6-4:死地に光る、そして
振り上げた黒の刃が太陽光に煌めく。
死が目の前に迫っている。
ああ、死ぬ。詰んだ。オワタ――
「――え?」
身体が勝手に動いている。気づいたら袈裟斬りの一撃をかわしている。
二撃目と三撃目。ビュンビュンッ! と鋭く空気を裂く、ほとんどつなぎ目のない横薙ぎと突き。それもほんの数ミリの猶予でかわしている。
「……お前、なんだそりゃ?」
黒が驚いている。千影自身はもっと驚いている。考えて動いたわけではない、反射的、本能的な動きだ。
四撃目、五撃目、六撃目。かわし、刀で受け止め、【アザゼル】でいなす。火花が散り、硬化した腕の芯が痺れて脳にまで伝わる。七撃目、八撃目、九撃目――。
「なんでだよ、なんで当たんねえんだよ!」
あのときと同じだ。一年前、黒に襲われたとき。本気ではなかったとはいえ、やつの攻撃をかわし続けたときと。
生存本能が身体を支配している。身体を限界まで酷使している。そのせいで肺がつぶれそうだし、目が飛び出そうだし、全身の筋肉が引きちぎれそうだし、脳が熱でとろけそうだ。
「ざけんな! クソが! 死ねよぉっ!」
怒り狂った黒が、その殺意を絶え間なくぶつけてくる。
瞬きほどの知覚の世界で、その初動を、軌道を、千影の意識はかろうじて捉えている。
身体中のすべての神経が、痛いほどに研ぎ澄まされているのを感じる。
ゴキブリ並みと称された反射神経が、ここへきて潜在能力のギリギリまで引き出されている。
集中。集中。集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中集中――――。
スイッチが入っている。あれだ、やる気スイッチ。
ギンチョにとってのそれがラーメンだったように、千影にとってのそれが死地なのか。
普段は【ムゲン】を除けば自称そこそこ程度のプレイヤーなのに、死を前にするとこんなにもイキイキとするなんて。我が身のことながらすごいというか、そうなる前にもっとやる気出せよというか。
そんなことを考えながらも、身体は勝手に動き続けている。身体が思考を置き去りにしている。ガリガリと皮膚を削られながら、全身血まみれになりながら、それでも身体は止まらない。
「ちぎれろよ! 死ねよ、殺されろよ! 絶望しろよ!」
してるって。ずっとしてるって。それが終わらない。終わってくれない。
あれから何秒経った? いつまでかわし続けられる? いつまでかわしていればいい?
というか僕、死ぬの? 死なないの? どっちなの?
こんなのはいつまでも続かない。もう身体は壊れはじめている
反撃なんてもっと無理だ。持てるすべての能力を回避に費やしているからこその今だ。
ということは、相手が息切れしてギブアップするとか、足元に小銭でも見つけてストップするとか、そんな奇跡でも起きない限り助かる見込みはない。つまり助かる見込みはない。ツマリタスカルミコミハナイ。
いずれ死ぬ。それだけは決まっている。
それなのになぜ動き続ける? なぜ無視し続ける?
話が違うじゃないか、意思が人を人たらしめるって、そんな感じのことをサウロンが言っていたのに。
そんなんほったらかしで勝手に生きたがっている。いや別に、死にたいわけでもないけど、意思のほうはもう諦めているというのに。
ほんとに? 諦めてるの? じゃあなんのために戦ってんの?
いやだって、もう勝てないじゃん。戦う理由ないじゃん。
「あっ!? そろそろ限界か、おっ!? 深く当たりはじめたぜ!」
黒の言うとおり、かわしきれなくなってきた。肉まで削られまくってる。焼く前のステーキみたいにめっちゃ筋入れられまくってる。めっちゃ血出てる。
もう無理だって。戦う理由なんてないのに――あれ、でも。
生きる理由ならあるのかな?
