少年と死神と権力
死体が積まれた穴だった。ある程度溜まったらまとめて埋める、まさしく奴隷のゴミ箱だ。
腕から血を流しながら、薄れいく視界で空を見上げた。濁った灰色の空、案の定ポツポツと雨が降り始め、やがて雷雨となって風雨が吹き荒れる頃には、シーザーの意識は消え入る寸前だった。
「シエル……」
無意識に、空へ伸ばした手。
父はろくでもない奴だった。優しかった母さんが死にそれは加速し、酒ばかり飲んで暴力を振るうようになった。けれどそれはこの世界がそうだったから、恨むに値することでもないと思っていた。
父親によく似てクズだった自分。
けれどもシエルは、妹は違った。母さんによく似た金の髪、青い瞳、優しい性格。
ただ兄だからと言う理由で、たったそれだけのちっぽけな理由で、どんなに貶しても疎んでも見捨てても、自分を追いかけることを辞めなかった。慕い続けて、自分に愛を乞い続けた。
そして自分に、愛を向け続けた。
失って初めて気が付いた、彼女だけがたった一人、下らない自分に与えられた奇跡だったんだと。家族だったのだと。
もう、会えないのかな。
その時だった。ぼやけた視界一杯に真っ黒な影が現れた。その鋭い視線は自分を覗き込んでいるように見える。死神だ、シーザーは目を見開く。
けれど咄嗟に、シーザーは最後の力を振り絞ってその死神にしがみ付いた。
「頼む! 死ぬ前に妹に会わせてくれ! それだけでいい、それだけでいいから……死神ならさぁ! 一度だけでも、このクソみたいな人生の俺の願いを叶えてくれよ!!」
それだけ叫び、シーザーの意識はプツンと切れた。地面へ倒れいくその体を、死神が抱きとめる。
死神、そう呼ばれレイブンは自嘲気味に微笑んだ。それから手際良く止血を施すと、力尽きたシーザーの体を抱き上げる。
「死神に願い事か……」
自分のマントで雨から守るようにシーザーを包み込む。それから雨に霞む奴隷の墓場を一瞥すると、レイブンは静かに歩き去った。
◆◆◆
シーザーが目覚めたのは、暗く陰気な部屋の湿っぽいベッドの上だった。
血を流しすぎたからか、起き上がろうとするとふらり目眩がした。
「起きたか」
突然の声にビクリと驚いて振り向くと、そこにはボロボロのマントに身を包んだ真っ黒い髪と瞳のいかにも死神風な男が隣のベッドに座っていた。
「アンタは……」
「お前、妹に会いたいんだろう?」
その死神の言葉にシーザーは目を見開くと、必死で力いっぱい頷いた。その様子を見ていたレイブンは、次に無言でパンと干しぶどうを差し出した。
「あっ……ありがとう」
それを受け取り少し呆然としたシーザーだったが、ゆっくりと口に運び噛みしめるように咀嚼する。
「……美味い」
ポロポロと、自然と涙がこぼれた。ようやっと、自分は人間なのだと口に広がる味覚が思い出させてくれたような気持ちだった。
シーザーが食べ終わり、そのまま疲れたように再び眠って、そうやって少しずつ体力が回復するまでレイブンはシーザーに食事を運び続けた。
どうやらそこは訳ありの闇医者のようで、たまに知らない老人がシーザーの様子を診に来たが、言葉を交わすことはなかった。
そして何とか立って歩くくらいに回復した頃に、食事を運ぶ以外はどこかへ行っていたレイブンが擦り切れた服を持って来た。
「治ったなら行くぞ」
その服はお世辞にも綺麗なものではなかったが、奴隷の頃の服に比べれば何倍も上等だ。
言われるままレイブンに着いて行きながら、シーザーは何故この人は自分にここまでしてくれるのか不思議でたまらなかった。訝しみもしたが、一度は捨てた命、どうなろうと覚悟は出来ている。
そんな怯えも戸惑いもしないシーザーに、レイブンは少しだけ感心した。
外は雪深いスラムだった。けれどその街は自分の故郷よりも活力に満ちているように見えた。もちろん、健全な活力などとは程遠い、とても凶暴で悪意の満ちた活力。それでも生きながらに死んでいるような故郷よりもシーザーには好ましく思えた。
「なぁ、俺はシーザー。助けてくれたこと、本当に感謝してる」
何も言わず街を歩くレイブンに後ろから話しかけた。
「アンタは何者? 俺を助けた目的は何?」
レイブンは何も言わず歩き続けた。シーザーも溜息を吐いて黙ってそれに従う。
やがてレイブンはスラム街の細道に忽然と現れる階段を下り地下へと降りる。
地上よりもさらに不穏な空気の漂うそこを恐る恐る進めば、一際怪しげに炎が揺れる少し広いが悪趣味なガラクタに溢れた部屋が現れた。
その真ん中に、数多の宝石を身につけたこれまた悪趣味な老人が立派な椅子に座って二人を迎えた。
「ようレイブン、どこに消えてた? 仕事が溜まってるぞ」
「聞きたいことがある」
レイブンの言葉に老人は側にあった葉巻を取ると火をつけた。地下に葉巻の煙と臭いが充満して、シーザーは顔を顰める。
と、急に老人が指を鳴らした。
その音と共にどこから現れたのか急にレイブンとシーザーは十数人の男に囲まれる。
そして男たちは一斉に二人に襲いかかった。
シーザーの首根っこを掴み自分の後ろに置くと、レイブンは素手のみでその男どもを次々と倒していった。それは恐ろしく正確で、静かで、鮮やかだった。たった一発でレイブンは大の大人を気絶させていく。それは暴力と言うには、余りに圧倒的だった。
レイブンはやがて呼吸を乱すことなく全ての男を気絶させ、老人はそれに動じることなく葉巻の煙を吐き出した。
「で、何が聞きたい?」
「こいつの妹の行方が知りたい」
「そうか……」
葉巻を椅子に押し付けて火を消すと、老人は「名と出身地は」とシーザーを見もせずに問うた。
「キルナ出身のシエルです」
しかし、それを聞いた途端、老人は目を見開いてプルプルと震える手をシーザーに伸ばした。
「キルナの娘か……それはさぞ高く売れたろうなぁ……居るとしたら帝国ムーの貴族の家だろう」
ぎしり、椅子が軋む。老人は深く息を吐くと「さぁ、出て行け」と呟いた。
「ま、待てよ! キルナの娘が何なんだ、何でムーなんかに」
シーザーの言葉はレイブンに首根っこを掴まれることで中断する。そのまま有無も言わさずレイブンはシーザーを連れて地下を出た。
「行くぞ、もうこの国には戻れない」
「な、何で!?」
戸惑いながらもレイブンの早足に必死に付いてくるシーザーを見下ろし、レイブンは不敵に笑ったが、何も言ってはくれなかった。
それほどに先ほどの老人はヤバイ奴なのか、けれどもレイブンはあんなに強かったのだから心配する必要がどこにあるのだろう。
それをそのまま伝えたが、レイブンはどこかを見つめたままポツリと言った。
「権力を敵にしたら生きてはいけない、どんなに強くとも」
ゴッドファーザー




