5-1:国際ダンジョン祭り
七月十六日、日曜日。
国際ダンジョン祭り当日。快晴で微風、湿度は低めで心地いい。
赤羽駅東口ロータリーから南東方面のダンジョン庁ポータルまでの各道路にはびっしりと出店が立ち並び、歩行者天国になった道路を大勢の人が行き交っている。
去年の今頃はなにをしていたっけ、と千影は思い返してみる。祭りには行かず、ダンジョンにも行かず、ほとぼりが冷めるまで家でPCとスマホをいじっていたと思う。
「いっぱいひとがいるです! こないだのより!」
楽しみすぎてあんまり寝られなかったというギンチョのテンションは高い。挙動はせわしなく、握っている手はこちらも汗ばむくらい熱い。
ときおり花火のような炸裂音が空に響く。歓声、笑い声、楽しげなBGM。鉄板焼きの香ばしいにおい。クレープの甘いにおい。行き交う人の顔、顔、顔。情報過多で、ギンチョとは別の意味で頭が熱くなってくる。
「迷子になったら大変だから、絶対離れるなよ」
「おにく」
「食べたいもので返事するな」
ギンチョは変わらない。祭りに興奮していても、それも含めていつものギンチョだ。
――約一カ月に及んだ子守りクエストの最終日。この子と一緒にいるのも、今日が最後だ。
自分の家なのに寝袋を強いられた共同生活も、肉や油ものに偏った胃に悪い食生活も、クリーチャーが出るたびにぎゃわーぎゃわー騒がしい冒険も、今日で終わり。
またいつもどおりの一人に戻る。退屈はしなかったけど、やっぱり一人でいるのが性に合っている。自分だけの責任で、自分だけの命を張って、自分一人の食いぶちを稼ぐ。そういうのが気楽だ。
約束を破ることになる。ずっと一緒にいるという約束を。
まあ、あれはこの子の早合点というか事故だし、弁明の余地はあるだろう。この子もきっと理解できるだろうし、そもそも千影とずっと一緒にいることがこの子のためになるとも到底思えない。彼女の今後については偉い人たちに任せておけばいい。少なくとも今より悪いようにはならないはず。
「……おにーさん?」
呼ぶ声で思考の中から引き戻される。いつの間にか足を止めてしまっていた。そんなに深く潜り込んでいたつもりはなかったのに。
「いや……ごめん、なんでもない」
「たこやきたべたいです。こないだの、ぼぶる? さんのやつ」
「無事にセレモニーが終わったらね」
こうしてダンジョン行きの装備(暑いのでヘッドギア除く)で歩き回っているのも、一応仕事だからだ。管理課から依頼された祭りの巡回のお手伝い、他にも何組か声がかかっているらしい。お小遣い程度だけど一応有償。
ただ、それとは別に、明智個人と約束した件もある。万が一、ここであいつを見かけるようなことがあれば、すぐに連絡するようにと。
「……でもなあ……」
あのテロ予告メールの犯人は結局不明のままらしいけど、だからと言ってあいつだという可能性は限りなく低い。一パーセントよりも低いと思う。
だってそもそもの話、ダンジョンで行方不明になったやつが誰にも気づかれずに地上に戻るなんて不可能だ。あいつがこんなところにいるなんて、それこそありえない。
時計を見る。十時四十五分。もうすぐセレモニーが始まる。
ポータルの前の道路にステージが設けられ、すでにわらわらと人が集まって身動きがとれないほどだ。IMODの理事長やダンジョン区長、ダンジョン庁長官などのお偉方はともかく、〝ヘンジンセイ〟の織田、アイドルグループ〝AKBN69〟のメンバーまで登壇するらしい。ついでにあの宇宙人――サウロンも。
祭りを中止しなかった判断の経緯については知らないが、参加を渋っていたという〝人類最強〟をきっちり連れてきているあたり、多少は警戒していると思われる。
もちろん警察や機動隊も厳重に警備している。人混みもあって息が詰まりそうだ。二人は人の流れに逆らうようにして大通りを北に移動する。
「……おにーさん」
ギンチョが強く手を握る。その視線の先を追う。交差点の向こう岸、行き交う人々の合間から、クレアガーデン――アーケード商店街の入り口のところに立っている人が見える。
千影の心臓が跳ね上がる。
野球帽をかぶっているけど、確かにあいつによく似ている。
「……ギンチョ、間違いない……よね……?」
「……はう……あのおにーさんです……」
この子の記憶力は確かだ。もはや疑いようがない。
「……マジかよ……」
いたよ、マジでいたよ。
明智さん、予感的中かよ。すげえ、刑事の勘ってすげえ。
つか見つけちゃったよ、こんなに人多いのに。
赤白の縞々とか着てなくても見つけられちゃうもんなんだ。
彼もこちらを見ている。驚いたような表情をしている。目が合ったのに気づき、くるりと踵を返してクレアガーデンの奥へと去っていく。
「ギンチョ、行こう」
彼女の手を引いて道路を横切る。通行人を避けながら向こう側に渡り、しばらくメイン通りを進む。小道に外れる背中を追いかける。狭い路地が続く。
