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赤羽ダンジョンをめぐるコミュショーと幼女の冒険  作者: 佐々木ラスト
1章:怪獣娘にかける言葉は決まっている
7/222

1-5:ギンチョ

 空を見上げると、梅雨のど真ん中なのでどんより曇っている。

 午後三時。腹も減っているが、それ以上に眠い。とぼとぼとアパートに向かう途中で、ぱらぱらと小雨が降りはじめる。


 赤羽駅東口から北へ徒歩八分ほどのところにあるアパート、コモンセンス赤羽。築四十年の二階建て、どの街に置いても馴染んで溶け込む平凡な外観、2DKのシンプルな間取り。家賃は月七万円。古いぶんだけ相場よりも安い。

 剥き出しの階段を上がり、二階の角部屋の鍵を開ける。


 玄関先で荷物を下ろし、ジャージを脱いで洗濯機に放り込み、風呂場でシャワーを浴びる。カラスの行水を終えて寝巻用のTシャツとスウェットパンツに着替えると、もうそれだけでもう無敵になったような心地になる。全身にひっついていた鋼鉄のアワビがすべて剥がれ落ちたような解放感。あとは寝るだけという幸福なシナリオ進行。


 寝室のベッドに倒れ込み、目を閉じる。最後にまぶたの裏に浮かぶのは、丹羽のぼってりとした赤い唇――はすぐに消え、なぜかあの狼女の綺麗な青い瞳だった。


   *


 スマホのバイブ音で目を覚ます。窓の外は薄暗くなっている。デジタル時計の表示は午後六時五分。

 バイブはまだ続いている。自分に電話をかけるような用件のある人物なんて、この世に何人いるだろう? ディスプレイに目を落とし、血の気が引く。


 できれば今は会いたくない、せっかくお昼寝でライフが回復したところなのに。


 震え続けるスマホのそばで、千影はあぐらをかいて腕を組み、そのスマホを見守り続ける。

 このまま放置して夕メシでもつくろうかと思うが、着信は一向に切れる気配がない。出るまでスマホを使用することは許さない、そんな強固な意志さえ感じられる。このままではどちらかの電池が切れるまでの消耗戦になる。

 観念して電話に出る。「はい」と乾いた声で返事する。


『お疲れさん、D庁の明智です』

「お疲れ様です」

『今、だいじょぶ?』

「すいません、ちょっと忙しくて……」

『さっき家帰ってきて、寝てただけでしょ』


 ぶーん、と冷蔵庫のうなりが沈黙を埋める。


『今出てこれる? 三分あげるから』


 返事はしない。


『あ、メシはおごるからサイフは不要。ってことで、十分後でよろしこ』


 通話が切れる。千影はスマホを握りしめたまま、暗い部屋でしばらくぼーっとする。

 なにも浮かばない。状況を好転させることは難しい。

 しかたなくスマホだけ持って、サンダルで家を出る。


 通りに出て向かい側のファミレスの駐車場に、見慣れた黒塗りのセダンが停まっている。明智が仕事で使っている車だ。そのまま引き返したくなるのをぐっと堪え、信号を渡ってファミレスに入る。


 通された禁煙席に、明智は一人で座って窓の外を見ている。

 暗い色のスーツにブラウスの襟を立たせ、薄い色つきのメガネをかけている。凛々しい感じの顔立ちにシャギーを利かせたショートカット。年は三十手前くらいだろうか。ぱりっとした美人キャリアウーマンのような風貌だが、千影には自分のリソースをちょいちょい吸いに来るドS悪魔にしか見えない。報酬もらえるだけまだマシだけど。


 加熱式タバコが主流になりつつある喫煙業界で、彼女は未だに紙タバコにこだわっている。なのに珍しく、彼女は禁煙席にいる。混んでいるわけでもない、むしろ客はまばらだ。この未成年ボーイに気を遣って? どんな風の吹き回し?


「よう、早川くん。四十七秒遅刻だけど、クエスト終わったばっかりで疲れてるだろうから許してやるよ」

「僕より僕の動向把握しすぎでしょ」


 千影にとっては前野医師同様、人見知りせずに会話できる数少ない人物だ(というかこの二人くらいしか出てこない)。仲がいいとかではなく、相手は悪魔でありビジネス関係者だから遠慮していてもつけこまれるだけ、と身をもって悟った経緯がある。初めて会ったのが今年の一月だから、半年くらいの付き合いか。


 店員にドリンクバーと、お腹がすいたのでポテトフライを注文する。ドリンクコーナーでダイエットコーラを注ぐ。


「そうやって寝巻き姿だと、もはやプレイヤーの貫録はかけらもないね。そのへんに二万人くらいいそうな感じ」

「平凡ですいません」

「で、ヘカトン・エイプはどうだった?」

「意外と苦戦したかもです。怪我はしなかったけど。あと、レベル1の人が先にエンカウントしてて、危なかったです。偶然だったのか、それともいけるでしょって感じだったのか」

