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赤羽ダンジョンをめぐるコミュショーと幼女の冒険  作者: 佐々木ラスト
3章:異世界を望む少女はダンジョンに生きた
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1-2:鏡に映る現実と剣匠のお誘い

 千影のような人間にとって、床屋とか美容室ほどハードルの高い場所はそうザラにはない。話しかけられるといちいち返答に困るし、かゆいところなんて申告できないし、変な髪型にされても文句一つ言えない。加えて延々と自分の顔という現実を見せられ続ける拷問。赤羽で一人暮らしを始めてからは、梳きバサミを買って自分で適当に切っていた。お金も浮くし、素人でも慣れると意外となんとかなるものだ。


 怯えるギンチョが席につき、その後ろから不吉に笑う芦田がシートを着せていく。


「ひっひっ。お嬢ちゃん、今日はどういう風にしようじゃい?」

「い、いのちだけはごかんべんを……」


 さながら罠にかかった仔ウサギとどう調理しようかと舌なめずりする鬼婆の絵。千影としてはこれも社会勉強だと思って見守るに留める。というか怖くて口出しできない。


 待合席でスマホをいじりはじめると、すっと目の前に人影が立つ。


 千影と同年代の女の子、なぜか顔を赤らめてもじもじしている。綺麗に切りそろえられたセミロングの髪、一切の毒気のないつぶらな瞳、Tシャツにエプロン。


 こういうと失礼かもだけど、地味に可愛い。ていうか見つめられると困る。照れる。


「お待たせしました」ぎりぎり聞きとれるレベルの小声だ。「こちらへどうぞ」

「え、あ、いや、僕は……」

「うちの孫じゃい。高二じゃけど、散髪の腕は確かじゃ。お前さんもついでに切っていきな」

「いや、その、あの……」

「お代はいらんじゃい。つーかもらったらアウトじゃい。その子も将来は美容師になりたいそうじゃので、男なら黙って練習台になってやらんじゃい」


 その孫娘が黙って千影のTシャツの袖を引く。指でつまむようないじらしい仕草だ。戸惑う千影、しかたなく立ち上がり、ギンチョの隣に座る。鏡には冴えない顔の男と可愛いらしい地味系JKが映っている。


「芦田あきです。よろしくお願いします」

「ど、どうも……」鏡越しだろうと目を合わせられない。「あの……じゃあ、適当に軽くしてもらえれば……」

「はい、かしこまりました」


 彼女の小声を聞きとるために聴覚強化のアビリティ【ロキ】を発動していたため、耳元での最初のじょきんっ! が爆音のごとく鼓膜を叩く。目を白黒させる千影を、あきが心配そうに覗き込んでくる。顔が近い。鏡の中の自分が赤い。


 そのあとはしばらく無言が続き、リズミカルなハサミの音だけが部屋に響く。なんでこんなに静かなんだろう、と思ったらBGMがないのか。と思ったらよしきが鼻唄をうたいはじめる。昔の歌謡曲かなにかだろうか、妙に眠気を誘う。


「あの、実はうち……」

「ほえ?」


 孫娘のか細い声で現実に引き戻される。一人称は「うち」なのか。


「あのとき、駅前に避難してたんです。友だちと一緒にお祭りに行ってて……」

「……ああ、テロのとき……」

「あなたが、すごくおっかない怪獣と戦ってるの、見てました」可憐にもあきは頬を赤らめている。「それで……その……すごくカッコよかったです。ありがとうございました。会って、お礼言いたいなって、ずっと思ってて……」

「ほええぇぇ……」


 不意打ちすぎる不意打ちで、相槌の代わりに変な声が出る。耳まで熱くなる。顔の筋肉がひきつる。ていうか鏡に映ってるこのキモ男、誰?


