5-5:人類最強の戦い
ステージは一分と経たずにバックパネルごと崩壊する。スタッフや出演者たちが悲鳴とともに逃げまどっている。
織田は目の前の敵を見据えたまま、額ににじむ血を手の甲で拭う。【グール】の再生力のおかげで出血自体はもう止まっている。
「いやあ、人間ってのは面白えな。巣穴に熱湯垂らしたときの蟻より必死に逃げてるぜ。そんなにてめえの命が大事かね? 大して役にも立たねえくせザコどものくせに、生存本能だけは虫けら以上ってのが始末に負えねえ」
黒のエネヴォラの指先からぽたぽたと血が滴っている。やつ自身のものではない、織田の仲間――石川と酒井の血だ。二人はやつの足元に倒れている。
「ちくしょうが……こんなことならフル装備で来りゃよかった……」
隣で膝をついていた福島が立ち上がる。血がにじむほど唇を噛みしめている。【トロール】として仲間の盾になれなかったことを悔いているようだ。
「なんであんたがこんなところにいるのか、そろそろ教えてもらっていいっすか?」
織田は赤水銀の刀を構えたまま、質問を投げかける。息を整える時間を稼ぐ。情報を集める時間、増援を待つ時間を稼ぐため。
「なんでって、虫けらが人んちの上でぶんぶんうるせえから、残らず駆除してやりに来ただけだよ。てめえにも俺の晴れ舞台に参加してもらうために、テロ予告? だかなんだかしてもらったんだ。光栄に思えよ?」
「どうやって来たんすか?」
「どうやってって、マブダチに連れてきてもらったんだよ、何日か前にな。トンネルを抜けたら地上でした。ステイバックスコーヒー? おいしかったです」
「マブダチって、コボルドかゴブリンかなんかっすか?」
「きひひ、こんな状況でジョーク言えるんだから、さすがナンバー1様だな。てめえがシヴィを殺したってのも聞いたよ。だからてめえを呼んだのさ」
「シヴィ? そんな名前のクリーチャー、いたかな?」
黒の顔から笑みが消え、ノーモーションで地面を蹴る。刃状に変形した右腕が織田の頭へと振り下ろされる。
赤い刃がそれを受け止める、と同時に福島が横合いから【アザゼル】の拳を叩き込む。盾状に変形した黒の左腕が間一髪でそれを防ぐ、しかし腕力に押されて吹っ飛び、再び距離が開く。
「びっくりした。なんすか、いきなりマジになっちゃって。シヴィってのはよっぽど大事なやつだったんすか?」
「ペットのゆりやんスライムの名前だろ。芸も仕込んでたのかもな、お手とかチンチンとか」
対人戦の経験が豊富なわけではない。それでも織田も福島も、相手の嫌がることをする、その基本的な戦術要素は身にしみるほど心得ている。
シヴィというのがこいつの妹だということは、早川千影から聞いている。こいつの最も柔らかい部分の一つに違いない。
「があああああああああっ!」
黒が怒号とともに再び飛びかかる。今度は福島が【アザゼル】とその膂力で攻撃を受け止める。そして腕を掴む。
福島の巨躯から死角をつく形で、織田の赤い刃がまっすぐに伸びる。黒の左目――のすぐ脇をざりっと削る。血が噴き出す。蹴りが来る前に福島が掴んだ腕を持ち上げ、背中から地面に叩きつける。
ぐふっ、と黒が息を詰まらせる。追い打ちのフットスタンプ。コンクリートを砕くほどの一撃を、黒は滑るように回避する。背中にローラーをつけたかのように。
「いてて……なんだよてめえら。さっきぶっ殺した二人がいねえほうが動きがいいじゃねえか」
「石川たちに失礼だな。まあ、付き合いは長いっすからね。四年ちょっとくらいか」
「あの全身ピンクのイタキモタイツ女をなぶり殺したときも一緒だったもんな」
もはや爆ぜる寸前の爆弾のように、肌に刺さるほどの殺気を撒き散らしている。踏みしめた足がステージの残骸を砕く。そして――火が消えたみたいに、ふっと笑う。
「てめえさ、ナンバー1。さっきなんか、嬉しそうだったよな。血まみれで逃げまどってるやつらを見てさ。笑ってたぜ、てめえ」
「……は?」
「自覚してなかったのかよ。でもさ、俺にはわかるぜ。てめえはあいつらが気に入らなかったんだろう。あいつらを見下してたんだろう。安全な場所から高みの見物を決め込んで、てめえの命がけの冒険をゲームみてえに楽しんでる無価値なクズどもがさ」
織田、と福島が小声で呼びかける。
