2-4:初陣
「うわ、間近で見るとでか! やば!」
三人と並ぶ位置まで近づくと、その顔のでかさにビビる。人間一人くらい余裕で丸呑みにできそうだ。
「グオォオオオオオオオオオオオ・オ・オッ!」
黒ワニがおたけびをあげる。肌をびりびりと震わせる声量。息がくさい。
「おい、なんだお前!」右隣のいかつい男が声を張り上げる。「邪魔すんな、こいつは俺たちの獲物だぞ!」
「手伝います、このままじゃ危ないっす。レベル4です、僕」
言いながら、目は合わせられない。初対面だもの。
「悪い、助かる!」左隣の茶髪の男が言う。「リーダー、手伝ってもらおう! 俺らだけじゃ無理だ!」
「くそ、分け前は半々だぞ!」
彼らは駆け出し感満々だ。みんなで寄ってたかってちまちま殴るだけ。いつぞやのインチキ外国人の殺し屋コンビの見事な連携とは雲泥の差だ。
PXで買える剣鉈はビギナー向けでコスパ抜群だが、こいつの装甲を破るには力不足のようだ。あるいは単純に彼らの膂力が足りないだけかも。
「誰かっ! 壁役いないんすかっ!?」
ブォンッと振り回される前足の鉤爪を避けながら千影が尋ねる。さっきの二人は攻撃に忙しく、もう一人は側面からちくちくやりつつ必死に尻尾をかわしている。全員近接武器でぺちぺち殴るって、複数人で組むメリットが薄すぎる。
「さっき! 吹っ飛ばされた!」
ワンテンポ遅れて茶髪が返事してくれる。ああ、さっき尻尾くらって吹っ飛ばされた人か。ならしょうがない、けどそれってやばくね?
ふっとあたりが暗くなる。右の前足が降ってくる。
千影は歯を食いしばる。僕がやるしかないのか。
【アザゼル】――腕を硬質化させるアビリティ。メタリックブルーの皮膚を両手にまとい、敵の一撃を受け止める。
ずしん、と衝撃と重さが膝に来る。足が地面にめりこむ。鼻水が出そうになる。でもなんとか耐えられる。
「今、裏! 腹とかそのへん!」
その言葉足らずのアドバイスで通じたのはリーダー一人だけだった。千影が受け止めて浮かせた隙間に潜り込み、剣鉈を振るいながら駆け抜ける。ズシュッと鈍い音とともに肉が裂け、紫色の血が噴き出す。
思ったとおりだ。関節の裏側や腹の部分は外殻に覆われていない。そこまで覆われていたらこんな風には動けない。つまりそこが弱点だ。
黒ワニは「オギャアアアアアアアアアアッ!」と足を引いて後退し、顎を下げて牽制する。
「いける、弱点は裏側だ! ひっくり返してやれ!」
リーダーが大声で指示する。でも誰も動かない。みんな千影を見ている。
え? 僕が一人でやるの? さすがに重すぎて無理だよ?
「グルゥウウ……ガァアアアアアアアアアア!」
「やべ!」
黒ワニが頭を縮めたかと思うと、身体を水平に一回転させる。千影と二人は寸前でバックステップしたが、尻尾の横薙ぎを茶髪がもろにくらい、吹っ飛ばされていく。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
おたけびとともに暴れ狂う。がむしゃらに足をばたつかせ、尻尾を振り回す。土埃が舞い、地面が揺れる。こうなると手がつけられない。チームのやつらは逃げまどい、千影は半身の姿勢で攻撃をかわす。
「ぎゃわーーーーーーーーーーー!」
絶叫は絶叫でも、黒ワニではなくてギンチョ。怪獣大暴れにビビって泣きさけんでいる。もはや恒例行事。
「おい、ギンチョ! もっと下がれ!」
千影は踵を返し、ギンチョを抱えて逃げようと駆け寄る。
「ちーさんが! ちーさんがあぶない!」
ギンチョの手が〝ながれぼし〟から無造作にカプセルを掴む。その手から金色のプレスチックの球体が放たれる――至近距離から千影めがけてまっすぐに。
いや、え、マジで?
