5-7:ポルトガルマンモス
「……嘘でしょ……エリア15って言ったじゃん……」
穴の大きさはせいぜい直径二メートルほどなのに、ずるっと這い出てきたのは明らかにそれより太い胴回りを持つ巨体。
理不尽だ、ルール違反だ。そんな千影の心のクレームもむなしく、そいつはその全身をこの地上に現す。
「あはは! ここにきてこんな大物を引けるなんて――」大和が愉快そうに笑う。「今世紀最大の神引きだね! クリーチャーズハウスガチャ、マジ卍!」
八メートルは優に超える巨躯、二足歩行、がっしりと固太りした筋肉質な身体つき。全身が金色っぽい毛に覆われ、その頭には牙と触手状の五本の鼻が伸びている。細く長い尻尾が三本、その先は鋭利な刃物状になっている。強面だが目はつぶらだ。
特別出現個体――クリーチャーズハウスでまれに出現する、本来その階層にいるはずのない、場違いな強さを持つクリーチャー。
五層のエリア21で一度だけ会ったことがある。あのときはその背中を見ただけで即座に退散した。それが千影の最深到達記録だった。
出現クリーチャーの平均想定レベル3・5程度のエリア21で、突出した強さを誇るレアクリーチャー。
「……ポルトガルマンモス……」
名前をつけたのは、最初に発見したポルトガル人プレイヤーらしい。
見た目に反して知能は高く、獰猛で残虐な性格。その殺傷能力は――レベル5~6相当。
あちこちからあがる悲鳴で耳が痛いほどだ。駅前広場はパニックの坩堝となり、駅構内へ、あるいは他の通りへ人々が逃げまどう。
ギンチョを背中に回し、千影は刀を抜く。
「ギンチョ……下がってて……」
ぷしゅー、ぷしゅー、とパイプから漏れるような呼吸音が規則正しいリズムをつくっている。ポルトガルマンモスはもっさりと頭を振る。あたりを窺っているようだ。
自分一人でやれるか? ぶっちゃけきつくね?
【ムゲン】を使っても、あれだけでかいと一度で倒しきれなくね?
タカハナさんと二人なら――ああ、でも、彼女は大和と戦いはじめている。
ずん、とポルトガルマンモスが一歩踏み出す。ずん、ずん、とその場で足踏みし、石畳を砕く。それをむんずと両手で握りしめ――密集している人たちのほうに投げつける。
「きゃああああああああああっ!」
「びぁああああああああああっ!」
散弾のようにばらまかれた石片が直撃し、倒れる女性、頭から血を流す老人、泣きさけぶ子ども――。ポルトガルマンモスはもう一度おかわりしようと身をかがめる。
「あああああああっ!」
千影はさけびながら突進する。不意打ちを捨てて、わざわざ接近を知らせている。注意をそらすため、腰が引けた自分を奮い立たせるため。
尻尾が鞭のごとくうなりをあげて迫る。間一髪で一本目をかわし、間一髪で二本目を刀ではじく。三本目は避けきれず、脇腹に直撃して吹っ飛ばされる。背中からバス停にぶつかり、もろとも地面に倒れる。
うめき声しか出ない。膝をついて起き上がりながら、空気をかき集める。ひゅーひゅーと喉が鳴る、か細い呼吸しかできない。
ずしん、ずしん、と足音が迫る。転がっていた刀を拾い上げる、顔を上げる。つぶらな瞳と視線が合う。ターゲットと認定されたようだ。
この状況、策がない。正面からぶつかるしかない。明らかな格上とのガチンコ(帰りたい)。
唯一のストロングポイント、小賢しさとスピードでちょこまかと動き回り、隙を見て腕か目を狙い、確実に力を削ぐ。どうにか膝をつかせて、とどめに【ムゲン】で頭を狙って殺しきる。
そんな策とも呼べないような策しか浮かばない。果たしてそんなにうまくいくだろうか。
「あああああああああっ!」
刀を振りかぶってダッシュ。迎え撃つ丸太のような腕をかいくぐる。だがその前腕は毛むくじゃらな上に皮膚がぶ厚い、肉を裂いても大した血は出ない。
かわす、二太刀目。かわす、三太刀目。大したダメージにならない。相手は構わずにぶんぶん腕を振り回してくる。スピードはともかく、一撃くらったらかなりやばい。むしろ体力もメンタルもこっちのほうが削られている。
さらにワンパターンの振り下ろし――かと思いきや、巨体がぐるんと反転し、尻尾がうなりをあげる。今度はすれすれで回避し、距離をとって息を整える。全身がじっとり汗で濡れている。
「ふうっ、ふうっ、ふっ、ふっ……」
足を狙おうにも、あの尻尾が邪魔だ。
隙がほしい。リーチの差を詰めて懐に飛び込み、あわくば背後をとれるだけの隙が。このままじゃジリ貧だ。
なんだよ、ちくしょう。他にプレイヤーいないのかよ。避難されてる方の中にプレイヤー様はいらっしゃいませんか? つーか絶対いるだろ、こんだけ人がいるんだから。
でもたぶん、一般人にまぎれて避難しているならレベル1かそこらだ。さすがにこの化け物を前にして、のこのこ名乗り出てはこないだろう。
警官らしき人が数人、怪物の背中や後頭部を狙って発砲する。でも残念ながら効いているそぶりはまったくない。ポルトガルマンモスはうっとうしそうに首をもたげ、一度足踏みし、砕けた石片を鷲掴みにする。
「やめろ!」
とっさに突進した千影を尻尾がはじき飛ばし、同時に石片がばら撒かれる。千影は転がってすぐに立ち上がるが、投擲をまともに浴びた警官たちは倒れ、うずくまり、動かなくなっている。
申し訳ないけど、警察じゃ無理だ。プレイヤーか軍隊レベルの応援がほしい。
この際もうレベル1でもいい。誰か早く来い、来てくださいお願いします――
「てやんでいず、なんだこのビッグなズータイのクリーチュァーは!」
「オゥ、マンモスヒューマンだワ、デーブ! マンモッスゥ!(th)」
ジーンズにTシャツというラフな格好の外国人が二人、ナイフ片手に近づいてくる。Tシャツはそれぞれ「偕老」「同舟」とプリントされている。おそらく「呉越」「同穴」も家にあると思われる。
顔を隠していないがすぐにわかる。でっぷりとした金髪男とグラマラスな金髪女性。なによりそのルー的なトーキング。
「見つけたぜ、ファッキン・ブルシット・モブボーイ!」
「そのサエねーアベレージフェイスはドントフォーゲットヨ!」
千影たちを襲った殺し屋コンビ。えーと、なんだっけ。デーブ&ロビン? 合ってる?
