6-5:おにーさん
幼稚園以来のでんぐり返しを連続で強要され、ひたすら頭をコンクリートに打ちつける。
もうもうと土煙が舞っている。目の前に巨大なクレーターができている。というか竪穴に近い深さだ。どれだけの破壊力か、どんな種類の破壊なのか。
その円周側に直江がいる。膝をついて息を荒らげている。
「直江さん……なんすかこれ……」
「……ドリルを具現化するスキル、【コルヌリコルヌ】……ぴったり二分、限界までチャージしたから……粉みじんになってるかも……」
額にびっしりと汗をかいている。腹の傷はふさがっているようだが、だいぶエネルギーを消耗している。言葉のとおり、その一撃に全力を込めたのだろう。
エナジーポーション、あと一本あったっけ? でもその前に黒の生死を確認しないと――
背中がぞわりとして、振り返る。
ゾンビかなにかだと思った。細身のシルエットが逆光の中に浮かんでいる。顔は見えないが、まとう空気で黒だとすぐにわかる。
「……よお、やってくれたな。絶望しかけたぜ」
上半身裸で、頭からバケツで赤いペンキをかぶったみたいに血みどろになっている。スーツはへそから下しか残っていない。
「……これまた、パンクな格好になって……」
黒の口からけぽっと血が溢れる。具合が悪いなら無理しないでほしい。
「きひ……もういい。もうやめだ」
賛成、もうやめよう。あとはジャンケンかなんかでカタをつけよう。
だけど、なんでそんな怖い顔のままなの?
黒が右腕を横にかざす。
下半身のスーツがずるずると身体を這い、意思を持った悪霊のように右腕に集まっていく。右手の先まで伸びていき、彼の背丈ほどもある巨大な斧状に変形する。
「もう贅沢は言わねえ……このまま命尽きるまで、殺し尽くす。それだけが俺の希望だ」
ことあるごとに絶望を語ってきた黒が、希望を口にする。
終わらないのかよ。だけど、こいつもその覚悟を決めたということか。
どっちかが終わるまで終わらないということか。
引き絞られた弓の弦のように、黒の背中がぎりぎりとのけぞる。
とっさに千影は直江を突き飛ばす。
横薙ぎの一閃。衝撃の波が地面を薙ぎ、爆ぜる。
直撃は免れたのに、突き抜けた衝撃だけで千影の身体は木っ端のごとく吹き飛ばされ、地面を転がる。仰向けになって止まり、そのまま動けなくなる。
「あ…………あ…………」
おかしいな。昼頃で快晴だというのに、空がやけに暗い気がする。
舞い上がっている埃のせい? 目をやられた? それとも、目どころか身体が死にかけているとか?
身体を起こそうとして、右腕に力が入らないことに気づく。肘と手首のちょうど真ん中あたりに、もう一つ関節が増えている。そんなものを追加した憶えはないので、ああつまり、骨が折れている。
左手で上体を起こす。直江はさらに後方に横たわっている。福島は直江の開けた大穴の向こう側。二人ともむくっと起きて助けてくれる――ような気配はない。むしろ福島は死んでいてもおかしくない。
足音が近づいてくる。千影も起き上がろうとするが、足を動かそうとして激痛にあえぐ。右脛が折れ曲がり、左足はつぶれかけて血まみれだ。はあ、マジかよ。
「きひひ……てめえこそ、愉快ななりになってんじゃねえか。嬉しいぜ」
死ぬ。両足ともこれじゃ、加速もなにもない。
今度こそ詰みだ。このまま死ぬ。もうできることはない……なんかない?
転がって横向きになり、片手でボディーバッグを漁る。なにか小細工。なにかその場しのぎ……いや、こんな状況をひっくり返せるアイテムなんて――
あれ、これ、なんで入ってんだっけ?
