IMG:01 新入部員は突然に
春、それは新年度が始まったからなのか、それとも気温が温かくなったからなのかはわからないけれど、なんとなく人々の気分を高揚させる季節である。
ここ函館ローアン高等学校も新入生を迎え、それぞれの学年が進級したこともあってか、そんなふわふわとした空気に包まれていた。
ただ、例外的にここ写真部部室の空気は重い。もはや重すぎて沈没しそうな位だ。
部室にいるのは三人。
眼鏡を掛け、窓の傍に立っているのが一人。名前は川汲雄大。うちの部の副部長でもある同級生だ。
次に、部室のドアの近くで本来座るべき方向とは逆向きで椅子に座っているのが一人。名前は亀田翔。今年の初めに入部してきた一つ下の後輩。
そしてその二人から鋭い視線を向けられている自分、これで三人。
なぜこの部室の空気がこんなに重いのか、その理由は自分でも重々承知している。だからこそ怖くていまだに話し始められていない状況にある。
とその時、沈黙を破るかのように部室のドアが開いた。
そこにいたのは白衣に身を包んだひょろながの男。
うちの部の顧問である戸井先生だ。
いつも通りのゾンビのような前傾姿勢のまま、部室の中央へと入って来る。
ただその前傾姿勢の角度もいつになくキツく見える。これも自分のせいか…。
そんなことを考えているとその顧問と目が合った。掛けている眼鏡が窓からの太陽光に反射して光っているから、向こうの目は見えないけれど。
顧問の表情から読み取るに、どうやら自分に何か言えと迫っているようだ。
もうこの際言うことは決まっているし、もう既に腹は決めてある。
その場で膝を地面に付け、次に手を付けて深々と一礼。
「すいませんでしたッ!」
どうしてこんなことになったのか、事の顛末はひと月前に遡る。
☆
なんとなくそうなることはわかっていたけど、いざ現実を突きつけられると困惑するものだ。
「は…廃部…ですか。」
動揺して何も言えない自分に対し、顧問の戸井先生は無言で頷いた。
「まぁ君が入る前…つまり3年前から検討はされてきたんだ。今更驚くことでもないだろう。」
戸井先生が掛けていた眼鏡を机に置く。
「確かにそうですけど…でも今は部員も僕含めて3人いますし、なぜ急に廃部なんかになるんですか…全くをもって納得できません。」
白髪の混じった頭をポリポリ掻きながら戸井先生はこう言った。
「まぁでも今すぐ廃部になるってわけじゃない。」
「どういうことですか…?」
疑問が拭い去れていない自分に、先生はこう続ける。
「まぁいきなり廃部にするのも学校側は酷だと思ったんだろう。いや、諦めさせるための良い機会だとも思ったのかもしれないね。実は廃部を阻止するためのある条件が提示された。」
廃部を決めるのは学校側なのに廃部阻止の条件…?