「――こんにちは、早川くん。ギンチョちゃん」
曲がり角のところで、彼が帽子をとって待っている。店の壁に背をもたれ、腕時計を見ている。ダンジョン用の装備ではなく私服だ――ジャケットにジーパンというカジュアルな格好。
「――生きてたんだね、大和くん」
大和完介がにこりと笑う。ギンチョが身を隠すように、千影の後ろに回っている。
「死んだことになってんの、俺? そんなの一言も言った憶えないんだけど。つーか死んでたら死にましたとか言えないけど」
小中と一緒だった。千影としてもなんとなくの記憶でしかないが、昔の彼はこんな笑みを見せるような人ではなかった。背中が粟立つほどあざとくて清々しい笑みだ。
「えっと……エリア7の塔で、行方不明になったって……」
「あー……昨日戻ってきたんだよね。いろいろ大変だったけど、こうして生きてますわ」
そう言って大和はにかっと笑う。その首には〝キャンプ・セブン〟で見た金色のネックレスが下がっている。〝ボブル〟の人たちと同じもの――彼らの変テコなシンボルマークを模ったネックレスだ。
「いや、戻ってきたって話は聞いてないし……ポータルに記録が残るし、職員にも事情訊かれると思うし……」
「え、なに? 死人だけじゃなく重要参考人扱い? なんかすげーことになってんね、俺」
プレイヤーの出入りはタグで管理されている。守衛がエレベーター前で逐一本人確認もするから、偽証もスルーもできない。もちろんIMODのイワブチポータルでも同じことだ。
つまり、大和が誰にも知られずに地上に出られるはずがない。
あるいは守衛を買収した? タグを偽造した? なんらかの方法で別人になりかわった?
どれにしても、彼がここにいる事実が異常なわけだ。
「なんつーか……君がこっそり地上に戻ってる可能性はないかって、疑ってる人がいたんだよね……」
万が一、億が一、と明智は言っていた。根拠の薄い、口にすれば鼻で笑われるような、数ある妄想の一つだと。
〝ボブル〟の行方不明者が、なんからの方法で地上に戻り、テロを予告した可能性――。
あるいはあのときの〝キャンプ・セブン〟の異常事態も、なんらかの形でつながっている可能性――。
そんなバカなと思っていたけど。
あー、なんで見つけちゃったかな? 追わずに通報だけして帰ればよかった。
「あの……一応確認なんだけど……大和くん、テロ予告とかしちゃったりした?」
「ふふ、質問ばっかりだね。そんなに俺に興味があるの? ってか、早川くんって他人に興味ない人だと思ってたよ」
これは笑みの形をした顔でしかない。後ろで怯えているギンチョは――最初に会ったときから気づいていたのかもしれない、彼の奥に秘められたなにかに。
「〝ボブル〟の人たちが、君はそんな悪ふざけをするようなやつじゃないって言ってた。でも僕は……君がどういうやつかって、そのへんはぶっちゃけあんまり興味ない。仕事として、あとちょっとだけ当事者として、『君がダンジョンを出た手段』と『君がここにいる理由』を確認したいだけだから……」
本音を言えば今すぐ帰りたい。これ以上関わりたくない。
「まるで警察みたいなことを言うんだね」
「まあ……捜査課のお手伝いだから、一応」
そっか、と彼はつぶやき、苦笑交じりに肩をすくめてみせる。
「聖女様、ギンチョちゃんだっけ? お祭りは楽しんだ?」
いきなり呼びかけられて、「ぴゃっ」とギンチョが小さく悲鳴をあげる。
「俺はまだなんだ。これからおいしいもんでも食べながらじっくり楽しもうかなって。早川くんたちと一緒に回れたらいいね」
大和は壁から背中を離し、千影たちと正面に向き直る。
「にしてもさ、やっぱり変わったよね、早川くん。今のその姿、雰囲気、目の光りかた。まるで正義の味方だ」
「そんなつもりは全然ないけど。お互い様だと思うけど、変わったのは」
「どうだろうね、俺は全然変わってないつもりだけど、あの頃と。擬態だけはすげーうまくなったけどね、学校サボったりして勉強と研究しまくってたから。プレイヤー免許試験をパスするために、面接や思想チェックが鬼門だったからね」
路地を通りがかった浴衣姿の女性二人が、大和の爽やかフェイスを舐め回すように見る。いやいや、昔は同志だと思っていたのに。それも擬態とやらのなせる業か。
「〝ボブル〟のことは結構気に入ってたんだ。いい人たちだったから。一年くらい前だったかな、サポートメンバーくらいの感じで入ったんだけど、ダンジョン愛も共有できたし、一緒にいてそれなりに楽しかった。ただね、根っこの部分はちょっと違ってね。まあ、今さらどうでもいいことなんだけど」
「根っこ……?」
「子どもの頃、俺はよく一人で荒川の土手を歩いた。家を出て学校に行かないで、一日中あのへんにいたこともしょっちゅうだった。あの日もそうだった――八年前、あの巨大な箱が赤羽の空に現れた日も。あのとき俺は、あの土手でサウロンに出会った」
――サウロン?
