3-5:二層エリア10〝ダンジョン温泉〟
真夏の東京から真冬のオーストラリア――を通り越して南極までワープした感。
ダンジョン二層、エリア10。三層へのエレベーターが待つ、二層の終着点だ。
廃城の裏からエリア9を抜け、緩やかな勾配の山道を登っていくと、唐突に鈍色の曇り空に変わり、一面の雪景色が広がりはじめる。鼻水が凍りそうなほど気温が下がり、ぼたぼたと雪が降ってくる。
防水仕様のブーツの上から防水スプレーをかけ、ダンジョン素材の防寒マントを羽織る。あまり長居したくない気温だ。今日は風がないので吹雪にならずに済んでいるのが幸いか。
「うきゃっ、ゆき、つめたいです! きゃっきゃっ」
ギンチョにとって実物(?)は初めてらしい。最初は犬のように駆け回っていたが、数分もしないうちに寒さと冷たさでみるみるテンションが下がっていく。
ここでのクリーチャーとの戦闘は、他のエリアとは勝手が異なる。雪上だと動きは鈍るし、吹雪いていたりすると視界も悪い。不自由を強いられながらの戦闘だ。
みぞぐちワイバーン三体と遭遇し、レベル差はあってもかなり手こずる。ギンチョのフォローにかなり気を遣うが、当の本人は雪の中に潜って隠れるという斬新なステルス技術を披露する。どうにか撃退したあとに掘り出してやるが、寒さでがたがた震えている。
「もうすぐだから、あったかい場所に連れてってやるから」
画像の公式地図とダンジョンコンパスを確認する。順調に行けばあと三十分くらいか。
エリア9から下層行きのエレベーターホールまでは、一時間ぐらい寒さを辛抱できれば突っ切れるほどの距離にある。このくらいの防寒装備があれば問題ない。
ただ、東京都北区の倍近い面積を誇るこの雪原地帯には、他のエリアでは見かけないレアなクリーチャーや隠し洞窟に埋まる貴重な鉱物資源など――のみならず、多くのプレイヤーが憧れてやまない観光地がある。
雪原の南東の岩壁をか細く貫く隠し通路。そこを抜けた先に、天井に大穴の空いた空洞が広がっている。
エリア10のセーフルーム。従来のそれはトイレやシャワーなどの設備と休憩スペース程度だが、ここは趣からしてまったく異なる。軽く悪ふざけにも思えてくる。
「……ほえ?」
ギンチョが間の抜けた声を漏らす。
岩壁の長いトンネルを抜けると温泉だった。
〝ダンジョン温泉〟。極太の筆書きの看板には丁寧に英語表記もある。
*
「ニメイサマ、オカエリナサイマシター」
雪かき中の法被姿の機械生命体が出迎えてくれる。玄関には女将らしき着物をまとった機械生命体もいる。板張りの床、フロントには木彫りの熊、ロビーの剥製がクリーチャー(ダンジョンカモシカ)なのがあざとい。
ギンチョはもちろん、千影もここに来るのは初めてだ。興味がなくはなかったものの、一人で来る度胸がなかった。そもそも温泉自体、生まれて初めてだ。ちょっとだけ楽しみな反面、ここに来た理由のほうを考えると不安というか緊張のほうが大きい。
「おっきいおふろ! わくわく! てかてか!」
お子様は呑気なもんだ。半分はこいつ絡みでもあるのに。
フロントで手続きをする。ここまで四十キロ以上歩いてきた計算になる。疲れもそうだけど、もう夜なので、ここで一泊する予定だ。
他のセーフルームや〝キャンプ・セブン〟でもそうだけど、異世界と言えどもちょくちょく現金が必要になる。宿泊費は一番安い部屋で二人で一万円。千影的には温泉宿など行った経験もないので、相場的に高いのかどうかもわからない。ちなみに子どもが来る場所ではないので子ども料金はない。
案内に従って矢印の方向に向かう。ダンジョンでスリッパを履くなんてめったにない機会だ。キーホルダーやお菓子の並ぶお土産屋があり、掘りごたつの並ぶ食堂があり、休憩用の大広間もある。
そこに直江がいる。浴衣に着替え、座椅子に座ってくつろいでいる。近づいて見てみると、湯上がりのほっこりした美女というのはそれだけで凶器だ。浴衣の襟元にすさまじい視線の重力を感じる。まさかとは思うけど――現在下着を召していらっしゃらない?
「えっと……お疲れ様です、直江さん……」
「……遅い……先にひとっ風呂浴びてきた……お前、絶対早そうなくせに遅い……」
「下ネタやめろや」
ギンチョが自分も浴衣を着たいとおねだりしてくるので、部屋に荷物を置き、浴衣を持たせる。【ブラウニー】用のサイズだけど、ギンチョには少し小さいかもしれない。
「じゃあ……ボクたちはお風呂行ってくるから……うふふ……想像しただけで垂れそう……」
「セーフルームでセクハラはアウトですよ」
改めて確認事項。セーフルームでセクハラや暴力などの違反行為をすると、機械生命体に追い出される。度がすぎるとブラックリストに載り、セーフルームの使用自体ができなくなる。プレイヤーにとっては致命的なペナルティだ。
「……だいじょぶ……覚悟はできてる……愛のためにすべてをなげうつ覚悟は……」
「ギンチョ、なにかあったらさけべよ! 大声でさけべよ!」
二人が女湯の暖簾の奥に消えていく。千影は一息ついて、このあと待ち受けるメインイベントについて自分を奮い立たせておく。今頃素っ裸の直江と一緒にいるギンチョのことを羨ましいとかそういうことは考えないでおく。考えないでおく。
フロントで、目当ての人が風呂にいることはすでに聞いていた。タオルと浴衣を抱えて男湯の脱衣所に入る。
ロッカーにジャージを突っ込み、もそもそと人目を気にしながら裸になる。別に誰が見ているわけでもないのに、タオルできっちり前を隠す。
室内風呂と露天風呂があると貼り紙に書いてある。からからと引き戸を開けると、ここがダンジョンの一角だというのを忘れそうな日本の浴場が現れる。客は少なめだ、十人くらいだろうか。
洗い場で足の指までしっかり洗い、目当ての人をさがす。室内風呂にはいない、他の客から怪訝な目で睨み返される。しかたなくこそこそとガラス戸から外に出る。
雪の降る露天風呂。確かに風情はあるが、突っ立っているとくそ寒い。広々とした岩風呂、打たせ湯、大きな風呂桶みたいな浴槽のつぼ湯なんてものもある。
岩風呂に入って背中をもたれている男がいる。千影が立っているのに気づき、手を振る。
「君が早川くんだよね? よく来たっすね」
「え、あ、はい……早川です、初めまして……」
〝ヘンジンセイ〟の織田典長はにかっと人懐っこく笑い、頭に載せたタオルで顔を拭う。