悪い予感しかしないが、一応詳細を聞いてみる。
「条件は…四月にあるクラブ説明会の一週間後までに部員を最低五人増やすこと、だそうだ。」
思わずクソでかいため息が出そうだった。
先生の言った通り、これでは廃部阻止の条件というよりも廃部を認めさせるための条件だ。馬鹿馬鹿しい。
「…やるしかない…ですかね。」
半ばヤケクソになってこんなことを口走った自分に対し、先生はそうだな、と生返事をしただけだった。
そのあと二、三日いろいろ考えてみたけれど、なかなかいい案は思い浮かばなかった。と言うより、そもそも自分はその前の月から非常に大きな問題を家に抱えていて、部活どころの話ではなかったのだ。
そしてこの廃部騒動である。手に負えたものでない。
なんにしろ、部員を増やすにはひと月先のクラブ説明会で何らかの成果を上げなくてはならないことになる。ここ数年は口頭での端的な説明のみに留まっていた我が部の発表をどうにか改良して、魅力たっぷりのモノに仕上げなくてはならない。
考えあぐねて自分が出した結論は…
☆
とりあえず、と戸井先生が一言。
「あの発表はないわ。」
うん、まぁそうなりますよね。
「まずな、ウチの部は写真部だ。それがなぜダンスの発表をすることになる?」
「それ以外にインパクトのある発表が思いつかなかったんですよ。確かに自分に非があることは認めますけど、致し方ないことだと思います。」
「じゃあひとまずダンスについては認めよう。問題は君の選曲だ。何故あの曲にした?」
考えあぐねて自分が決めた曲は、韓国の某有名女性アイドルグループのもの。
それならファンも学校に一定数いるだろうし、好都合だと思ったのだが…。
「舐めてかかってました…すんません。」
結論から言って、キツすぎた。
あんなの素人が1か月練習したからと言ってできるようになるシロモノじゃない。
「……あんな酷いダンス見せられて誰が入ってくれるとでも思う?」
「入らないですね…。」
顧問の指摘に耳が痛い。
「………じゃあやめろや。こちとら廃部寸前ぞ?自滅してどうする。」
「すんません…。」
「お前らも曲わかった時点で止めとけや、だろ?」
顧問が川汲と亀田にも話を振る…と両者は即座にコクコクと頷いた。
それを確認すると、はぁーっと大きなため息をつきながら顧問は部室の隅のパイプ椅子に座った。
「まぁ例の発表で部員が来るわけもなく、今日で廃部することが本来ならばほぼほぼ確定していたわけだ。が…聞いて驚け。とりあえず結論から言うと廃部は取り消された。」
「………………はい?」
顧問の言葉が信じられず思わず聞き返す。
土下座の態勢のまま川汲と亀田の二人を見てみると、両者にも顔に困惑の表情が出ている。
「今度は条件というかなんというか…取り敢えず落ち着いて聞けよ?」
三人の喉が同時にゴクリと鳴る。
「これからは…函館磯女子学園写真部と合同で部活をやることになった。」
☆
「部長…なんでこれから女子高に行けるというのにそんなに落ち込んでるんですか?なんかヤな事でもあるんすか?」
亀田の何気ない一言が自分を傷つける。
頭の中では「どうしよう」という思いだけが独り歩きして、何も考えられなくなっている。
あの事がバレたら自分は間違いなく川汲に学校で言いふらされ、ネタの標的になること間違いなしだ。何とかしてそれだけは避けねば。
「フラれた相手がいるんだ。しょうがねぇだろ。」
「いやフラれてねーし。そもそも誰にも告ってませんし?」
川汲の発言にすかさず訂正を加える。
「じゃあこないだのあれは何だったんだよ」
「なんでもいいだろ!少しは黙ってろい!」
川汲のテンポに乗っ取られそうで一度会話を打ち切る。
「こないだのことって何ですか?」
「亀田は訊かなくてもいい!」
「あとで教えてあげるからちょっと待っててね☆」
「お前―ッ!」
「二月の撮影会で砂原さんに『ごめん…それは無理。』って言われたやつだろ?見てた見てたw」
話の横からいきなりスマッシュを決めてきた顧問。
クラブ説明会の腹いせか?
