3-7:人類最強からのお誘い
「あの……エネヴォラの死体は……持ち帰ったんですか……?」
「そっすね。D庁からサンプル持ち帰れって言われてたんで。今みたいにきちんとしたクエストってわけでもなかったけど」
「どこの部分を……?」
「えと、首っすね。生首。ちょうど首刎ねてとどめ刺したんで、細胞自殺で融けずに済んだんすよ。あとは戦いの最中にバラした身体の部分をいくつかね。スーツもぜひ持って帰りたかったんすけど、一緒に融けちゃったんで無理だったっす」
事前情報のとおりだ。ちゃんと話してもらえている。
「なにがきついって、あんだけ苦労して倒した帰りっすよ。袋詰めしたヒトの生首と一緒にエレベーター乗るとか、殺人鬼にでもなった気分だったっす」
わかる。千影はこないだのサルの生首でもだいぶ辟易した。ましてやそれがほとんど人間となると想像しただけで鳥肌が立つ。
「あの……聞きづらいんですけど……その持ち帰ったやつ、任務課以外の人にも渡しました?」
「ほえ、なんで? 全部任務課のおばちゃんに渡したっすよ。死体ネコババするような趣味もないし」
「……そうですか……」
拍子抜けするくらい普通に話してくれる。むしろ「なんでそんなことに興味あんの?」くらいに小首をかしげている。
確証はないけど、演技ではない気がする。この感じで嘘だったらちょっとエグい。
「あー、つーか次はこっちが質問していいっすか? 情報は相互に出し合わないとね。黒の戦いかたとか、詳しいこと聞きたいんすよ」
もっと警戒されたりするかと思ったのに、こちらの聞きたいことをあっさり話してくれた。
やっぱり素体の流出ルートはこの人ではなさそうだ。
となると、やっぱり任務課を含めた職員か。一緒に生還したという福島の可能性もあるけど。あるいはたまたま居合わせて死体を拾っただけの他人かもしれないけど、たまたまの人があの隠れ研究所とつながれるものなのか。いずれにせよ、あとのことは明智たちに任せよう。
話しはじめてどれくらいだろうか。織田の雲上人らしからぬフランクさもあって、意外と苦痛なく会話を続けられている。外気の冷たさがありがたく、上半身を湯船から出し入れするだけでいくらでも浸かっていられる。
「……なるほど……君の【ムゲン】も通用しなかった、と」
「完全にとったと思ったんですけど……完璧に反応されて、完敗でした……」
「……たぶんだけど、黒も【ムゲン】を持ってるんじゃないっすかね?」
千影は数秒、呆然とする。そのあとで「……そっか……」とつぶやく。
ギンチョはピンクのエネヴォラのクローンで、ピンクと同じ能力を持っている。そのピンクのレアドロップは【グール】で、それはピンクの能力と同じだ。
もしもエネヴォラが「自分の持っている能力をシリンジとしてドロップするクリーチャー」という設定なら、【ムゲン】と同じ能力を黒も持っている可能性がある。というか、間違いなさそうだ。
あの塔で戦ったとき、【ムゲン】の加速に対応したのはその能力がタネだったのか。【ムゲン】で加速した瞬間、反応速度の差を生かして後出しで加速した。こちらが【ムゲン】を使えるという情報を知って備えていたわけだ。
ずるいわ。あの野郎、格下相手にこずるい情報戦しやがって。最初に教えといてください。
というか――あのチート性能のスーツにレベル7以上の身体能力に加えて【ムゲン】の加速能力って。
あーー……無理だ、心折れた。
リベンジとかマジ絶望的。せめてあと何年かしてレベル8とかまで上げないと。いやいや、そこまで到達できるかって言われると自信ないし。
終わったわ、詰んだわ。もう関わるのやめとこう。復讐とか考えるのやめとこう。
もう二度と会わないようにしよう――とか思うとフラグ立っちゃうからどうしよう。
「早川くん? 早川くん? さすがに死ぬと思うよ?」
「ぶくぶく」
気づいたらお湯の中に頭の先まで沈んでいる。そのまま浴槽の垢になってしまうところだ。
「そっか、加速能力か……そんな奥の手があるなら、俺らもますます気合入れないとっすね。いやー、マジで貴重な情報っすよ。俺らの生死を左右しかねない情報っす。ありがとう、早川くん」
「あ、いえ……そんな……こちらこそ……」
握手を求められ、あたふたとお湯を跳ねさせながら応じる。
てかこの人、それ知っても戦うつもりなの? なんで「腕が鳴るぜ」的にいい顔してんの?
あーー……レベルが違いすぎる。住む世界が違いすぎる。器も度胸も違いすぎる。
こういう人を英雄とか言うんだろうね。対して自分は永遠の村人Aか。
「あのさ、早川くん」
「あ、はい」
「うちに来ないっすか?」
「は、はい?」
「〝ヘンジンセイ〟に入らない? 今は四人だから、あと一人くらいほしいんすよね」
唐突すぎて、衝撃的すぎて、口が半開きのままふさがらない。
聞き間違いじゃない? 今、人類最強チームに誘われてる?
「レベル的にはぶっちゃけもう一声ほしいとこだけど、もっと伸びるかもって気もするし。派手さはなくても地味にいい働きしそうなタイプかなと。【ムゲン】も黒との戦闘経験も魅力っす。つーわけで、スカウトっす。一緒に冒険しないっすか?」
「あば……あばあ……」
落ち着け、落ち着け。ダメだ、脳汁が湯気になっちゃう。
これはすごいことだ。世界一のチームのリーダー、人類最強と呼ばれる男から認められた。仲間に勧誘された。すごくね? やばくね? ありえなくね?