「そんなやつらがここへきて、てめえのいつもの地獄に強制参加ってイベントだ。どうだ、これが俺の生きてる世界だ。偉そうな口叩いといて逃げるだけか。もっと味わえよ、もっと楽しめよ。これが生きるってことだ、これがリアルってやつだ。他者をはねのけて引きずり倒して自分だけが生きようともがく、その醜さがお前らの本性だ。きひひ! 世界のヒーロー、ナンバー1プレイヤー様の仮面の下は――」
――【マンジカブラ】。
織田の右腕から、巨大な光の刃が具現化される。瞬時に伸びた切っ先が黒の胸を突き、吹き飛ばす。
ダンジョン光子と呼ばれる謎パワーで、巨大な刀を具現化するチャージ方式のスキル。やつがくだらない高説を垂れだしたと同時にエネルギーのチャージを始めていた。二十秒前後のチャージだったので威力は抑えめだ。
「人間様をわかった風な口叩くんじゃねえよ、でっけえゴキブリのくせに」
瓦礫に突っ込んだ黒が、ふらりと不安定に立ち上がる。突き刺して両断するつもりだったのに、そのスーツの弾性がそれを妨げた。きひ、と黒はあくまで笑う。
「わかるさ。人間なんてもんの根っこは変わらねえ。どこの星でもな」
「アホか、クソ織田。挑発に乗ってスキル見せやがって」
「ごめんごめん。んで、あんたの星の人間ってのも、そんなクズばっかなんすかね? あんたはどうなんすか、罪人さん? 〝エネヴォラ〟って罪人って意味なんすよね? いったいどんな悪さしたんすか――」
黒が腕を突き出す。黒スーツが腕に流れていき――織田のそれをそっくりなぞるように、巨大な刀へと変化する。
「ふ――」
狙いは福島だった。その胸を切っ先が貫く寸前、光子の盾を具現化させるスキル【アイギス】がそれを防ぐ――しかしその巨体が吹き飛んでいく。砲丸投げみたいに弧を描き、道路を挟んだ隣のビルまで。ガラス窓を突き破り、ずずん、と重厚な衝撃音が響く。
「女の喧嘩じゃねえんだ。ピーチクパーチクやってる場合じゃねえよな」
服が剥き出しになっている。十メートル以上の巨大な刀をつくるのに、身体を覆うぶんの質量を使ったのか。
形状は自在でも、あくまで質量は有限ということか。この赤水銀の武器に似ている。性能は桁違いだが。
織田の攻撃の気配を察したのか、すぐに刀が収縮していき、また元のスーツ状に戻る。
「最後のマブダチが死んだってのに、まだ余裕ありそうじゃねえか」
「福島はあの程度じゃ死なないっす。素のタフさだけなら俺以上っすから」
「ひとりぼっちで俺に勝てんのかって言ってんだよ、てめえごときが」
ここまでやり合ってわかった。身体能力はやや自分が優っている。黒はレベル7と8の間というところだ。
そのぶんをあのスーツの性能が補って余りある。攻撃にも防御にも隙がない。正面からぶつかれば六対四か七対三で分が悪いと想定する。
しかもさらに最悪なことに、こいつはもう一つの切り札を隠している。早川千影の持つ【ムゲン】という加速スキルと同じ能力を。
ギィンッ! と黒の頭のそばで火花が爆ぜる。剥き出しだった頭部への遠距離射撃、機動隊か自衛隊か。それでも銃弾はスーツの襟元から生じた壁で防がれた。狙撃手に気づいていたのか。
「きひひ、てめえが終わったら次はあのオッサンだな。目が合ってびっくりしてやがったぜ。まあ、今日中にこの街全部ぶっ殺すつもりだから、早いか遅いかだけどよ」
壁の部分がそのまましゅるしゅると頭を覆っていく。球形のヘルメットが太陽の光を反射する。ダンジョンで遭遇したときと同じ格好だ。織田は無意識に息を呑む。
「てめえがそれでも余裕な理由、当ててやろうか? シヴィの能力を持ってんだろ。強力な自己修復能力と、身体能力の大幅な増強と引き換えの凶暴化機能。自分は死なねえって高をくくってんだろ、違うか?」
「どうっすかね」
どうする? スーツの質量を減らし続けて、ガリガリ削って肉が出てきたらぶっさす。それしかないか。
警戒すべきはなによりも加速能力だ。とはいえ、こっちにそのタネが割れていることを想定しているかどうか。それによって対応も変わってくる。
「でもな、シヴィは死んだ。てめえが殺した。同じようにてめえも不死じゃねえ、ただ死にづれえだけだ」
不死に近い【グール】のアビリティだけではない。織田を人類最強たらしめるものは、死を疑わない自信。生還への渇望。そのために手段を選ばない強靭で冷徹な精神力。
恐怖などしている余裕はない。
俺はなにがなんでも生き延びる。絶対に死なない。死ぬわけがない。
こんなところで終わるわけがない。俺はプレイヤーの頂点だ、神に届く男だ。
「いてえし、つれえぞ。絶望する準備はいいか? きひっ」
そしてそれが、折れる瞬間が近づいている。