思わずバックミラーに映るその顔を睨みつける。
その顧問は自分の視線に気が付くと舌をペロッと出した。テヘペロのつもりか。
色々辱めは受けたけど、本当にバラしたくない事は今のところはバレては無い。安堵と同時に不安がよぎる。
何せ自分が今皆に隠していることは告白云々どころではないのだから…。
学校を出発してから15分程で顧問の戸井先生が運転する車は、目的地である私立磯女子学園の駐車場に着いた。
「磯女」と略されるこの学校はここ函館においても歴史ある学校で、校舎が国の重要文化財に指定されていたりする。そんな学校の雰囲気をひしひしと感じつつ、函館ローアン高校の下衆四人組は駐車場を離れ、校舎の中へと入っていった。
「お久しぶりです、戸井先生。お待ちしておりました。」
正面玄関から校舎の中に入るとすぐに声を掛けられた。
声の主は磯女子学園写真部の顧問である広野先生だ。
戸井先生と一言二言言葉を交わすと、ではこちらに、と自分たちを案内した。
話に聞いていたことはあるが、こうして実際に校舎内を歩くと中も校舎の外観と同じようにレトロな造りがそのままになっていて興味を惹かれる。映画の撮影に使われるのも納得だ。
それから少し歩くと一つの教室の前にたどり着いた。
中には既に人の姿が見える。車内で話題になった砂原さんもいるようだ。クールな表情に黒髪のポニーテールはいつ見ても変わらない。そして何故か教壇の上の椅子に座っている。
「じゃあ私と戸井先生は少し打ち合わせしますから、ローアン高の三人は先に教室に入っててください。」
そう広野先生に促されると、亀田はへーいと返事をして、川汲は無言でその教室の中に入っていく。自分も危惧すべき事態が起こらないかどうか一応教室の中を見回してから入る。どうやら「あの人」はいないようで一安心。
中にいた磯女子学園の生徒は砂原さんとその他に一人。ショートヘアーに眼鏡を掛けている。名前は何だっけ、と考えているとその人から怪訝な顔を向けられた。そんな顔しなくてもいいのに。
ローアン高校側のメンバーが全員一列で席に着くと、それじゃあ、と砂原さんが声を上げた。
「取り敢えず、先生方が来るまでお互いに自己紹介しませんか。
知ってる人もいるけど、大体撮影会か大会でしか会わないですし。今回合同の部活になるにあたってしといたほうがいいと思うんですけど…どうですか?」
川原と亀田は頷き、名前を忘れたもう一人の部員も特に拒否する素振りはない。自分も賛成だ。
じゃあ自分から、と砂原さんが教壇の上の椅子から立ち上がる。
「名前は砂原琳と言います。磯女の写真部で部長をしてます。
そちらの部長・副部長とは何回も会ってるのでご存知だと思いますが、新入部員の方もいるようなので紹介させてもらいました。これからよろしくお願いします。」
と自己紹介を終えると砂原さんがお辞儀した。それにつられて間接的に指名された亀田を始め、他の人たちもお願いします、などとお辞儀する。自分は川汲が特に茶化してこなかった事にひとまず胸をなでおろした。
「じゃあ次は美原さん、お願いね。」
そう砂原さんが指名すると、名前を忘れていた磯女のもう一人の生徒が立ち上がってその場で軽くお辞儀する。
そうだ、美原さんだ…。磯女の部員はどっちも名字の後ろ一文字が原だから紛らわしいんだよな…。
「どうも紹介させていただきました、磯女写真部副部長の美原裕です。えと…名前だけだと男に見えますけど正真正銘の女なので…よろしくお願いします。」
へぇ、変わった名前の女子もいるもんだ、とさっきまで名字すら忘れていた人の下の名前に驚きつつ軽く一礼。
「ほんとはもう一人いるんだけど…今日は来ないみたいだからそっちの紹介始めちゃっていいですよ。」と砂原さん。
もう一人…?正直磯女の写真部は少なくともこの一年間でこの二人しか見たことないんだけどな…。
「新入部員が入ったの。」
自分の怪訝な表情に気づいた砂原さんがそう答える。
「へ、へぇぇ…。じゃあどっちも部員は一人づつ増えたわけだ。賑やかになるなぁ。」
砂原さんの鋭い目から逃げるように適当な返事をする。
「まぁウチの場合その子は無口だからあんまり変わんないけどね。」
見事に地雷を踏み抜いたようだ。
ただ頭のどこかに砂原さんの言葉が引っかかって、地雷を踏み抜いたことよりそっちのほうが気になっている。無口…?新入部員…?
そして『あの人』の情報とマッチする。無口で、写真を撮る人で、この学校に通ってて…そしていきなり家で一緒に住むことになった人…。
まさか…。
そう思ったその時、教室の扉が開いた。
そこにいたのは二人の顧問と一人の少女。
自分はその少女を知っている。
そのショートボブの少女を知っている。
その少女の名前を知っている。
そして何よりその少女と自分は
同じ家で暮らしている。
でも、自分はその少女と話したことがない。
その少女は深々と一礼してこう言った。
「はじめまして。」