プロローグ-ケイトの記憶①
「へー、トラえもんってケイトの国でもやってるんだ」
出会ってまだ日も浅いが、ノブは特に理由がない場合、基本的にいつも楽しげでにこにこしていた。日本でいう「陽キャ」というやつらしい、ケイトの周りにはほとんどいないタイプの人間だった。
「私はあんまり見たことなかったし、日本のアニメってのもあとで知ったけど。ていうか、日本っていう国自体あんまり知らなかったし」
「ほえー、そんなもんか」
「ノブ太くんって、あなたと同じね、ノブ」
「俺も学校の成績は微妙だったな。俺んとこにもトラえもんが来てくれたらよかったのに」
「私のいた施設でも、男の子たちはそういう話してた」
あの秘密アイテムがほしいとか、あのアイテムがあれば人生やりたい放題なのにとか。彼女はそういうのを冷めた目で見ていたクチだ。まあ、多少似たようなことを思わなくもなかったけど。
「ケイトはなにがほしかった?」
「地球破壊ビームだっけ? あのくそったれな私の国ごとぶっ壊したい」
「ジョークに聞こえないよね、君が言うと。クールそうな見た目してるくせに、俺の百倍喧嘩っ早いし。なにかとすぐに手が出るし」
「ジョークよ、半分」
「せめて四分の一くらいならよかったのに」
「あとは……クレヨンなんとかと、男の子がサッカーで殺し合うやつとか。あれは面白そうだった、全然見たことないけど」
「クレヨンしんくんと、たぶんだけどキャプテンつかさかな。殺し合いはしないけど。プレイヤー並みの身体能力で、シュートで人間吹っ飛ばしたりはするけど」
二人は英語で話していた。彼女の日本語は日常会話のレベルには遠く、一方で両者の英語力は会話が成り立つ程度のレベルにあった。国際ダンジョン管理機構――IMODの試験では日本語は必須ではなかったから、本国でも最低限の「日本で生活して困らない程度」のカリキュラムしかなかった。
「つってもさ、俺も子どもの頃は米国にいたし、昔のアニメとかはあんまり詳しくないんだよね。中学んときにがっつりハマって、今は部屋にフィギュアとかあったりするけど」
「オタクってやつ? ジャパニーズナード」
「ノーノー、ヲタク。ウォ、タ、ク。世界公用語だから」
そういうくだらないジョークを言うとき、ノブは幼いイタズラっ子のような表情をする。それが彼女にはひそかにお気に入りだった。
「今、日本ではどういうアニメが流行ってるの?」
ダンジョンと安アパートを往復しているだけだし、テレビは他の相部屋の子たちが専有しているから、そんなことを訊いてもしかたない。単なる世間話だ。
「えー、なんだろう? 今期アツいのは、安定のJKものかな。女子高生が立ち食いそば食べ歩くやつとか、みんなでお遍路を歩くやつとか」
「歩いてばっかだけど、それが面白いの?」
「面白いというか、可愛い女の子がなにかニッチなことをしたら、それだけで俺みたいなやつは喜ぶわけで。もちろんリアリティとキャラデザと性格分けは必要最低条件だけど」
「はあ」
ノブもそういうのが好きなのか。普通に女の子にモテそうなのに。
「あとは最近だと異世界ものかな。俺も好きだけど、最近はちょっとチェックしきれてないかな」
「イセカイモノ? なにそれ?」
「えっと、普通の高校生とかニートとかサラリーマンが、いきなりファンタジーな別の世界に放り込まれて……」
「不思議の国のアリスみたいな? 穴に落ちて別の世界に行っちゃうみたいな?」
「いや、そのへん曖昧だったりする作品もあるけど。なんか異世界から召喚されたり、事故で死んで生まれ変わったりとか? とにかく異世界に行って、世界救ったり無双したりハーレムつくったり」
「よくわからないけど、ファンタジーってことは指輪物語とかナルニア国物語みたいな世界でしょ、銃もナイフも使えない平和ボケした日本人がそんなところに放り込まれて、生き延びられるの?」
「ナルニアもそんな感じじゃなかったっけ?」
確かに、あいつら王様になったりするし。
「最近の異世界ものだと、現代人の科学や知恵を使ったり、なんか転生したボーナスでチートな能力をもらったりとかして、紆余曲折なんとかなっちゃって。んで、基本的には複数の女の子にモテる」
「都合がいい気もするけど、そういうのが流行ってるの?」
「人気だね、いっぱい作品出てるし。アジアでも人気らしいし、俺も好きだし」
へー、と気のない返事をしつつ、本音は彼女もそういう話は嫌いではなかった。恥ずかしいから口には出さないけど。
子どもの頃、おとぎ話やファンタジー小説を読んではよく妄想した。「ここじゃないどこかへ行きたい」「自分じゃない誰かになりたい」と。ベクトルは若干違うかもしれないけど、望むものはほとんど同じだ。
「アニメ、今度持ってくるよ。タブレットにデータ入れとけばどこでも見られるから」
「別にいいけど、まあノブが見たいって言うならね」
とはいえ、今さらそういうお話を見なくても、すでに彼女の夢は多少叶っていた。現実になっていた。
母国から遠く離れた異国の地下に潜む、赤羽ファイナルダンジョンという異世界。
プレイヤーという名の探索者となり、彼女はその広大な世界を冒険している。
「……だけど……」
本当にこれが、子どもの頃に夢見た状況だと言えるだろうか?
あの国から出たくて、あの場所から離れたくて、自由と冒険を求めてプレイヤーになることを望んだ。
それなのに私は、どこまで行っても不自由だ。
この命は遥か地中深くの異世界まで来ても、あいつらに拘束されている。
そしていずれ死ぬ。他の子たちがそうだったように、自分もこのダンジョンで命を使い果たすことになる。
「……こんなの、誰も喜ばないよね……」
「え?」
「いや、なんでもない」
イセカイモノとやらを好む人たちも、こんな人生は誰も求めてくれないだろう。誰も憧れてくれないだろう。そんな風に思って、彼女はノブに見えないように一人苦笑した。
「……ああ……でも」
ここで死んだとしても、私も別の世界に生まれ変われたりして。
それならいいか。どんな世界だろうと、どんな姿だろうと、今度こそ今よりきっとマシだ。
そんなくだらないことを考えて、少しだけ気持ちが軽くなった気がした。
3章の始まりです。
よろしくお願いします。