あの頃、サウロンに会っていた? 大和も?
「あの頃から、俺の夢は変わっていない。プレイヤーになってからは毎日楽しくて、そんなに不満もなかったんだけどさ。いろいろあって、俺はこの力を手に入れた。ダンジョンが力をくれたんだ。だから、引き出しに仕舞っていた夢を叶えてみることにしたんだ。君たちに見つかっちゃったのは残念だけど、邪魔しないでほしいね」
大和がゆっくりと右手を上げる。千影はとっさに身構えるが、彼の指先はそのまま壁に触れて止まる。
「昔のアニメで、赤いテープの輪っかで壁に空間移動のトンネルをつくる秘密道具があってさ。俺、あのアニメ好きだったな。どんな食べものでも好きな味に変えられるふりかけとか、嫌な記憶を吸い出してくれる帽子とか。夏休みにネット配信されてるのをよく見てたんだ」
彼の指先に赤い光が灯っている。やや黒ずんだ暗い光だ。
「俺のスキルは、そのトンネルの道具に似てる。左手でつくったゲートと右手でつくったゲートを空間的につなげる能力だ。片側一つずつしかつくれないけど、こうして右手でゲートをつくれば、すでに設置済みの左手のゲートにつなげられる。【フープ】――半年くらい前、ある人にもらった、ダンジョンウィキにも載っていないレアスキルさ」
指先の光が壁に伝う。水面に浮かぶ波紋のように輪を広げていく。
「なにを――」
理解が追いつくより先に、千影は武器に手をかける。
赤い輪が直径二メートルほどまで広がったところで、大和はそこから手を離す。
二・三歩あとずさり、ぱん、と軽く手を叩く。
「さて、問題。左手のゲートはどこにつながっているでしょう?」
彼の合図とともに、輪の内側が真っ暗な穴へと変わる。
マジか、と千影が思うのと同時に、そこにクリーチャーが姿を現す。
「ぎゃわーーーーーーーーーーーーー!」
例によってギンチョの悲鳴が爆発。同時にゲートからずるずると三体這い出てくる。
ねじ角コボルド、アーマードタイガー、そして二日酔いドラゴン。
「さあ、祭りのはじまr――」
――【ムゲン】。
刀を抜く時間もない。【アザゼル】で硬化した拳でねじ角コボルドの頭を叩きつぶす。
振り返りざまに裏拳でアーマードタイガーの鼻先を打ちつけ、跳ね上がって剥き出しになった急所の喉を【アザゼル】の抜き手で貫く。
血に濡れた手を抜いて残り一体――そこで加速が解ける。やべ、一手足りなかった。
「うは、なにそれ速っ! レベル4の動きじゃないね!」
大和が興奮気味にさけぶ。千影はバックステップで距離をとる。三層エリア15の強敵・二日酔いドラゴンはレベル3相当。焦ってがむしゃらに攻撃してもリスクが高い。
ドラゴンの後ろからさらに増援。ぞろぞろと次々とクリーチャーが這い出てくる。やばいわこれ、向こうにいったい何匹いるのよ――?
「正解……このゲートの先は〝獣の巣〟、エリア15のクリーチャーズハウスでした! 他のプレイヤーに見つからないように、出入り口をつぶして缶詰にしておいたのさ。こいつらもお腹ペコペコだろうし、改めて言うよ――祭りを始めようか」
クリーチャーズハウスって――こいつ、最悪だ。最悪なことを思いつきやがって。
ダメだ、防ぎきれない。千影はギンチョを抱え、大通りへと飛び出す。
なんだどうしたと人混みの目が千影たちに向き――そして、路地からやつらが溢れてくる。
ダンジョン暦九年、七月十六日。
今日は、地上初、史上初。生きたクリーチャーが往来に姿を現した日となる。
つまり、なんて日だ。