「地上にあのポルトガルマンモスとは、そりゃ怪獣映画さながらじゃったろうの」と芦田よしき。「お前さんがおらんかったら、この子も無事ゃじゃなかったかもじゃな。ありがとじゃい、早川キモハゲ」

「はい、キモ男です。ハゲじゃないです」


 隣のギンチョも負けじと変な顔をしている。ジト目というか、半円形の淀んだ目で鏡越しに千影を睨んでいる。その顔なに? お昼食べたのにもうお腹すいたの?



 二人そろってタイミングよく散髪が終わる。ギンチョは腰あたりまで伸びていた長髪がばっさりと切り落とされ、首筋にかかるくらいに切りそろえられている。癖っ毛なのでぴょこぴょこと毛先が跳ねているが、それも愛嬌か。


「うひょー、あたま、かるいです! くび、すーすーするです!」

「よかったな。にあってるよ」

「えへへ」


 ギンチョは嬉しそうだ。千影の頭もだいぶ軽くなった。前髪も適度な長さでほっとした。


「ちーさん、まえがみ、おでこ、すてきです」

「あ、ありがとう(この不毛スペースには触れないで)」

「おい、ハゲ」

「ダイレクトかよ。美容師が一番言っちゃいけないフレーズだろ」

「時間はあるじゃい? こっち来な」


 会計を済ませると、千影たちは腰の曲がった老婆を先頭に店の裏口から外に出る。暑い――でも屋根つきの通路になっていて、日差しは遮られている。


 その通路の先に、大きな二階建ての家がある。こっちが住宅なのか。ザ・日本の邸宅という感じ。一階の縁側の奥はがらんとした板張りの間になっている。


「わしの剣術道場じゃい。剣道じゃなく、剣術じゃい」


 靴を脱いで上がり込む。足裏に板の床がひんやりして気持ちいい。ギンチョがきゃっきゃっとはしゃいでどたどた走り回る。


「新陰流って知っとるじゃ?」

「え、あ、柳生新陰流ってやつ……?」


 マンガで見た気がする。徳川家の指南役だっとかなんとか。


「そうじゃ。うちの先祖が将軍家に従事していたときに、それをパクって()()()()()()にしよっての。ひいじいさんの代から新善流って名乗っとるじゃ。もう跡継ぎもおらんから、わしの代でしまいじゃがの」

「はあ」


 美容師、剣術師範、それにダンジョンプレイヤー。どれが本業なのだろう。


 よしきは壁にかかっている竹刀――というか革を巻いた棒のようなものを一本、投げてよこす。千影は慌てて胸にぶつけながらも手にとる。


「袋竹刀じゃ。言ったろう、明智から聞いとるじゃ。お前さん、()()()をなくして自信をなくしたとかじゃ。ダンジョンに行くのが怖いじゃが?」


 返答に詰まる。ちくしょう、あの悪魔女め。余計なことを。


 別にダンジョンが怖いわけじゃないし。いや、怖くなくはないけど、それはいつものことだし。【ムゲン】がなくても浅層ならどうにでもなるし。


 ただ……そうだ。怖いのは、今までできていたことができないと知ることだ。

 認めたくないというか。万が一【ムゲン】が必要な場面に遭って、それで自分がなにもできなかったとしたら。それで――ギンチョが傷ついたりしたら。


 そんなことをうだうだと考えて、いつもの優柔不断な早川千影沼にはまってしまって、ダンジョンからちょっぴり足が遠のいていた。それだけのことだけど、ああ、言語化してしまった。


「大事ゃな孫娘を助けてもらったお礼じゃ。稽古、つけてやるじゃ。ほれ、構え。お前も刀を使うじゃろ?」


 なんでこんなことになるの? ギンチョの散髪の付き添いで来ただけなのに。


 正面に立つよしきが、ぴたりと袋竹刀の先を千影に向けている。その顔からは一切の笑みや柔和さが消えている。柄物のシャツにステテコのパンツ、顔にはしわ伸ばしのテープを貼った巣鴨に数千人くらいいそうな老婆なのに。背中がひやりとするほどの気迫を帯びている。

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