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赤羽ダンジョンをめぐるコミュショーと幼女の冒険  作者: 佐々木ラスト
3章:異世界を望む少女はダンジョンに生きた
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1-1:ギンチョは髪を切りたい

 七月二十八日、金曜日。


 エアコンは寝室のほうにしかないので、早川千影は居間の扇風機の前に陣どり、よだれを垂らしながら生ける屍のような顔でテレビを眺めている。


 これで三日連続の三十五度超え。そのうちなにもかも融けてなくなりそうな気がしている。


『……ですから、もう一度法整備からきちんと……』


 お昼のワイドショーでは、赤羽テロ事件について白熱した議論が繰り広げられている。口角泡を飛ばしているのは反ダンジョン主義の急先鋒である野党議員だ。最近テレビで引っ張りだこだが、露出度に比例して自身のツブヤイターアカウントも炎上の勢いが増している。


 あれから二週間か。赤羽テロ事件から。


 主犯の逮捕と凶悪異星人の成敗に力を貸した〝赤羽の英雄の仲間の遊び人または丁稚奉公〟である千影は、その三日後には名誉の負傷も癒えて退院し、それからは自宅でぐーたら寝っ転がってテレビとネットを貪る日々を送っている。


 ときおり同居人のギンチョを連れて荒川河川敷まで身体を動かしに行ったり、装備のメンテナンスと新調のために古田プレイヤー用品店に通ったり、区内のごちログ高評価なラーメン屋に回ったりと、それなりに外出してはいる。


 けれど、あれからまだ一度も、ダンジョンには行っていない。


 ダンジョン庁庁舎ことポータルは、異星人――通称〝黒のエネヴォラ〟の大暴れによってエントランス部分を中心に半壊したが、ダンジョン直通のエレベーターを含む地下フロアは無事だったため、つい三日前にようやくプレイヤーのダンジョン進入が解禁された。行きたくても行けない、というわけでもない。


 ちょっと心身ともにリフレッシュする時間が必要だから。


 ギンチョやその他数少ない知人にはそう言い訳している。装備もまだ整っていないし、心の準備もちょっとできてないし。


 まあ、最近こつこつ引き受けてきた諸々のクエスト報酬が月末に下りるし、経済的には少し余裕があるから焦る必要もないし。そんな感じでぐーたらすごしているうちに、このままでいいのかなとそろそろ思いはじめている。

 ダンジョンへ向かう足が重い理由は、自分でもよくわかっている。だけど、言語化したくない。直視したくない。


 がらっと寝室の引き戸が開き、パジャマ姿のちっこい少女が顔を出す。ふわふわの銀髪、小麦色の肌、深い赤色の瞳。エキゾチックな容貌だが、高花ギンチョというれっきとした日本人だ。住民票も(D庁の知り合いに頼んで)この家に移してある。


「ギンチョ、どうした? 昼メシ?」


 半開きの口からお露がこぼれている。手には彼女の生活必需品とも言えるタブレット端末。


「……あづいです……」

「いやいや、そっちの部屋エアコンあるだろ。電気代とか気にせずガンガンかけまくってるだろお前」


 おにーさんのこのザマを見ろ、マジで汗がナメクジのようだ。


「……このかみが……べたべたして、くびがあつくて……」


 ギンチョはふわっと広がる癖っ毛をちっこい手でいじくる。ああ、髪が長すぎてうっとうしいということか。冬毛のままの犬みたいな感じか。


 彼女は川口市の某研究施設で生まれ育ち、外の世界に出てきたのはつい最近だ。ガチの夏を体験するのも生まれて初めてなわけだ。


「……きってほしいです……おねがいします」

「僕? いやいや、女の子の髪切るとか絶対無理だし……床屋行こうよ、いや美容室か、美容院だっけ?」

「かみきってくれるところですか?」


 そうか、そういう店にも行ったことがないのか。


「じゃあ、お昼食べたら切りに行こうか」

「……かみをきったら、ちーさんどうですか?」

「は?」

「みじかくしても、にあうとおもいますか?」


 ギンチョは上目遣いでちらっちらっと窺ってくる。千影は言葉に詰まる。

 正式に彼女を同居人と認めることになって以降、ごくまれに女の子らしいというか色気づいたいうか、そんな言動をするようなことがある。普段は麺・肉・脂しか脳にないくせに。


 えっと、なんだろう? やっぱり髪型を変えるというのは、女の子の端くれのようなこの子にとっても一大イベントということか? ばっさりいって似合わなかったらどうしよう的な?


 訊く人間を世界一間違えている。目の前にいるのは自他ともに認める赤羽随一のボンクラコミュショーだ。


「えー、あー、うん……だいじょぶだよきっと(棒)。似合うと思うよ(適当)」


 髪型気にする前に食生活を気にしろ、もっとサラダとかスープパスタとかふわふわしたもの食え、などと余計なことは口にしない。言っても無駄だから。


 千影の棒説得に納得したのか、彼女はほっと表情を緩め、うなずく。


「はう、じゃあきりにいきたいです」

「じゃあ、行きますか」


 よし、これで今日の午後の予定もできた。しかたない、ダンジョンは明日以降に持ち越しだ。



 昼食後、千影とギンチョはラフな外着に着替えて家を出る。日差しが毛穴を刺すようだ。太陽が笑っている。汗だくの二人を見てげらげら笑っている。


「ギンチョ……だいじょぶ?」

「あいす……」

「食べたいもので返事するな。帰りに買ってやるから、まずは散髪をがんばろう」


 女の子の行きそうな美容室なんて心当たりがないので、ホットホッパーで調べてみたものの、案の定良し悪しなんてわからない。そこで千影の数少ない知人女性である明智瑠奈にLIMEで相談してみたところ、住所が送られてきた。赤羽駅西口から徒歩五分くらいにある美容室らしい。ということは、ここから歩いて十分ちょいか。融ける。死ねる。


 Tシャツがぐっしょり汗でにじんだ頃、ようやくその店にたどり着く。〝バババーバ・バーババ〟、古ぼけて色のくすんだテント屋根にはそう書いてある。ハサミのイラストがなければなんの店か永遠にわからない。


 初めての店には入念な心の準備を要するコミュショーあるあるを味わうものの、こんなところでうだうだしていても焼きナマコになるだけだ。ころんころん、とドアベルを鳴らして店に入る。


 店内は冷房ガンガンというわけでもなく、適度に涼しい。散髪用の椅子が二脚。思ったよりも簡素で清潔だが、あまり広くはない。


「ぇらっしゃぇ」


 やる気のかけらもない挨拶で出迎えてくれたのは、少なくとも七十歳以上と思われる女性だ。腰が曲がり、灰色の髪を結わえ、紫色柄物のシャツを着ている。テンプレ的なお年寄りルック、だけど眼光だけが異様に鋭い。そのせいか、「た、たかはなギンチョともうします……」といつもの自己紹介から入りつつ、千影の陰から出てこないギンチョ。


「明智の小娘から話は聞いとるじゃ。なんだっけ……忘れたじゃ」


 あの悪魔を小娘呼ばわりか。すごい、年功序列社会。


「ああ、ギンチョってそこのお嬢ちゃんと、ハヤカワ……チハゲ。レベル4のキモ男」

「早川千影です。レベル4のフツ男です」

「ようこそ、バババーバ・バーババへ。わしが店主の芦田じゃっす。〝赤羽の英雄〟さん」


 そうか、マジか。初めて見た。


 この人が芦田よしき。

 現役最高齢のダンジョンプレイヤー。通称〝剣匠(マスター)〟よしき。

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