2-2:頂点捕食者
エリア1でのクリーチャーとのエンカウント率は高くないし、出るのもゆりやんスライムや一つ目うさぎなどの「あまり交戦意欲の高くない連中」が大半だ。なので、塀に囲まれた駐屯地に行かなくても、弁当とサンドイッチを食べてお茶を飲むくらいの余裕はある。
とはいえ、アプデでエネヴォラのような場違いな強キャラが追加されているおそれも微粒子レベルで存在するので、最低限の警戒は怠らない。
にしても、どうしよう。人が全然減らない。
あの人だかりができているあたり――駐屯地の南東あたりの位置に、今回のイベントフロアへのエレベーターがあるみたいだ。まだまだたくさんの人がそのへんでたむろしている、今から並んでもまた一時間以上並びそうな気がする。
駐屯地に行って時間をつぶすか。いや、同じことを考えているプレイヤーは多いはず。しょうがない、観念して並ぶしかない。
公式地図上で見るとエリア1の真ん中よりちょい南あたりだろうか、そこにアプデ前にはなかった洞穴がある。そのへんの人たちの話を盗み聞きしてみると、緩やかな勾配の通路を下った先に大きな空洞があって、そこにイベントフロアへのエレベーターがあるらしい。
入り口から百メートルくらい行列ができている。D庁職員らしき人が列を整えるために慌ただしく行き交っている。千影たちもとりあえず指示に従って最後尾に並ぶ。また一時間くらい、いやもう少しかかりそうだ。
ここからはIMOD側のプレイヤーも混じるので、外国人プレイヤーも多く見かける。ギンチョが長身イケメンのお兄さんに挨拶され、グラマラスなお姉さんたちに「ソーキュート!」などと言われながらハグされたりしている。ここへきてギンチョの羨ましいほどのモテっぷりが再燃している。
そんなこんなでもうすぐ洞穴に入れそうなところで、ギンチョが立ったままこくりこくりと頭を揺らしはじめる。
「ちーさん……おまつりはホットドッグとイカやきのたいけつです」
「寝言かよ」
ネズミーランドのアトラクションの並び待ちあるある、「子どもが眠くなりがち」。ということは、千影が父親役をしなければいけない。しかたないのでおぶることにする。
ギンチョの背負うリュックごと背負う形になるが、レベル4の体力からすれば大した重さでもない。ただし周りの視線が重い。ぴろーんとか聞こえる。やめて、勝手に写真撮るのはマナー違反ですよ。
数分後には耳元でギンチョが寝息をたてはじめる。なんとなくこっちもリラックスして、というか気が抜けて、ちょっと眠くなる。
いやいや、これからひと暴れというかひと狩りというか、メインイベントが待っているわけで。でもまあ……エレベーターに乗るまでは、リラックスしていてもバチは当たらないか。
洞穴の中はかなり広く、天井も高い。出入り口から向かい側にエレベーターの扉がある。従来の六人乗りのやつより背が高くて横幅もある。なんでも三十人くらいいっぺんに乗れるらしい。東京スカイタワーみたいだ(行ったことないけど)。
お目覚めのギンチョを下ろしてエレベーターに乗り込むと、いよいよ降下が始まる。かすかなGが身体にかかり、ごごん、ごごん、と金属のこすれ合うような音がする。
さっきまでテンション上がってバカ騒ぎしていたやつらも急に押し黙り、手を前に組んでおとなしくしている。エレベーターって不思議。
一分ほどの長い降下ののち、チーン! と到着を知らせる音が鳴り、扉が開く。さっきまでいた洞穴と似たような場所に出る。
「フォーゥ! ニューエリア!」
「フロンティアスピリッツ! ウェーイ!」
封印が解かれたかのように突然奇声をあげ、出口のほうへ走っていくノリのいいプレイヤーたち。乗り遅れた、あるいは見ていて恥ずかしくなった他の人たちと顔を見合わせ、千影とギンチョも行儀よく歩いて出口に向かう。
一点の曇りもない真っ白な雪の大地みたいに、すべてのプレイヤーにとって初めての、一斉に訪れた手つかずの未知。
千影も珍しくテンションが高ぶっている。興奮が半分、緊張とビビりが半分。
落ち着け、と何度も自分の中で連呼している。それでも洞穴から出たとき、思いがけず頭が真っ白になる。
「ひっ……」ギンチョが言葉を詰まらせ、それからさけぶ。「ひっっっっろいですーーーー!」
見渡す限り、ほんとに地平線の先まで草原が続いている。丘、あるいは山と呼べそうな盛り上がった場所も見える。あっちにあるのは森だろうか。
ここがイベントフロア、通称〝ヨフゥ〟。
サウロンはなんて言ってたっけ? 確か埼玉県と同じくらいの広さはあるとか。広すぎだろいくらなんでも。どうやってつくったんだよそんなフロア。ダンジョン半端ないわ。
「つーかさ、一層から下りたエレベーターが、その下層の地下の空間につながってるって、物理的におかしいよね」
「ほえ?」
「だってほら、他の層なら岩壁の中のエレベーターホールに出るけど、ここは岩壁もエレベーターの通り道的な柱的なものもなんもない原っぱのど真ん中だし。明らかにおかしいよね」
「ほえ?」
「いや……すいません、なんでもないです」
おかしいのは地上の常識で推し量ろうとする脳みそのほうか。ダンジョンにそんなものは一切通用しない。今さら論だ。
あたりは一見するとアフリカのサバンナのような光景だが、草や土はなんとなく白っぽいし、森はなんとなく黒っぽい。あっちには紫色の木も生えている。地上の常識的に色づかいが不自然に見えるせいか、他の星とか異世界のように感じられる。
そしてなにより――太陽が二つある。白っぽい曖昧な色の空に、地上で見る太陽よりも小さくて光も弱いそれが、少し離れた位置に一つずつ。きっと本物の星ではなく、天井に投影された擬似的な照明だろうけど。
「――――ォオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアア――――」
遠くのほうで、なにか生き物の鳴く声が轟く。大型の肉食獣を思わせる、低く重く遠くまで響く咆哮だ。
鳥らしきいくつもの影が森から飛び立つのが見える。その手前、なにか黒い影が走っているのが見える。数人のプレイヤーと、初めて見る黒いクリーチャー。
あれが、このフロア限定のクリーチャー――頂点捕食者か。




