エピローグ-4
「祭りのあと、D庁とIMOD、それに米国を含む主要国で非公式の会合が開かれた。今後予想されるダンジョン関連事業へのバッシングをどうかわすかってね」
千影が病室を出る前、明智は布団に足を突っ込みながら説明してくれた。
「ダンジョンの恩恵ばかりを享受してきた人類が、この地上で初めてその巨大な危険性と対面することになった。反ダンジョン主義者たちが勢いづくのは明白だし、これまで概ね肯定的だった世論も傾きかねないとも懸念された」
「まあそりゃ……」
「IMODはバッシングの矛先をダンジョンの危険性ではなく、D庁の人為的な失態へとすり替えることで、ダンジョン関連事業へのダメージを最小限にしようとした。今回の一件を引き起こしたのは日本人プレイヤーで、その危険人物に免許を交付したのはD庁だからってね。当然っちゃ当然だけど、ダンジョンを自国領土に抱える日本を表立って糾弾するような真似は、彼らにしても不本意なところだろうけどね」
それで、どこでギンチョが出てくるんだ?
「んで、あたしらの大ボス――ダンジョン庁長官は、それを甘んじて受け入れることを彼らに表明した。すべての責任は日本のD庁にある、国家的賠償と自らの辞任、組織改革を持ってこれに当たる、と。代わりに提示した条件が、あの子――ギンチョを、高花ギンチョをただの一日本人の一ダンジョンプレイヤーとして認めさせることだった」
「はあ?(唐突)」
「米国組織の不正なクローン実験なんてなかった、IMODはなにも知らない見ていない。各国研究機関その他は今後一切の手出し無用、もちろん日本側も同じ。みんな仲良くなんにもなかったことにしときましょう。ダンジョン犯罪の被害者である悲劇のチビっこプレイヤーとして、大人みんなで見守りましょう。それが長官の出した条件だった」
「なんで? その人、え、なんで……?」
さっきまでの話とギンチョとは全然関係ないのに。
明智は首をすくめて苦笑する。
「まあ、今後各国にまたがりかねない無用な火種を鎮火しようって意図だと思うけど。これ以上そんなゴタゴタで足を引っ張り合ってる場合じゃないよ的な。つーか、あの長官は霞が関でも奇人変人天才変態って有名だからね、あのおっさんの真意なんて読もうとしても無駄よ。近日中に辞任するらしいけど、退官してセカンドキャリアはプレイヤーだって息巻いてるって噂」
「どうしてそこまで……?」
「責任なんてとって当然な話なのに、ただ国土内にダンジョンがあるっていう立地的優位性だけを盾に、一人の女の子を餞別にもらうだけでなく、各国間の政治的な潜在的リスクも解消させた。ただでは転ばないところがあのおっさんらしいやり口だ。どっかのアホが暴走して先走りでもしない限り、その約束は少なくともマクロ的には守られるだろう」
前に明智が言っていた、うちのボスが悪いようにはしない、と。ギンチョを特例プレイヤーに仕立て上げたシナリオも、その人が用意したものだったのだろうか。
千影的には半分もわかっていないし、なんとなくもやっとしたものも残っているが、これでもうギンチョは誰かに追われたりしなくて済むということだろうか。
「つーわけで、完全ってわけでもないけど、あの子は汚い大人の思惑から解放されて、晴れて自由の身となった。あの子に与えられた日本国籍はそのままだし、望むなら特例免許プレイヤーとしての活動も継続できる。どうするかは彼女の希望次第だね。そんなわけで、君のお守りクエストはおしまいです。この一カ月間、ほんとに助かったよ、お疲れ様でした、早川くん」
「……はい……」
「報酬の振り込みとか領収書については後日ってことで。他に質問なければ、いい加減寝ていい? マジでもう限界なのよ……おやすみ……」
ナースコールを押してやろうとしたら、ズボンの股下すれすれを【ピースメーカー】で撃たれた。震え声で他にもいくつか確認したあと、ギンチョがいるという屋上に向かった。
そして今に至る。
*
「僕の仕事は終わった。僕のやるべきことは全部やったし、僕にできるのはここまでだよ」
「おにーさんといっしょがいいです」
