4-2:おねーさんといっしょ
七月十日、月曜日。
「いやー、ダンジョンなんて半月ぶりだわー。楽しみすぎてお肌ぷりぷりしちゃうわー」
これまでは一人で、最近はギンチョと二人で乗っていたエレベーターに、明智もいて三人になっている。本当にお手伝いに駆り出されることになるとは。
今回のミッションは織田のときと同じく「ダンジョン内のある人に話を聞きに行く」ことらしい。「ギンチョがいるとスムーズに話が進むから」と。詳しいことはまだ教えてもらえていないが、危険はほとんどないというお墨付きを信じて同行することにした。報酬もそこそこおいしいです。
明智は普段のぱりっとしたキャリアウーマン風から、迷彩柄のジャケットとヘルメットというサバイバル仕様に変身している。腰にはゴツいコンバットナイフ、背中には背嚢と一緒に工事現場で使いそうなでかいハンマーがぶら下がっている。これがこの人のダンジョン装備か。
【ピースメーカー】で遠距離から牽制とダメージ削り、近づいてきたら高笑いしながらハンマーを振り回す。そんな悪鬼のような姿が目に浮かぶ。
「仕事の合間だけでレベル4って、僕よりよっぽどすごいんじゃないですか」
「そりゃね。あたし天才だし」
「はあ(へえ)」
「もちろん本業優先だけど、これも一応仕事なのよ。研修って名目で月に何日かダンジョン通わなきゃいけないって規定もあるし。〝C〟取り締まるなら強くならんといかんからね。つーか地上で〝C〟と取っ組み合ってても経験値貯まったりするっぽいし」
給料をもらいながらダンジョンに来られるというのは、やっぱり魅力的ではある。一般プレイヤーにとって安定した収入というのはよく手入れされた隣の芝生だ。
「つっても、ドロップアイテムは基本的に当庁に没収されるし、換金なんてもってのほか。辞めてフリーのプレイヤーになるやつもいるしね、金だけ考えりゃそっちのほうが儲かるから」
「安定か一攫千金かって話ですか」
ふと隣に目を落とすと、ギンチョがなにか難しそうな顔をしている。へこんでいるというか怒っているというか、ちょっとわからない。
「どした? トイレでも行きたくなった?」
無言で首を振る。さっきまでは「るなおねーさんといっしょですー」とか喜んではしゃいでいたのに。
「お腹痛い?」
ふるふる。
「エリア9に行くのが怖い?」
小さくうなずいてからふるふる。
「……おにーさんは……るなおねーさん、すきですか?」
「は?」
なにその質問。斜め上から唐突。
すげえ答えづらい。どっちに進んでも地獄エンドが待っている悪魔の分岐路。
「おにーさんは……るなおねーさんとおしゃべりするとき、きょろきょろしないし、もごもごしないです……おねーさんのこと、すきなのかなって……びじんだし、おとなだし……」
ぶふっ、と明智が吹く。千影は事態についていけていない。
「ギンチョに対してもしてないじゃん。もごもごうぜえコミュショーモード」
人見知りとは人にするもので悪魔にするものではない(なんて実害があるから言わない)。
「あたしとこいつは仕事上の腐れ縁みたいなもんだから。キョドられても時間の無駄だから、あえてそうならないように仕向けてきただけだよ」
そうなんだ。あえてなんだ。普段の執拗なまでのディスりとか。わざとなんだね、仕事のためなんだね。
「むしろ二人こそ、ずいぶん仲よくなったもんだね。最初にファミレスで会わせたときは目も合わせられなかったのに。いいなー、あたしはずっと一緒にいるわけじゃないからね、あんたらみたいにさ」
「ほええ……」
ギンチョが頬を押さえて顔を背ける。明智はにたにたしている。千影だけが話についていけていない。わからない。子どもの思考も悪魔の思惑も。
ギンチョと明智の賑やかな道中。それでもエリア9までたどり着くと、さすがに浮かれた雰囲気は否応なく霧散する。
ひりつく空気、不吉な色の空。視界の果てまで続く瓦礫と廃墟。遠くにそびえる崩壊した城らしきもの。やはりここの雰囲気は異質だ。
