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赤羽ダンジョンをめぐるコミュショーと幼女の冒険  作者: 佐々木ラスト
2章:赤羽の英雄は主人公に向かない
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2-3:【グール】

 空はまだ明るいが、日は確実に傾いている。

 もう五時を回っている。ギンチョと直江は祭りに向かっている頃だろうか。


「ピンクのエネヴォラって……〝ヘンジンセイ〟が倒したって……」

「そう。D庁公式のクエスト受けてたみたいで、持ち帰った死体の一部が任務課に提出された。その後はダン生研――ダンジョン生物研究所に極秘に持ち込まれた。その後どうなったのかは知らんけど、とにかくここの研究所にその一部が渡ったみたいね。研究員によるリークなのか、それとももっと前の段階なのか」

「記録によると、そのクローンベビーは人工子宮の中でひとりでに育ち、たった一年で八歳児ほどの大きさになったらしい。人工子宮システムに成長促進機能なんてないから、エネヴォラ自身の遺伝子の特性か、それともそれも奇跡とやらのなせる所業か。いずれにせよ、それ以上の育成をその装置の中で行なうのは無理だと判断され、去年の十月、クローンベビーはこの世界に産み出されることになった。その子の個体識別IDは〝CHOEP-134-F〟。銀色の髪とIDの頭三文字から、日系の研究者によって〝ギンチョ〟と名づけられた」


 もはやSFの世界の話のようで、中卒のボンクラ千影はついていくのに必死だ。

 ていうか、それが事実なら――あの子は九歳どころか三歳足らず?

 いや、産み落とされた日が誕生日としたら、まだ零歳? 少女どころか幼女どころか赤ちゃん?


「身体や脳は大きくても、知識も経験もない赤ん坊。それを世話し、教育する者が必要になった。私は米国籍の一プレイヤーとしてここに雇われた。もちろん私が選ばれたのは、所属機関の工作によるものだった。人間そっくりのクリーチャーのクローン体のベビーシッター、任務を告げられたときにはなんの冗談かと思ったわ」


 タカハナはふっと小さく笑う。笑みを見せたのは初めてだった。


「子どものいない私にとって、最初は過去のどれよりも難しいミッションだと思えた。言葉、しつけ、トイレの世話に寝かしつけ。まったく無垢なその存在に、教えなければいけないことは山ほどあった。でも、ギンチョの学習能力は、研究者たちの想定を遥かに上回るものだった。一カ月後には言葉を操りはじめ、二カ月後には感情も豊かになり、三カ月目には私と積極的にコミュニケーションをとりはじめた。四カ月目には……屈託のない笑顔を見せてくれた」


 彼女の細い指が犬の覆面をそっと撫でている。


「情操教育とストレス緩和のためにと、ジャッキーという職員の犬が友だちとしてあてがわれた。このマスクの何倍も凛々しくて、優しいドーベルマンだった。彼はあの子のよき友人となり、実験を繰り返す日々の中でよき慰めとなった」

「……実験?」

「当然よ、ここはキンダーガーデンじゃない。あの子は貴重な実験サンプルであり、ここにいたのは倫理と人の心を失った研究者ばかりだった」


 腹の奥が熱くなるのを感じる。「おい、早川」と明智に声をかけられなければ、缶コーヒーを握りつぶしていたかもしれない。


「タカハナさんは……それを止めなかったんですか?」

「……私の任務は研究の監視と報告だった。それを止める権限なんてなかった」

「どっかのコピペみたいなセリフ」

「今さらこの人に当たってもしゃーないんだよ、デコスケ。ほれ、コーヒーでも飲んで落ち着け」

「ぐびぐび」

「あの子はダンジョン因子を持っていなかったけど、エネヴォラの持つ生来の体質なのか、生まれながらに【ベリアル】に相当する超人体質だった。その外見上の年齢とは比較にならない水準の知能も認められ、感受性も人間のそれと変わらなかった。人間に酷似する遺伝子を持ちながら、そのポテンシャルは人間を遥かに超えていた。研究者たちは実験の際も丁重に扱っていた。新しい人類の可能性だ、進化の行く末の示唆そのものだと、歴史の教科書に載る夢でも見ていたのよ。あのときまでは」