そりゃ死にたくないけど、別にそんな、しゃにむになにがなんでも生きなきゃいけない理由とか――
――おにーさん。
耳の奥で声がする。自分を呼ぶ声が。
ああ、そっか。あったわ。帰る場所があったわ。
今まで一人だったのに。一人ならどこへでも行けたのに。二人になると、そこに帰らなきゃいけない。
なのに、もう。
「きひ、絶望完了」
刃が目の前に迫る。眉間から入って後頭部から出ていく軌道だ。体勢が悪い、つまずきかけている。【ムゲン】でも間に合わない。かわせない、無理か。ここで終わりか。
「――るぁああああっ!」
横合いから、左手から光の盾を具現化させた福島――スキル【アイギス】による盾打ち。まともにくらった黒の身体が横に吹っ飛び、ゴロゴロと地面を転がる。
黒との距離が開く。先に体勢を立て直したのは千影だ。ここしかないと思う。
刀を上段に構え、千影は突進する。そしてその名を頭の中で呼ぶ。
――【ムゲン】。きっとこれが、最後の加速になる。
バランスを崩している黒の動作がスローになる。
その黒と目線がぶつかる。そして――
黒の輪郭がぶれる。もう一つの加速が開始される。
ここだ。
千影は足を踏みしめ、全力でブレーキをかける。
加速した世界では音も奇妙に聞こえる。スローモーションの動画と同じだ、基本的には低く聞こえる。
黒が数歩目で左足をとられて前につんのめる。あ? と間の抜けた声が聞こえた気がする。少なくとも表情はその形になっている。
そのまま派手にずっこける。後ろを振り返ってそれを見る。左足にへばりつく、白い粘着質なものを。
――気まぐれ蜘蛛糸。
ギンチョと塔を探索していたときに手に入れた、蜘蛛系クリーチャーのレアドロップアイテムだ。蚕の繭のような大きさの半透明の球。投げつけると液状に広がり、トリモチのようにべっとり貼りつく。拘束にもトラップにも使えて便利だが、その粘着力は練り消しレベルから超強力な接着剤レベルまで、使ってみるまでわからない完全ランダムだ。
あはっ、と千影は笑う。その声が黒に届いたかどうかはわからない。
加速する寸前、黒との直線上にそれを投げつけていた。上段構えで視線を釣った、舞う埃で視界は悪かった。気づかれない可能性に賭けた。
はは、ていうか、マジか。
笑わずにはいられなかった。黒はそれを踏んだ。そして強いほうに当たりを引いた。あの突進力を削ぎ、バランスを崩させた。アホみたいにずっこけてくれた。面白いものが見れた。
ってか、こんな小細工を頂点の戦いでやるとか。ラスボスに聖水ぶっかけるようなものだ。その恥知らずさが、弱者のせこさが、やぶれかぶれの博打が、奇跡レベルの幸運を土壇場で引き寄せた。そりゃ笑うしかない。
三秒という加速の世界で、その足踏みは致命的だ。
千影の加速はすでに解けている。黒が向き直り、千影に怒りと屈辱を込めた表情を見せる。そして構わず再度突進――しかし、そのスピードは元に戻っている。やつの加速も解けている。
「んがっ!」
もっと笑っていたいけど、黒の刃が眼前に迫り、なんとか刀で払いのける。
「くそがぁああ!」
激情に任せた黒の動きは大振りででたらめだが、それでも全力がこもっている。二合打ち合っただけで千影の刀があっけなくはじかれる。
「死ねええっ!」
振りかぶる黒の動きが一瞬硬直する。千影の視線が彼の頭上に向けられたから。
黒が振り返る。そこには白い尻尾を踊らせた、美しい狼女が宙に躍っている。
「――待ってた」
直江ミリヤが短くつぶやいた一言は、千影の耳に確かに届く。
なんて言ったっけ、スキル名。【コルヌリコルヌ】?
突き出した直江の腕から、螺旋状のなにかが放たれ、爆発的に膨れ上がる。
鼓膜が麻痺するほどの、爆弾でも落ちたかのような炸裂音とともに周囲が吹き飛ぶ。
なにが起こったかもわからず、千影の身体も投げ出される。