まったく予想外すぎて、「新しい顔よ!」的に顔面に直撃する。カプセルは鼻っ面にぶつかってそのまま頭上に跳ね上がり、くるくると空中で回転し、ぱかっと開く。
ぼうんっと爆発的に煙が広がる。一メートル先すら見えないほどの煙幕。しかもやばい、めっちゃ目にくる。喉にくる。
あれだ、〝サムライ・アーマー特製にんにん煙玉〟。「空気に触れると一気に煙が膨れ上がります。にんにんと書いてありますが、忍者っぽく足元に叩きつけたりすると大惨事です。十メートル以上離れて使用しましょう」。ちなみに一つ一万円。
「ガァアアアアアアアアアアアアアゥッ!」
黒ワニもだいぶ苦しいみたいで、煙の向こうでばたんばたんともがく音が聞こえる。風圧がすごい、巻き込まれたらやばい。ギンチョを抱えてその場を離れる。
煙が晴れたとき、黒ワニの姿は消えている。というかかなり離れた場所にいて、足をじたばたさせて遠ざかっていく。重たげな足音もやがて聞こえなくなる。
逃げられた。
千影とギンチョチーム、初陣の結果。
敵逃亡によりドロー。おう、今日はこんくらいにしといたるわ。
戦闘後、あのいかついリーダーにさんざんなじられる。
「なに考えてんだ、もう少しで死ぬところだった、あと一歩まで追いつめていたのに……」
最後のセリフは事実と乖離すること甚だしいし、そもそもこちらが助けなければ彼らは命すら危うかったのに。
それでも千影は言い返さない。じっと正座してうつむいて、形だけでも反省の意を示す。それがこういう輩と手っ取り早く離れるための上策だ。賠償しろとか言われたら絶対断るけど。
ギンチョも隣で同じように座っている。唇を突き出してしょんぼりうなだれている。お前まで付き合う必要ないのに。
というか、レベル1に人格否定を含む罵詈雑言を浴びせられるレベル4って。なんだろう、この威厳とかオーラとか一切ない風体がいけないんだろうか。モヒカンとかにしたら少しはビビってもらえるだろうか(毛量は足りるだろうか)。
他のメンバーはリーダーの怒りの理不尽さを重々理解しているようで、申し訳なさそうな顔で千影をちらちら見ている。「リーダー……もういいって……」とあばらを押さえた茶髪がやんわり制止する。
五分程度続いた説教が終わると、彼らは負傷した仲間に肩を貸しながらエレベーターの方向に歩き去っていく。あれだけ怒っていたリーダーのしょぼくれた背中を見るに、自分たちのレベルでは危ないのではと思い直しているところだろう。
『初心者やレベルの低い方はじゅうぶん注意してね! くれぐれも無理をせず、とりあえずでかいのを見かけたら逃げるようにしようね! 僕がD庁に怒られちゃうからね!』
サウロンも動画でそう言っていたし、一層側のエレベーターの前にも注意を喚起する看板が立っていた(D庁が置いたものだ)。あの人たちは明らかにレベルが足りていなかった。それでも自分だけは大丈夫、自分だけは特別、と無茶を押し通すのもプレイヤー的な気質なのかもしれないが。
確かに相手が悪かった。あの黒ワニは千影一人だったとしても、そこそこ苦労したかもしれない。あのくらいの強さの頂点捕食者がうようよしているなら、ここでの活動計画を考え直す必要がある。
ふと隣を見ると、ギンチョはまだ同じ姿勢のままでいる。
「ギンチョ、足痺れるから」
「……ごめんなさい……ちーさん……」
「いや……えっと……まあ……」
どうしよう。教育上、ここはきちんと叱ったほうがいいのかな?
どんな感じで? 怒鳴ったりするほうがいいの? アメとムチみたいなのが必要だったりするの? さじ加減がわからない。そんな高度なノウハウは十八年のぼっち人生で一ミリたりとも貯まっていない。
ていうか、この子にとっては初の実戦らしい実戦で、あれだけ恐ろしい相手で、そりゃ緊張したりとり乱したりするのもしかたない。犯した失敗のダイナミックさはいずれ大器に育つ兆候かもしれない。
ともあれ、二人とも結果的に怪我はなかった。損害もなかった――いやある、煙とともに消えた一万円。それを思い出すとちょっとだけへこむ。ああ、器が小さいわ。器小さんだわ。
「つーかさ……反省するなら僕のほうだし……」
最初からもっとガンガン行けばよかったし、彼らを壁にして【イグニス】をぶっ放していればあっさりカタがついたかもしれない。彼らに気を遣ってサポートに徹しようなどと、レベル差をひけらかした上から目線の態度がよくなかったのかもしれない。まったく悪意がなかったとしても。
それに、ギンチョのカバーと連携の意識も足りていなかった気がする。自分一人でやるというソロ的感覚が強かったというか。
「そうだな……もちろんギンチョも反省するべきところもあるけど、今回のはお互い様っていうか、むしろ僕が悪かったよ」
「でも……ちーさんにあてちゃいました……」
「あれは……(フラグとかいう概念を考えたやつが悪い)」
「かいじゅーがこわくて……ちーさんがあぶないっておもって……」
「まあ、投げたのがたまたまアレだったのは運が悪かったとして、僕もお前の動きを読めてなかったから、自分から当たりに行くような形になっちゃったし。だから次は――」
「なんでおこらないんですか?」
ギンチョが顔を上げ、きっと強い目を向ける。初めて見る目だ――怒ってる?
「わたしがわるいのに……わたしのせいであのおにーさんたちにいっぱいおこられたのに……なんでちーさんはおこらないんですか?」
「いや、だって……僕も悪いし……」
「わたしがわるいです!」
「いや、だからそうかもだけど、僕だって同じくらい悪いわけで……」
やばい。逆ギレされてる。これってケンカってやつ? ギンチョとこうなるの初めてだけど、どうすんのこれ?
ギンチョ怒ってる。こっちも怒り返したほうがいいの? そしたらこいつ泣いちゃうじゃん絶対。なんで見た目九歳児(実際は零歳児)にこんなあたふたさせられてんの?
無様にも幼女相手にもごもごしだしたコミュショーお兄さんを見て、情けが湧いたのか我に返ったのか、ギンチョはとたんにしおらしくなり、またうつむいてしまう。
「……ごめんなさい……」
「いや、だから……いいってもう……」
千影対ギンチョの壮絶泥仕合も、ドローのまま終了のゴングが鳴らされる。原っぱのど真ん中で膝をつき合わせた二人を照らす二つの太陽は、徐々に地平線のほうに傾きつつある。