「エリア9は死亡率の高い難所で、真っ当なプレイヤーなら長居するようなところじゃない。レベルの高低に関わらずね」
「廃城の最上階にレアクリーチャーが出るらしいですけど、中に入らなくてもエリア10まで素通りできるし」
「そう、だからあいつらの拠点になっている」
「あいつら?」
「〝C〟予備軍。ってあたしが言ったら問題か。いくつかの集団が縄張りを持ってる」
三人は足音を忍ばせて慎重に廃墟の街を進む。クリーチャーとの戦闘は主に千影が担当することになる。明智がギンチョを庇ってくれているだけで相当助かる。
ねじ角コボルドの強化個体を倒して高級素材の赤ねじ角をゲットして、「御上に献上するか?」と脅されるも、今までで一番必死な剣幕で抵抗して死守する。さすがの明智も「そこまで言うなら……」と若干引き気味で折れてくれる。よかった、一本五万円死守。
エリア9は西側の城下町、堀を越えて東側の廃城に分かれている。面積比は七対三くらい。エリア10へ続く道は廃城の東を抜けたところにあるが、庭園や外堀を通ればいいので、今日みたいになにか目的でもなければわざわざ城内に立ち入る必要はない。
三人は堀にかかった橋を渡り、前庭を抜けて城に入っていく。ここからは千影もほとんど経験がない場所だ。
足音がやけに響く。空気が埃っぽい。割れた壁から外の光が差し込んでいる。もう全部が全部不気味で怖い。そこかしこの物陰からなにかが飛び出してきそうな緊張感がずっとつきまとっている。ギンチョがいきなり千影のジャージの裾をぎゅっと握ってきて、思わず声をあげそうになる。
「ボロボロです……おしろ……」
「うん、ネズミーランドでもこんなリアルな廃墟はつくれないな」
城内に出現するクリーチャーはアンデッド系などのグロキャラが多く、とりわけ女性プレイヤーにはとことん不人気なエリアだ。なんて思っているとわらわら湧いてくるにこにこゾンビやジョージ・スケルトン。リアルホラー映画か。案の定ギンチョのぎゃわー炸裂。
動きは鈍いし知能も低い。その代わり、痛みを感じないし急所をつかないと死なない。しぶとさとタフさがアンデッド系の真骨頂だ。いちいち相手にするのも骨が折れる。シャレでなく。
こんなところにわざわざ縄張りを設けるのだから、確かに後ろめたい集団だと疑われるのもしかたがないかもしれない。
「早川くん」
崩れかかった階段から二階に上がってしばらく歩いたところで、明智に小声で呼ばれる。
「……はい」
【ロキ】を発動。聴覚強化、周辺の気配をさぐる。
この先の廊下の奥に衣擦れの音。クリーチャーではなさそうだ。
ていうか、すごいなこの人。【ロキ】持ってないって言ってたけど、よく気づいたな。野生の勘? くぐっている修羅場の数?
「んなもん、わかるわけねーじゃん。エスパーかっての。このへんにいるって情報知ってただけだよ」
そうですよね。はい。
薄暗い廊下をさらに進んでいくと、入り口に簡易的なバリケードのような仕切りが設けられている部屋がある。ギンチョをおぶってバリケードを乗り越える。部屋はがらんとして広く、朽ちたテーブルや壁にかかった飾りなどを見るに、コンセプト的に食堂かなにかだと思われる。部屋には誰もいない。
いないのに、気配はかなり近く感じられる。【ロキ】を使わなくてもわかる。息をひそめて千影たちを監視している。その視線が熱を持っているかのように身体中で感じられる。一人や二人ではなく、もっとたくさん。
「おたくらの聖女を連れてきた。いるのはわかってる、隠れてないで顔を出しなよ、教祖さん」
明智がその声を部屋中に響かせる。聖女? 教祖?
こだまが消えていくのと同時に、がらっと壁の隙間から石がこぼれる。そこからぬっと男が姿を現す。あるいは瓦礫の陰から、あるいは奥の勝手口から。ぞろぞろと千影たちの前に集まってくる。二十人近くいる。