間違いなく早川千影史上最高の快挙ですよ。あの織田典長が自分をほしいと言ってくれている。温泉旅行に来ただけでこんな栄誉が降ってくるなんて。予想外にもほどがある。
その手をとれば、きっとすごい世界が拓けるだろう。見たこともないような場所に連れていってもらえるのだろう。まだ足を踏み入れたことのない六層以降。到達人数は百人といない八層。織田たちだけがその景色を見たという十層。そして前人未到のその先へ。果てはダンジョンの最深層へ――。
冒険。勝利。名誉。喝采。レッドカーペットを歩く。グラビアアイドルと合コン。石油王とお友だち。国民栄誉賞。ノーベルダンジョン賞――。
「おい、織田」
妄想がプレイヤー初の月面歩行まで飛躍したところで、野太い声に現実に引き戻される。
屈強――それ以外に形容しようのない、がっしりとした筋肉質な男が仁王立ちしている。三メートル近い長身に緑がかった肌の色。【トロール】だ。ラインの入った坊主頭、幾筋もの傷跡の残る凶相。三人くらい東京湾に沈めましたと言われてもきっと冗談に聞こえないその迫力。あとすごいサイズ。
「おー、福島。あれ、もしかしてそんな時間っすか?」
メディア露出が少なくてあまり顔は知られていないが、プレイヤーとしては超有名人だ。福島正美。〝ヘンジンセイ〟のサブリーダーにして織田典長を長年支える〝最強の右腕〟。まさに名実ともにというやつだ。レベルは確か7。
「お前また、俺らに断りなく勧誘しやがって。わりいな、君。こいつその気にさせるようなことを手当たり次第言いふらすんだよ、考えなしに」
「はあ(知ってた)」
「そんなことないっす。ほんとに見込みある人しか誘わないっすよ」
「来週の祭りまではゴタゴタが続くんだから、新しいやつ入れてる余裕なんてねえだろ。ほら、行くぞ」
ぶっとい指で首根っこを掴まれ、そのままお湯から引きずり出される織田。痛い痛いとわめきながらガラス戸の向こうに去っていく。千影が一人残される。
……まあ、もちろん単純に嬉しかったけども。せっかくだからいろいろ妄想して楽しんだけども。そんなところかなとは思っていた。負け惜しみだけども。
どのみち申し出を受けるつもりはなかった。世界トップのチームなんて、千影のメンタルには重すぎる。想像しただけでプレッシャーすぎて布団から出たくなくなる。
それに今さら、誰かとチームを組むつもりもない。子守り中のギンチョは別として。
今の自由な感じが性に合っている。
自力で、地味に、慎重に。こつこつと、せこせこと。そういうのでいい。
でも――ふと思う。彼らと一緒にいれば、彼らの力を借りれば、黒のエネヴォラも倒せるかも?
それを考えると、心は多少揺れる。ばしゃっとお湯で顔を洗い、せっかくだから他の風呂にも入ってみようと思う。
*
生まれて初めての温泉という文化の素晴らしさをじゅうぶんに堪能した千影。
脱衣所で浴衣に着替え、広間に戻る。畳の上で直江が大の字になって、額に濡れタオルを当てている。その隣にちょこんとギンチョが座ってぱたぱたとうちわをあおいでいる。二人とも浴衣だ。
「ミリヤおねーさん、おふろでのぼせちゃったです」
「それだけじゃなさそうだけど」
その鼻にはティッシュが詰まっている。
「……ああ、悔いはない……」
直江の白くてすべすべの太ももを百回くらいちら見しているのは内緒。真っ白な体毛が四肢の外側にふさふさと生えそろっている。獣人特有の風貌のようだが、それがまたエロい。
「……さっき、織田と会ったぞ……」直江が鼻詰まりの声で言う。
「風呂で話してきました。僕らの用件は終わりです。今日はここでゆっくりして、明日帰ります」
「……ボクも泊まっていく……」
「はあ(勝手にすれば)」
「……ボクはこの子とお布団を並べる……貴様は外でかまくらでもつくって、雪だるまと添い寝してろ……」
「はう、みんなでおとまりしたいです!」
「……うん……天井のしみを数える間に……終わらせるから……」
「(無視)織田さん、なにか言ってました?」
「……特に。また誘われた……チームに……うぜえ……」
やっぱり。直江の実力なら当然だろうけど。
「……あと……ギンチョが……ボクのギンチョがナンパされた……前にどこかで会ったことないかって……縄文時代のやりかたかって、牙剥いて追っ払ってやった……」
……危なかった。助かった。
織田と福島は、ギンチョの素体となったピンクのエネヴォラの素顔を見ている。交戦して(おそらく言葉も交わして)、その首を持ち帰った。ギンチョにその面影を重ねてもおかしくなかった。
あの研究所と織田たちに関連がなかったとしても、ギンチョの素性を知られれば余計な面倒が増えるところだった――
「――あれ?」
頭の隅に引っかかるものがある。その曖昧な霧のような違和感を掴むのに、一分くらい頭をひねる必要がある。
そうだ。前に一度、同じようなことを言っていた人がいた。
ギンチョを見て、その顔に見憶えがあると。
「……ギンチョ、明日は朝イチで出るから、早めに休もう」




