5-10:サウロンと二人の少年①
駅前広場から脅威が去って間もなく、慌ただしく人々が行き交いはじめ、負傷者の救助が進められていく。
「……初めまして、直江ミリヤです……ギンチョ……娘さんにはお世話になってます……主に自室で一人のときに下の世話に……」
ギンチョの事情について、直江にはあのエリア10の温泉宿に一泊した際に報告済みだ。千影が自分の手当てをしている横で、直江は気を失ったままのタカハナの耳元にぼそぼそセクハラ的呪詛を唱えている。タカハナに意識があれば黒犬と白狼の流血沙汰になっていたかもしれない。
「直江さんは……今までなにしてたんですか……?」
「……ダンジョン庁のお偉方の……避難を手伝ってた……正直どうでもよかったけど……ものすごいふっかけても払うっていうから……おかげでお小遣いがっぽがっぽ……」
「なるほど(羨ましい)」
「……ポータルの前で黒のエネヴォラが暴れてたから……みんなを裏口から逃がして……あとはそのへんのクリーチャー掃除しながら……」
「黒はまだ?」
「……ボクが見たときは……織田と福島がやり合ってた……他の〝ヘンジンセイ〟のやつらはやられたみたいだった……今はどうなったかわからない……」
千影は拳を握りしめる。大和の言うとおり、黒の目的は織田か。
あの人ならあの化け物にも勝てる――よね?
あの人でも勝てなかったら――どうなるんだろう?
「……あいつが……『テロの犯人に会いたいから一緒にさがして』とか言うから……首に縄つけて引きずりながら……あちこち歩き回ってた……」
「あいつ?」
直江がうっとうしそうに親指で向こうをさす。
――あ。
痩せた男が手持ち無沙汰に立っている。青みががかったぼさぼさの癖毛、猫背気味の姿勢。〝うちゅんちゅ〟とプリントされたTシャツにジャージのパンツ、首には本当に縄が巻かれている。
何度も動画で見た。八年前、たった一度だけ会った。そのままの姿で、彼はそこに立っている。
「サ――」
「サウロン!」
千影より先にさけんだのは、大和だった。膝立ちの状態で、上体はタカハナのワイヤーで縛られている。
「俺だよ、大和完介! 憶えてる? あの日、ダンジョンが赤羽に来た日、一度だけ会った。ようやく会えた、あなたに会いたかった!」
興奮気味にまくしたてる大和に、「黙れ」と明智が一喝する。
「あの日、荒川の河川敷で、俺はダンジョンがやってくる瞬間を見た。あの夜、あなたと一緒にダンジョンができる瞬間に立ち会った。あのときあなたは言った、君の望むものがそこにあるって。まさにそのとおりだった、あそこは俺の望む世界だった。俺の望んだものがあそこにはあった」
周りの人々も気づきはじめる。「サウロンだ……」「サウロンがいる……」、ざわめきが徐々に膨らんでいく。
「求めたから与えられた。夢を叶える能力を俺はもらった。ダンジョンとこの世界をつなぐ能力だ。その結果がこれだよ。あの頃からずっと、俺が見たかった光景だ。本当にあなたの言うとおりだったよ。望む者のところに望まれるものが与えられるのが運命だとしたら、神の意思だとしたら、これこそまさしくダンジョンの意思ってことだ。そうだよね?」
「宇宙人、お前がダンジョンなんて持ってくるから……」
誰かがぽつりと言う。
「ダンジョンなんてなければ、みんなこんな目に遭わなかったのに……」
「ふざけやがって……お前のせいで、うちの娘が大怪我を……」
降りだした雨のように、声がぽつぽつとアスファルトに落ちていく。
「祭りがめちゃくちゃだ、楽しみにしてたのに……」
「何人怪我した? 何人死んだ? ……」
「やっぱり地球を滅ぼしに来たのかよ、宇宙人……」
「こんな地獄みたいな状況で、なにへらへらしてやがるんだ。不謹慎な……」
「謝れ……」、「死んで詫びろ……」、「くたばれ……」、「ハゲろ……」、「動画つまんねえんだよ……」、「日本から出ていけ……」、「土下座しろ……」、「宇宙に帰れ……」。
ざわめきが一つずつ呪詛や罵声の形となり、まとまって渦を巻いていく。
その中心にいるサウロンは、きょろきょろとあたりを見回し、首をかしげ、肩をすくめる。
