5-9:マーマ
千影はすぐにタカハナのほうへ向かう――その横合いからナイフが伸びてくる。
甲高い金属音とともに、とっさの【アザゼル】でそれをはじく。眼前には口の端を耳まで上げて笑う、大和の顔。
「さすがだね、早川くん! 次は俺と遊ぼうよ!」
「うぜえ! 邪魔!」
大和は懐に入り込もうと距離を詰めてくる。刀では両手ナイフを捌ききれない。【ムゲン】のクールタイム明けまであと十数秒、手持ちのコマでしのぐしかない。左手の【アザゼル】で牽制に徹し、距離を空けて刀で――
「そう来るよね、ね、ねっ!」
最後の「ねっ!」と同時に大和の腕が伸びる。獲物に食いつく蛇のごとく。ずしゅっ、とナイフが千影の左肩を深く削る。
「くぁっ!」
油断した。【ニーズヘッグ】――【アザゼル】や【ナマハゲ】と並ぶ、腕の形状変化アビリティの一つ。腕がびよんとゴムゴム的に数メートル伸びる。くそ、中距離ならこっちに分があると思ったのに。痛すぎて涙がにじむ。
「さあさあさあ、次はなにが来ると思う? なんだと思う? 怖いっ? 楽しみっ?」
「うっせえ! キメえ!」
「まだまだアビリティはあるよ! だてに二年もプレイヤーやってな――」
「――ばんっ」
ギィンッ! とけたたましい音とともにナイフが大和の手からはじかれる。
「え?」
「――ばんばんばんっ」
もう一方のナイフも宙を飛び、さらに両腿にびすっと穴が開く。
「は? あ、痛――」
呆然とする大和が、ぐらりと揺らいで膝をつく。
光の弾丸を射出する【ピースメーカー】。それをこの精度で狙い撃ちできる人を、千影は一人しか知らない。
「……てめえらなあ、公共の場でなに刃物振り回してんだよ。留置所突っ込んで窒息するまでホースで水責めしてやろうか、おら」
「……遅いんすけど」
明智の一睨みで千影は口をつぐむ。彼女のスーツはボロボロで、顔も身体も傷だらけで、血や埃で汚れまくっている。メガネの奥の目は剣呑なまでに血走り、口元には笑みを浮かべ、鼻の穴は虚無につながるほど広がっている。まるで徹夜明けでハイになったニコちゃんマークのようなやべー表情。
これまでで一番怒っている。お父さんお父さん、魔王がいるよ。
明智はエナジーポーションをぐびぐび飲み干すと、もう一度指をピストルの形にして構え直す。
「ばん」
中野が斬り結んでいた赤ゴブリンの眉間に撃ち込む。
「ばんばん」
寸分たがわぬ場所に追加の二発、赤ゴブリンが完全に沈黙する。
「ばんばんばん」
奥山が食い止めていた地獄カピバラの胴体に三発ぶんの穴が開く。
「ばんばんばんばんばんばんばんばんばんばんばんばんばんばん、ぐびぐび、ぷはっ、ばんばんばんばんばんばんばんばんばんばんばんばんばんばんばんばんばんばんばんばん、ぐびぐび、ぷはっ、ばんばんばんばんばん――」
地獄カピバラはモザイク必須の肉片となって衆人にトラウマを与えている。もうやめてあげて、そいつのライフはゼロよ。
ふう、と一息ついた明智はいつもの顔に戻り、へたりこんで胸の前で手を組んでいる中野奥山を尻目に、大和のほうに近づいていく。
「大和完介。ダンジョン庁プレイヤー犯罪捜査課の明智です。いろいろ聞きたいけど、まずぶん殴るから」
「弁護士呼んでもらえます?」
明智が大和の顔面を思いきり蹴りつける。
「あ、ごめん間違えた。もっかいやり直させて」
さらに赤い輪めがけてばんばんばんばん。石畳ごと赤い線の部分が砕けると、線もゲートも消える。
「早川くん、あそこに倒れてんの、タカハナさんだよね?」
忘れていたわけではない、目の前の正義の暴虐にちょっとときめいていただけだ。
タカハナは横向きに寝かされている。支えていた槍はギンチョが地面から抜いたようだ。タカハナの身体からは抜かれていない。今も腹と背中をつないだまま、どくどくと血を伝わせている。
「タカハナさん!」
彼女は呼びかけに応えない。朦朧としている。そして――もうマスクは脱がされている。