ああ、貴重品だったから。というか、リュックに入れておくとギンチョがこっそり使いたがるかと思って、こっちのバッグに隠していたんだっけ。
「なにごそごそやってやがる」
黒の足に腹を蹴り上げられる。身体ごとぶわっと浮き上がり、落ちてゴロゴロ転がる。缶蹴りの缶の気持ちがわかる。背中を向けてうずくまり、血の混じった胃液を吐き出す。
ぷしゅ、という空気の抜ける音は、千影の嗚咽でかき消すことができる。
黒の足に脇腹を引っかけられる。イタズラに遭うカメみたいに仰向けにひっくり返される。顔中ぐしゃぐしゃに濡れた千影を見下ろして、黒は愉快そうに唇を歪める。
「ああ、まだ左手だけは無事そうだな。仲間外れはかわいそうだ」
すとん、と黒の斧が千影の左側に振り下ろされる。違和感に気づくのに一秒くらいかかる。左肩から先が切り離されている。
「あ・あ・あ・あっ!」
蛇口から血が噴射する。ぶしゃーって。痛いというより怖い。怖いというより狂う。もがく。転がる。あ、あ、あ、頭がおかしくなりそうだ、だ、だ、だ。
僕、なんでまだ生きてるんだっけ? もういいよね? じゅうぶんがんばったよね?
もう終わりたい終わりたい終わりたい終わりたい――。
「おおお、いい表情だよ。イケてるよ。つーかイッてるだろ。最高じゃねえか、絶望クライマックスだ――」
「――おにーさん!」
口からもれる絶叫が急速にしぼんでいく。意識が現実に戻ってくる。
千影と黒、二人の視線が同じほうに向けられる。もうもうとした土煙が晴れ、ちんまりとした少女が現れる。
「……ギン……チョ……」
「……シヴィ……」
「おにーさん!」
なんでこんなところにいるんだよ。来るなって言ったのに、約束したのに。
黒が舌打ちし、千影の脇腹を蹴りつける。
「違う、てめえはシヴィじゃねえ、まがいものだ! 俺を兄さんと呼ぶんじゃねえ!」
怒鳴られたギンチョはびくりと身をすくめ、それでも涙を溜めた目で黒を睨みつける。そしてぶんぶんと頭を振る。
「ちがいます! くろのかいじゅーさんは、おにーさんじゃないです!」
「……は?」
「わたしのおにーさんは……ちかげおにーさんだけです!」
ギンチョのさけび声がきいんと響き、消えていく。あたりが静まり返る。
「……リンクできねえ……リンクが完全に切れてやがる……」
呆然としていた黒が、苛立たしげに頭を掻きむしり、その場で地団駄を踏む。
「くそがぁああっ! 〝ダンジョンの意思〟、こんなのがてめえの見たかったもんかよ! 俺は認めねえ、遺伝子を意思が凌駕する、そんなことがあってたまるか!」
「……ギンチョ……」
千影は頭をもたげ、彼女のほうを向く。
「おにーさん!」
「……ありがとう……」
精いっぱい、千影は笑いかける。ひどい笑顔になってないといいなと思う。
黒が千影の首を鷲掴みにし、無理やり引き起こす。足が地面を離れ、そのまま宙吊りになる。
「このあと七十億が待ってるんでな……もう終わりにしようぜ、ハヤカワチカゲ」
首を掴む指がさらにみしみしと食い込んでいく。呼吸が途絶され、意識が端から白く塗りつぶされていく。
「てめえの次は、あのクソガキだ。仲よく絶望して死ね!」
「おにーさん!」
ギンチョがこちらに向かって駆けてくる。来なくていい、危ないから。火傷するよ。
黒が斧を振りかぶる。同時に千影は折れた右手を動かす。
肩と肘で持ち上げるようにして、前腕をぷらぷらさせたまま、てのひらを黒の胸のあたりに向ける。
「――あ?」
黒が顔をしかめる。千影は口元を緩める。
ありがとう、ギンチョ。
意識を引き戻してくれた。意思を奮い立たせてくれた。約束を思い出させてくれた。
これをチャージする時間もくれた。
自分がやることは一つだ。最後にやれることはこれだけだ。
切断された左腕の下に、金色のシリンジが隠れていることに、黒は気づいていない。
エリア8で拾った、チャージ方式のスキルのシリンジ。その中に閉じ込められていたレトロウイルスは、さっきすでに千影の中に投与されている。
スキルの上書き。
【ムゲン】を捨て、新たに手にしたその名前を、千影は頭の中で呼ぶ。
――【イグニス】。
てのひらから放たれた光が、目を見開いた黒の表情をかき消していく。
その身体に直撃した炎の矢は、轟音とともに炎の柱となって燃え上がる。
千影の意識はそこでぶつりと途絶える。
2章6話、これで終了です。
お付き合いいただきましてありがとうございました。
次からは2章エピローグです。
ちょっと長めになってしまう予定ですが、お付き合いいただけると幸いです。
評価、感想、レビューなどいただけると幸いです。




