エピローグー3
病院の屋上、というこれまたベタなシチュエーション。予想に違わず物干し竿に広げられた白いシーツが風に舞っている。
天気がいい。梅雨はもう明けたのか、からっとして気持ちがいい。今年はあまり雨が降らなかった気がする。
ベンチのところにギンチョがいる。その隣にはタカハナも座っている。
私服というか、黒ずくめの暑苦しいコートじゃないタカハナを見るのは初めてだ。白いブラウスにすらっとしたスラックスにセレブ的なサングラス。栗色の髪が風にたなびいている。一人だけニューヨーク感がすごい。この入院着が似合いすぎている自分が恥ずかしくなる。ちなみにギンチョもジャージではなく黄色のパーカーと白のパンツという女の子っぽいよそ行きの格好だ。
「あ……どうも……」
千影が声をかけると、ギンチョがかたまる。三日ぶりで顔を忘れたのだろうか。いや、見舞いには来てくれていたらしいし。
数秒の息詰まる沈黙のあと、ギンチョが立ち上がり、タックル気味に千影の腹めがけて飛び込んでくる。みぞおちに頭突きが直撃し、昏倒しそうになるのを男の矜持が支える。
「えっと……ただいま……?」
「……おかえり、です……」
ギンチョはしがみついたまま顔を上げず、ぐすぐすと洟をすすっている。よかった、忘れられてはいなかった。うん、離れたときに鼻水が糸を引くところまで予想する。入院着でよかったと思う。
「ありがとな、ギンチョ」
「……ん?」
「お前のおかげで生き延びられたから……」
「……やくそく、やぶってごめんなさい」
「なんの?」
「ついていかないって、やくそくしたのに」
「だけど、お前が来てくれたから、僕は生きて帰ってこれた」
「……わかんないですけど、じゃあ、おあいこです」
飲み物を買ってくる、とタカハナが席を立つ。千影に目配せし、軽く会釈する。通りすぎるときに柔軟剤的なふわっとしたかおりがする。
ギンチョをそっと離し、案の定のギンチョ汁を裾で拭い、二人で並んでベンチに座る。そのまましばらく静かに時間がすぎる。
「おにーさん」
「ん?」
「あれ、なんですか?」
ギンチョの柵の向こうを指さす。
「東京スカイタワー。日本で一番高い建造物」
晴れているからよく見える。
「ほえ、すかいたわー。じゃあ、あれはなんですか?」
「富士山。日本で一番高い山。世界遺産」
「ほえ、せかいいさん。じゃあ、にほんいちのラーメンはどこですか?」
「わからないし、たぶんそびえ立ってないから見えないと思う」
あまり会話がはずまない。これまではそれでも特に意識することもなかったけど、こうして改まってしまうと妙に気づまりを感じてしまう。柄にもなくあんな抱擁をしてしまったあとだから特に。
「あ……昨日、見舞いに来てくれたんだって……ありがとう」
「はう、おとといもきました。おにーさんずっとねてたから、るなおねーさんがかおにえをかいていいっていってました。しゃしんもとりました」
鏡を見たとき、ほっぺたに若干黒ずみみたいなものが付着していたのはそれか。
「んで……三日間、どこにいたの? タカハナさんと一緒に?」
「はう、マーマといっしょにホテルにいました。ベッドはふかふかで、れいぞうこにいっぱいジュースがあって、レストランのごはんがおいしかったです。カレーとかハンバーグとかステーキとか」
食べものの話をすると腹が減ってくる。昼食もまだなので「ぐー」と腹が鳴る。
「おにーさん、おみまいもってきたです」
そう言って、ギンチョはリュックからケントッキーのチキンバーレルをとり出す。
「お見舞いにケントッキー?」
「じぶんがもらっていちばんうれしいものをあげるのがいいって、マーマが」
「斬新すぎるだろ。お前が食いたいだけだろ」
せっかくなのでドラムを一本もらう。確かにうまいが、二口かじったところで飲み物がほしくなる。タカハナさん、早く帰ってきて。
「あのさ……ギンチョ……」
「もしゃもしゃ?」
「咀嚼音を疑問形にするな。えっと、ギンチョはさ……これからどうするの?」
「きょうは、マーマとスーパーせんとうにいきます。スーパーなおふろです。ひろくおっきく、あわがぶくぶく、いわがぬくぬく」
「フリースタイル」
「そのあと、ラーメンたべます。めんやふじちゃくです」
「ちゃんと息ケア飲もうな」
「あしたは、ミリヤおねーさんとえいがをみます。えっと、〝ゆりばたけでつかまえて〟とかいうえいがです。そのあと、ステーキたべます。とつぜんステーキあかばねてんです」
「たぶん映画は違うのがいいかもな」
「あさっては、めぐみおねーさんとおようふくをかいにいきます。そのあと、やきにくたべます。こないだのたべほうだいのところです。メニューぜんぶせーはします」
「リア充すぎるじゃねえか」
「そのつぎは……その……」
ギンチョはそこで口ごもる。うつむき、肩を震わせ、目尻に涙を溜めていく。
「え、え? なに、なに? 今楽しいお話してたよね? どこに泣きスイッチがあったの? おにーさんコミュショーだからわからないよ、周りの目が気になるよ」
「……おにーさんは、いつたいいんするですか?」
今度は千影が言葉に窮することになる。「えーっと……」から数秒間を置く。
「検査とか、もう少しかかるみたいだけど……」
「もうすこしって、いつですか? いつ、おうちにかえってくるですか?」
「訊いてみないとわかんないけど、身体は元気だし、二・三日くらいあれば退院できるんじゃないかな。そんだけリア充ならさ、別に寂しくないだろ? 僕がいなくても……」
「おにーさんがいないと、いやです。さびしいです」
千影は頭を掻く。こういうのは慣れていない。
だけど、はっきりさせておく必要がある。
「あのさ、ギンチョ」
「……はう……」
「タカハナさんから聞いてるだろ、お前はもう自由なんだ。だから……今日で僕らのチームは解散だ」
 