ギンチョは間を置かずにそう答える。千影は目を合わせずに言葉を続ける。
「ギンチョはこれからどうするの? タカハナさんと一緒に暮らすの? 明智さんから聞いたけど、正式にIMODを辞めるって話だし、あの人なら僕なんかよりもちゃんとお前を守れる気がするし」
「マーマはしばらくくににもどるっていってました。おにーさんといっしょがいいです」
「……なら、丹羽さんにお願いするとか。明智さんでもいいし……あの人たちなら喜んで迎えてくれると思うよ。やっぱり僕じゃ女の子の世話なんてなんにもできないし……直江さんだけは論外だけど」
「おねーさんたちはすきだけど、おにーさんといっしょがいいです」
「……せっかくさ、お前は自由になったわけで。無理やりプレイヤーなんかやらなくてもいいし。僕なんかと一緒にいるより、もっと楽しいこととか幸せなことってあると思うし……」
「おにーさんといっしょがいいです」
千影は頭を抱える。なにこの無限ループ。
「なんで? 僕といてなんのメリットがあるの? どう考えても僕と一緒にいる理由なんてないじゃん」
「わたしが……いっしょにいたいからです……」
思わず言葉に詰まる。
彼女がなぜ頑ななまでにそう思うのか、千影には理解できない。他人にそんな風に求められたことなんてないから、どうしたらいいのかわからない。
「なんでだよ……僕なんか、女心とかぜんぜんわからないし、というか人間の気持ちとか全然わからないし、家事能力レベル0だし、理屈っぽいし、めんどくさいし、コミュショーだし、恋人はおろか友だちもいないし、空気読めないし、常日頃から金のことばっか考えてるし、癖っ毛だし、モブ顔だし……ほら、ぶつぶつ言ってたから周りの目が集まってきてこのとおり顔真っ赤っかだし、お前の考えてることも全然わかってやれないし……」
言っていてどんどん惨めになっていく。なんて憐れな生き物、その名も早川千影。
ギンチョはしばらくうつむいて一点を見つめる。そしてふるふると首を振る。
「ダンジョンにいるおにーさんは……カッコいいです」
心臓が止まるかと思う。
まったく予期していない言葉すぎて、呼吸すら忘れてしまう。
なんで? なんでそんなことを言うの?
どこをどう見たらそう思えるの? 僕含めて世の中の誰一人、そんな風に思ってないよ?
「……レベル4にもなって、浅層でもビビって周り警戒しまくりだったじゃん……?」
「わたしがあぶなくないように、きをつけてくれたんですよね」
「……深いところに潜っても、ちっとも冒険しないですぐ逃げるし……」
「すごくしんちょうで、いっしょうけんめいだからですよね」
「……ドロップアイテムは小物でもいちいち拾うし、重くても捨てたりしないケチっぷりだし……」
「それがおしごとだから、ごはんたべるためですよね」
「……いやいや、好意的に解釈しすぎじゃね? 僕なんか、地味でヘタレでチビっこの憧れとは真逆で、今回だってヒーローになりそこねて、いやそれはいいんだけど、僕なんかのどこが……」
本当だ、カッコ悪いにもほどがある。こんな小さな子に、本音とはいえくどくどと女々しい自虐を披露して。明智や直江がいたら「キモいわボケ」と腹パンされるところだ。想像したら鼻水出そう。
ギンチョの指が、千影の肘のあたりをそっとつまむ。上目遣いに、おそるおそるといった風に、でも口元をきゅっとしてうなずいてみせる。
「おにーさんのせなか、ずっとみてました。カッコよくて、だいすきです。わたしも、おにーさんみたいなプレイヤーになりたいです」
そう言って、ギンチョは照れくさそうに笑う。
この子は頭がいい。教えたことは忘れないし、この子なりにちゃんと周りを見ている。
見ていてくれたのか。僕のことも。
その上で、本当にそんなことを言ってくれるのか。僕なんかにそんな価値があるって。
千影は顔を背け、鼻水をすする。いや、別に泣きそうになんかなっていない。本当に鼻水出そうになっただけだ。本当だ。嘘です。
「おにーさんは、いやですか? わたしといっしょにいたくないですか?」
「……僕……?」
「おにーさんは、これからどうしたいですか?」