「あー、いやー……違いますよ? 僕のせいじゃないっす。やったの、全部この子です」
ざわめきがぴたりと止まる。彼の指さした少年に視線が集まる。
「ダンジョンで得た力を使って、ダンジョンのクリーチャーを地上に召喚したんです。今起こってること、全部この子のせいです。えーと、ヤマトカンスケ? くん。ダンジョン庁に逮捕されるみたいです。立派なダンジョン関連犯罪防止法違反ですもんねー」
大和が目を見開いて口をあんぐりさせている。
「いや、お前がダンジョンを連れてこなかったら……」
サウロンは反論する声のほうを向き、「いやいや」とぱたぱたと手を振る。
「動画でも何度も言ってますけど、僕がダンジョンを連れてきたわけではないんですよねー。僕はダンジョンについてきただけっていうか。まあ、そんなのどっちでもよくて。じゃあ交通事故に遭ったら、いちいち車の製造会社に文句言うんですかみんな、ってことっすよ。車にダイナマイト積んでテロったのはこの少年ですから、文句はこの子に言ってください。みなさんの法で裁いちゃってください」
今度は一同が口をあんぐりすることになる。サウロンはあくまで呑気な口調で続ける。
「今回の件は、ダンジョンの不備でもバグでもない。僕は最初にこう言ったんです。ダンジョンには未知や危険がてんこ盛り。恩恵だけでなく災厄をもたらすかもしれないパンドラの箱、なにが入っているかはお楽しみ。それでも興味があればご自由にってね。そしてみなさん地球人は選んだ、ダンジョンへの冒険を、ダンジョンとともに生きる街を。そうですよ、最初から誰もダンジョンに入らずに、ただ拒否してもらえれば、なにも起こらなかった。選んだのはみなさんで、起こしたのはみなさんの中の一人です。今日のこれはその結果の一部です」
手を広げ、あたりを指し示す。ひび割れたアスファルト、砕けた石畳、飛び散ったガラス片、漂う煙のにおい、血痕、横たわる負傷者、クリーチャーの死骸。中心には、それを引き起こした張本人の、信じられないという表情。
「確かに悲惨な状況です。心が痛むし、目を覆いたくなるし、一人でも多く助かってもらいたいと本気で思ってます。ただね……毎年千人以上の殉職者が出てるとしても、こんな悲惨な事件が起こったとしても。それでも箱を開けたのはみなさんだ。箱を開けずにいられなかったのはみなさんだ。それはみなさんが人間だから。意思を持つ奇跡の種族だからですよ」
しだいにサウロンの口調に熱がこもっていく。
「『好奇心は猫をも殺す』でしたっけ。僕から言わせりゃ、『好奇心なかりせば道は開けず』ですよ。知りたいと願う心が科学を生んだ。未知への渇望が世界を開拓した。それこそが意思だ。意思こそが人を進化させるんだ」
まるでセレモニーでプレゼンするかのように、その身振りも大きくなっていく。一同の目はそこに釘づけになっていく。
「〝ダンジョンの意思〟がこの星にやってきたのは、見たいものがあったからだ。あなたたち自身がその意思で切り拓く、その進化の果ての未来。僕らは信じている、プレイヤーたちの意思の力を。その遺伝子を変異させることも厭わず、その容姿を変貌させることも躊躇わず、命がけで未知に挑むプレイヤーたちを、僕は信じている! 尊敬している! ていうかもう、みんな大好きーーーっ!」
外見二十代男の愛のさけびが響く。余韻が消えるとあたりは一瞬静まり返り、サウロンは「こほん」と小さく咳払いする。
「……ダンジョンは入る者に牙を剥く。同時にパンやナイフを与える。その牙やナイフを地上で悪用しようという輩は、これからも現れるでしょう。それを踏まえた上で、あなたたちは選択すればいい。ダンジョンとともに生きるか、ダンジョンを捨てるか。僕も〝ダンジョンの意思〟も、その決断を尊重します。あなたたちの意思で、あなたたちの未来を切り開いてください。――以上、ご清聴ありがとうございました」
ぺこりとおじぎでその演説が終わると、あたりは数秒静まり返る。数人がぱちぱちと拍手しているが、広がることなくすぐにやむ。




