イーシャンは大きめのタオルも持ってきてくれていたので、ありがたく受け取った。
「二人とも、水分を捕ったら寝てくださいね」
「うむ」
「ええ」
まだ顔色が悪いので、寝てもらうのが一番だ。イーシャンからも否定されなかったので、それが一番良いのだろう。
「……イーシャン、ここからいつ出られる?」
「……医療ポッドが使えませんので、三日……或いはもっと掛かるかと」
僅かに目を見開いて驚くオレに、イーシャンはどことなく楽しそうだ。
「環境に慣れて貰うしかありません。それまで、辛い思いをさせてしまいますが…」
「未開地の探索の為に買った新機種のエアバイク、あの辺のコンテナと一緒に作業ロボが持ってきてなかったっけ?」
新機種を買うにあたり、祖父が持っていたカタログに医療ナノマシン装備とあったような気がする。
そう伝えると、確認してきます!と言って風のように消えた。
いや、マジで、走り去った姿が見えなかったんだが…。
「……シュート、セカンド達はどうだった?」
「起動のための電力を、施設に使うことになりました」
つまり、すぐには起動できない、ということ。
ラボには自家発電できる機能があった筈だが、稼働するものが多ければ賄いきれないだろう。あくまでも、非常事態のための備えの筈だ。まあ、今がその非常事態な訳だけど…。
「ソーラーパネルシート、育成に使うために買ったはずだよね。ここも太陽らしきものがあるし、使用可能か確かめてみて?」
「承知しました」
シュートはメリーの元に向かう。リスト作成中なのだから、それが一番手っ取り早いだろう。
さて、オレも寝ようかと横になった途端、メイが戻ってきた。
「リストをお持ちしました。メリーには、破損の状態を引き続き調べて貰います」
「ありがと…」
タブレットを受け取り、じじ様の横に置いたのだが、メイがその場を去らないことに首を傾げる。
「……なに?」
「旦那様の代行として、夜空様の指示をお待ちしています」
「えぇ~」
責任を取れないオレに、何を命じろというんだよ。
「私としましては、衣食住の中で、住だけが不足していると進言いたします。リストの中に、それを補える資材があるとご報告いたします」
仕方なく、祖父の枕元まで取りに戻ってタブレットを開く。
リストの中に、いくつか気になる品があるなと思いつつ、メイの言う「住」を補える品を見付けた。
「……へぇ、匠シリーズのキッズハウスか」
オレ達と一緒に光に巻き込まれた中にあった品物が丸々、オレ達と共にここにあるらしい。買うつもりのなかった品々の中に、子供向けの玩具があり、所持品リストに名を連ねている。
修羅場や変な奴等からオレ達の姿を隠した箱の中身が、匠シリーズだったようだ。
子供向けの玩具と侮るなかれ。
今時とても貴重な木の温もりを感じられる組立式のキッズハウスは、幼子がハウスの中で跳び跳ねる事が余裕で出来る高さと、横になって眠る事が出来る面積もあり、ドアと窓がある一部屋だけの小さいが立派な家なのだ。防塵、防水、防火の加工がされているので、庭にも置ける仕様であるらしい。
付属で、ロフトのようにするための床材や階段が別売されていたり、外に取り付けられるブランコや滑り台、ハンモック等もあるそうだ。多分、サディークの言っていたのもコレだろう。
「メイ、組み立て出来るの?」
「ケイゴがキッズハウスを庭に建てたことがあると記憶しています。サディークに手伝わせれば作業も進むでしょう。キッズ用でも匠シリーズは作りがしっかりしていますし、組み立てるだけでありながら多少のアレンジも可能ですので、生活型ナノマシンを入れるための箱としては十分かと」
「そうなんだ。じゃあ、組み立てる前に設計してみてよ。島のどこに置くのかも勝手には決められないし…」
ラウムの生活型ナノマシンは、外郭、つまり形があるところに広がり、快適な空間を作る。この場合、建物が無いと意味をなさない。ただの四角い箱でも洞窟でも良いから、外枠となる壁が必要なのだ。
「わかりました。私は夜空様の指示で取り込んだレシピの中から、イーシャンが選んだ食事をメリーと作ろうと思います」
「ああ、そう…。シュートがソーラーパネルシートを広げている筈だから、使えるようなら屋根に設置できるか検討して。セバスにも言っておいてね」
「承知しました」
タブレットを置き、横になって目を閉じたらすぐに眠気はやってきた。
ヤバい奴等