千影はギンチョのリュックから応急手当キットをとり出す。だけど、こんなのではどう見ても間に合わない。
「マーマ……」
ギンチョがタカハナの血まみれの手をとり、そう呼びかける。
まぶたが上がり、青い目がギンチョを見る。ゆっくりと、ほんの少し首を振る。
「私は……あなたのママじゃない……そう呼ばないでって、何度も言ったでしょ……」
「マーマ、わたし、だいじょぶだったのに……なんで……」
二人は英語で言葉を交わしている。千影にはその内容はわからない。
「ふふ、あなた……痛いの、嫌いだったじゃない……採血の注射のたびに……泣きべそかいて……終わったあとはおやつ食べないと不機嫌で……」
これ、抜いたら出血するんだっけ? 【ウロボロス】、いやせめて【フェニックス】でもあれば、抜いてすぐに治療できるのに。切らしたままだったのが悔やまれる。
「私は……それを知ってて……全部知ってて……あなたを助けられなかった……ずっと後悔していた……全部捨てて、あなたと一緒に逃げればよかった……それができなかった自分を……殺してやりたかった……」
消毒液と止血ポーションを瓶ごとぶっかけ、タオルで傷口を押さえる。こんなのでは焼け石に水だ。
「あなたに……マーマなんて……呼ばれる資格、ないんだから……」
向こうで大和を拘束している明智に大声で尋ねる。彼女は首を振る、回復系シリンジは持っていないらしい。
「みょうじ……マーマのみょうじ、もらったです、たかはなって。なにがいいってるなおねーさんにいわれて、じぶんできめました。わたしは、たかはなギンチョです」
救急隊員が近くにいたはずだ。でも負傷者は他にも山ほどいるし、こんな致命傷をどうにかしてもらえるだろうか。
「マーマがおはなししてくれたこと……ダンジョンのおはなし。わたしもダンジョンにいったです。かいじゅーはこわいし、いたいこともあったけど、たのしくて、けしきがいっぱいきれいで、ぼーけんはどきどきしてわくてかでした」
傷口を押さえつつ、リュックを漁る。他になにか――映画で見たみたいに、フュエルオーブで傷口を焼くとか? いや、内臓やられてたら意味ないし。
「マーマは……いつかそとにつれてってくれるって、いってくれました。そとのせかいは、マーマからきいてたのとちがうこともあったけど、いまはだいすきです。あのけんきゅうじょにいなくても、ダンジョンにいなくても……わたしをまもってくれるひとがいるから……」
くすっとタカハナが笑みをこぼす。震える手でギンチョの頬に触れる。
「そうね……あなたは自由……もう二度と、誰かのものになることなんてない……」
なにか、なにか――あたりを見回して、彼女の姿が目に入る。千影はその名を呼ぶ。彼女もこちらに気づき、駆け寄ってくる。
「あなたは……怪物でも……人間でも……なんでもないし、なんでもあるの……その名前のように、自分で決めていける……自分で決められる……」
タカハナの声がかすれて消える。意識が、目の光が暗いところへと沈んでいく。目尻から涙がこぼれ、ギンチョの頬に触れる手が地面に落ちる。
「……高花ギンチョ、ふふ……キュートな名前ね……」
彼女にタカハナの身体を押さえてもらい、慎重に槍を引き抜く。タカハナは少しうめきを漏らしただけで、意識は戻ってこない。
「マーマ!」
どろどろと血が溢れ出るタカハナの脇腹に、彼女がそれを打ちつける。ノズルを押す。ぷしゅ、とシリンジが空気を吐き出す。
「……【ウロボロス】は……欠損部位の補修もだけど……失った血も補充してくれる……」
しばらく治癒の苦痛にうめいたあと、タカハナの顔色が戻っていく。
千影はどさっと尻をつき、大きく息をつく。全身から力が抜けていく。
「……ありがとう、直江さん」
直江はちらっと千影のほうに目を向け、ふん、と鼻を鳴らす。
「……別に……ギンチョがマーマっていうなら……ボクの義理の母だからね……」