「そのへんは管理課にもう少しなんとかしてもらいたいね。免許交付後も短いスパンで研修やるとか」

「レベル1になるとそれだけで超強くなるし、どうしても調子乗っちゃうんですよね」

「あたしもそうだった。君もでしょ?」

「たぶん」

「にしても、あの材料でどんな料理つくるんだろうね」

「珍味らしくて、視察に来るIMOD(アイモッド)のお偉いさんとか区長とかの会食に出すとかなんとか」


 IMOD――国際ダンジョン管理機構。赤羽ダンジョンを全世界の国で協力して管理し、その利益や恩恵を世界全体で共有しようという理念の下に発足した国際機関。元は国連の中に設置された組織だったが、紆余曲折あって今は独立した国際機関として運営されている。以上、ウィキプリオより。


「まあ、浅層の案件で使い走りしてくれるソロの中堅どころなんて、君くらいしかいないしね」

「そんなに暇人でもないんですけど」


 直々に頼んできた相手が日頃世話になっている担当の丹羽だったから。一層で比較的安全に稼げるから。まあ、いろいろ動機はあったけど、結局は色仕掛けとゴリ押しでねじ込まれた。


「まあ、公的クエストなら貸付金の返済も進むしね。がんばって借金減らさないとね」

「それな、ですね」


 千影はダンジョン庁のプレイヤー向け貸付金制度を利用している。未成年のプレイヤーでも実力と活動実績さえ認められれば融資してもらえる便利な制度だが、その返済のために積極的に公的クエストを斡旋されたりする。受注すれば利息が若干減免されたりするので、まあ悪いことばかりでもないけど。


「でもね、一般のミーハーなダンジョンファンはともかく、あたしらみたいな立場の人間から言うと、レベル以上に評価高いと思うよ、君」

「なんでですか?(初耳)」

「無理しない、危険は冒さない、尻尾巻いて逃げることも厭わない。頼まれたことは忠実にこなす、口もかたいし悪さする度胸もない。サイフの紐もかたいというかケチ。おまけに童貞」

「後半」

「プレイヤーっていうぶっ飛んだ職業において、君の地味さと堅実さは貴重なんだよ。周りから見ればつまらんやつかもしれないけど、こと〝仕事〟に関しては信頼を置ける。なかなか十八歳とは思えないプロ気質だよね」


 怒っていいのか喜んでいいのかわからず、照れも混じって顔が引きつる。捜査課のエースと称される明智ですらドン引くくらいだから、前野の言うキモ顔が炸裂しているっぽい。


「でもまあ……人気なんか絶対出ないですけどね。冒険しないから。典型的な〝職業プレイヤー〟だから」

「にしてもさ、その慎重さと臆病さであの過酷なダンジョンを生き延びてきたってのは納得できるけど、異例のスピードでレベル4到達ってのはどうしても矛盾してるよね。つーかタネが気になるよね。君のスキルの力なのかな、やっぱり」


 コーラを飲んでごまかす。


「本業の合間とはいえ、あたしの場合はレベル4までに二年半以上かかった。戦闘技術とか武器の扱いとか、そのへんの素人よりは百歩くらい進んでいたあたしでもね」


 捜査課ことダンジョン庁プレイヤー犯罪捜査課は、既存の警察力では取り締まれないプレイヤー関連の犯罪の捜査、逮捕が主な仕事だ。

 所属する職員は公務員ながらダンジョンで研修を行ない、プレイヤーと同じ力を持っている。埼玉県警からの出向組である明智は、千影と同じレベル4。


「なのに、中卒で免許試験にも一度落ちた凡人顔の低血圧コミュショー童貞のド素人が、たった一年ちょっとで一万人の先輩たちをごぼう抜きにした。そこにはどんなからくりがあるのかって、そりゃ気になるでしょ」