つーかなんで? 逮捕されたんじゃなかったの? もう釈放されたの? 日本の司法ってどうなってんの?
「忘れたとは言わせねえ、俺たち、正義のコロシヤ!」
「そのネームも、デーブ&ロビン! シクヨロ!」
びしっと決めポーズ。名前正解。
「てめえをヌッコロシたいところだが、どうやらト、ト、トリコリチューみてえだな!」
「とり込み中です」
「ダムッ! イノセントなピーポーをオソうクリーチャーめ! リベンジタイムはアズスーンアズこのマンモッスゥをトウモコロシてからヨ!」
「あ、あざす」
わからない。わからないが、とりあえずレベル2が二人。大した装備もないのが残念だけど助かる。
話の間も、ポルトガルマンモスはじっと千影を見据えている。この場で一番邪魔な人間だと認識しているかのように。そんなに買いかぶられても困る。
「うわああああっ、なんでこっちにもクリーチャーが! 話が違うぜ!」
「ちくしょう! やっとこさ逃げ……みなさんの避難のお手伝いしに来ただけなのに!」
路地のほうから聞き憶えのある声。見憶えのある金髪と黒髪ロン毛。
「中野さん、奥山さん!」
「うわあ、早川のあんちゃんじゃねえか!」
「知り合いに見られた! もう逃げるわけにはいかねえ!」
言った、逃げるってはっきり言った。ともあれ、レベル1が二人。なぜかフル装備。
「――ブ・ルォ・ア・ア・ア・ア・ア・ア・ア・ア・ア・アッ!」
ポルトガルマンモスが背中をのけぞらせ、おたけびをあげる。空気が震え、ガラスや石畳が震え、それを耳にした人々が身を震わせる。魂を踏みにじるような咆哮。
〝恐怖の咆哮〟――高レベルのクリーチャーの中には、レベル差の大きい相手の恐怖を喚起させるおたけびを発するやつがいるという。観念的な表現だが――実際にこうして見るとよくわかる。逃げ遅れている人たちがその場にへたりこみ、あるいは頭を抱えてうずくまり、涙とともに呆けたり薄ら笑いを浮かべたりしている。
千影も、身体が無意識に一歩下がっている。さすがの殺し屋コンビも顔をこわばらせているし、中野奥山は口元をひくつかせて首をぷるぷるしている。それでもみんな、地に膝をついてはいない。
「……僕らであいつをやろう」
柄じゃないよなあ、と千影は思う。
できれば今すぐギンチョを連れて逃げたい。ぶっちゃけ自分の命が最優先だし。
だけど、この状況で逃げるってのはない。ボンクラでもそれくらいの分別はある。
どんだけ被害出るかわかんないし。プレイヤーとしての責任もあるし。
ほんとは嫌だけど。帰りたいけど。そういうわけにいかないのがつらい。
ああ、正義の味方だったら絶対思わないようなことを思ってる。
こんなヘタレですいません。早川千影に生まれてすいません。
「あいつは強くて、僕一人じゃ厳しい。だけど、ここで倒さなきゃ、被害が広がるだけだ」
そうだ。とにかくこいつを倒すしかない。すみやかに、確実に。できれば怪我をせずに。
そのために今は、この人たちの援護がほしい。
誰かを奮い立たせる言葉なんて、ほんとに柄じゃない。だけど今はこう言うしかない。
「だから、僕らでやろう。力を貸しt――」
「だだだダマりやがれ、ファッキン・モブボーイ! そそそそれは俺たちヒーローのセリフだ!」
「ヴィヴィヴィヴィレッジピーポーAのくせに! スススステーション前で『ようこそアカバネへ』とか言ってればいいのヨ!」
デーブの腹とロビンの胸がぶるぶる震えている。
「ちちちちちくしょう、こんなにもははは早く英雄への道が拓けるとはな! おおお俺の【ナマハゲ】がひひひ火を噴くぜ!」
「ぎゃぎゃぎゃギャラリーもじゅうぶんだぜ! ツツツブヤイタートレンドに中野と奥山がランクインだ! おおお俺の……俺のアビリティ、まだないけど……」
中野奥山の震え声が頼りない。特に奥山の最後のセリフが切ない。
千影は少しだけ笑いそうになる。苦笑いのほうだ。
命を救った人やかつての敵が集まって強敵に立ち向かう。マンガなら多少は胸熱シチュエーションかもしれないけど、心許なさのほうが勝っていると言ったら失礼だろうか。
「……まあ……できる範囲でがんばるか……」
「おにーさん!」
千影は半分だけ振り向き、ギンチョにうなずいてみせる。
「ギンチョ、終わるまで下がってて」
村人Aだろうと烏合の衆だろうと、できることをするだけだ。