「前半」

「お待たせしました、山盛りポテトフライです」


 タイミングがいいのか悪いのか、香ばしいにおいを散布する黄金色の山。まずはそのまま一本。続けてケチャップをつけて一本。うめえわこれ。間違いない。


「もぐもぐしてごまかすんじゃねえよ、教えろよお前のスキル。うめえなこれ」

「勝手に食べないでください」

「教えてくれたらパシリ卒業させてあげてもいいよ。当庁には黙っといてあげるから」

「ああ、パシリって言っちゃった」

「スピード出世もいいけどさ、いい加減ソロでやるのもしんどくなってきたでしょ。そろそろチーム組んだほうがいいと思うわけよ」

「それとスキルとどう関係するんですか?」

「大事な秘密を他人に打ち明けられるくらい、心を開いてみるのが第一歩かなって」

「強引かよ」


 千影のスキル――プレイヤーにとって切り札となる必殺技――は、いわゆる超レアスキルだ。少なくともダンジョン庁のデータベースに同じスキルは登録されていない。

 管理課に申告すれば情報が開示され、そうなるといらぬ注目を集めることになる。それはいいとしても、それを手に入れた経緯についてもさぐられることになる。


「すいません、やっぱりダメです」

「ちぇー。そのへん把握できてると、こっちとしてもビジネスパートナーとしてもっと適切に仕事振りやすいんだけどなー」

「さっきパシリとか言ってなかったっけ」

「お姉さん、ポテトもう一皿。うまいねこれ」


 一皿ぶんのポテトを平らげて、明智はビールとタバコを求めてそわそわしている。仕事中なら我慢してほしい。


「んで、用件なんだけどさ」

「はい」

「ずばり、頼みたいことがあるんだよね。もちろん金は出すから」


 捜査課は少数精鋭のため、常に人手が不足している。だからまれに民間のプレイヤーが有償でお手伝いに駆り出されることもある。ほとんどが公にはできないヤマだ。


「また〝C〟の摘発ですか?」


 ダンジョンで得た力で犯罪に走るプレイヤーは〝C〟と呼ばれる。クライムとチートの頭文字からとった隠語だ。


「対人って緊張するんですよね。人を殴ったりするのって全然慣れないっていうか。レベルによっては手加減とかしなきゃだし」

「それが普通だよ、平和な日本に生まれた未訓練の一般人ならね。いきなりすごい力を手に入れたとして、いきなり良心や倫理の線を踏み越えられるようなやつはほとんどいない。いたとしたらそいつは、よっぽど素質があるかどっかネジが足りないかだ。愉快的に〝C〟に落ちるようなやつらも大抵そんなもんさ」

「怖い(関わりたくない)」

「ただ、今回は違う。そういうガンガンバキバキ系じゃないから安心して。君にしか頼めない案件だから」

「僕にしか?」

「こっちの想定する条件にマッチするのが君だけなのさ。さっきも言ったけど、あたしらは君を高く評価してる。公僕からの評価なんて、世間ずれしたプレイヤーどもには嬉しくない勲章かもだけど、実務的な思考の君はそういうタイプじゃないでしょ」


 まあ、褒められて嫌な気にはならない。照れてキモ顔にならないで済んでいるのは、まだ肝心の部分を聞いていないからだ。


「どんな案件ですか?」


 明智はにやりと笑う。笑えば笑うほどこの人は怖い。


「――ギンチョ」


 なにかの聞き間違いかと思う。ギンチョ? なにそれ? メニューにそんなのある?

 彼女がそのフレーズを口にしたあと、一呼吸ぶん置いてから、近くの席の女の子が立ち上がり、とことことこっちに近づいてくる。そしてなにも言わず、明智の隣にちょこんと座る。野球帽を目深にかぶっていて、顔はよく見えない。


 はっとして千影が周りを見回すと、近くの席の客全員がこちらを見つめている。

 どうして気づかなかったのか――みんな明智の同僚だ。


「自己紹介しな」

「はう」

 はう?


 その子が帽子をとる。十歳いかないくらいの、なんというか、明らかに普通ではない女の子だ。

 帽子からこぼれたふわふわの長い髪は、きらきらと光を反射する銀色。瞳は深い赤色。目はくりっとして大きいが顔は小さく、肌はつやつやとした小麦色。やや丸顔だがパーツは整っている。明らかに日本人離れした容貌で、間違いなく美少女だ。


「たかはなギンチョともうします。よろしくです、おにーさん」

 彼女は丁寧な口ぶりでそう言い、ぺこっと頭を下げる。


「はい、よくできましたー! 百点満点! よしよし」

 明智が緩みきった顔でその頭をなでなでする。実家の祖母が孫娘を甘やかすかのごとく。


「というわけで、早川千影くん」


 フルネームで呼んでくる明智の顔に、いつの間にか笑みは消えている。この変わり身がまさにプロフェッショナルだ。


「君には今日から一カ月間、この子――高花ギンチョと一緒に生活して、チームを組んでもらいたい。それがあたしらの依頼するクエストだ」


【備忘録】


・IMOD

…国際ダンジョン管理機構。International Management Organization for Dungeon の略。

外国人プレイヤーを管理する組織であり、外国国籍者はIMODの所有する「もう一つのポータル」を使用してダンジョンに入る。


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[一言] 他の異世界小説がスキルやステータスの解説を端折ってるのはテンプレに近いものを使ってるからであって、独自仕様の場合は詳細な解説がないと読者はなんのこっちゃとなってしまいます
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