 ふう、と明智が息をつく。缶コーヒーを飲み干し、裏ポケットからタバコをとり出す。


D庁(あたしら)が動きだしたのは今年の五月だった。この施設と研究をバックアップしていた政治団体のボスが汚職スキャンダルで失脚し、それを機にこの件が保守派カソリック系の議員らに密告された。まあ、要は親玉が消えてここでの研究を続けることが難しくなって、『非合法なプレイヤーのクローン実験が行なわれている』って情報があたしらに漏れたってことさ」

「後ろ盾を失ったここに、D庁による摘発が入ることになった。残りの議員らはそれをいち早く察知し、リミットが近いことを悟った。研究者たちはデータを持って本国に逃げる前に、ここでやり残していた実験を敢行した。あの子の……再生能力の検証実験を」


 タカハナはそこで言葉を止め、間を置く。風に流される前髪を細い指がすくいとる。


「素体となったピンクのエネヴォラは、人間離れした身体能力に加え、軽度な肉体の損傷なら短時間で治癒する強力な再生能力を持っていた。さらに、損傷度が許容量を超えると覚醒する潜在的な暴力性も備えていた。暴走状態に入ると無意識のままに他生物を捕食し、超再生を促進する……ここまでが、エネヴォラを倒したプレイヤーの証言による情報だった。不死に近いとされるその特性を研究者たちは【グール】と仮称し、それを自分の目で確かめるチャンスを待っていたの。ハヤカワ、あなたの嫌悪する非人道的な生体実験でね――」


 気がつくと無意識にタカハナの胸ぐらを掴んでいる。千影自身が一番びっくりしている。


「私は――」震える声でタカハナが続ける。「私は……あのときすでに、この研究所から締め出されていた。実験の実施を知れば邪魔になるかもしれないと、研究者たちに……私は上司にあの子の保護を進言した……けれど、未だにIMODに大きな影響力を持つ米国との関係悪化への懸念から、上司はなかなか重い腰を上げようとしなかった……あの子を……救えたはずなのに……」


 明智の手がそっと千影の手に重なる。千影はしかたなく手を放す。


「……そして、事故は起こった。実験の詳細は私にもわからない、研究者はすでにデータとともに本国に逃走していたから。わかっているのは、研究員が二人、犠牲になったということだけ」

「あたしらが踏み込んだとき、施設はすでにもぬけの殻だった。データはすべて削除されていたし、書類の類も残っていなかった。奥に厳重に閉鎖された区画があり、そこに返り血まみれのあの子が倒れていた。喉を食いちぎられ、数口かじられた死体も転がっていた。なにが起こったか、君が一番わかるんじゃないか」


 沈黙が三人の間に降りてくる。千影はうっすらと傷跡の残る左腕を握りしめる。


「研究者があの子をサルベージできなかったのは――」とタカハナ。「D庁が乗り込むタイミングが彼らの想定よりも一歩早かったから。書類やデータを処分して撤収するしかなかった。これまでの研究データやあの子のサンプルさえ手元にあれば、母国にさえ逃げ帰れれば、また研究を再開できると踏んだのね」

「クソですね」

「ええ、クソね」

「あたしらがあの子を確保した時点では――」と明智。「あの子はプレイヤー能力を与えられた被験者か、あるいはプレイヤー能力者のクローンだと推測された。その後、『自分はここで生まれた』というあの子の証言から後者だと断定されたけど、誰のクローンでどのように生み出されたのかなど、詳細はあの子自身も知らされていなかった」

「…………」

()()()()については、なんらかの薬物による副作用か、あるいは加虐的な実験による悲劇的な結果だと、その程度の想像しかできなかった。まさかクローンはクローンでも、あのエネヴォラのクローンだったとはね。ダン生研の素体データが公開されてりゃ、畑違いのあたしらも気づけたのかもしれないけど。まあそうとわかってたら、さすがに一般人の君に任せたりはしなかったけど」

「……ギンチョはその事故について、どこまで知ってるんですか?」


 千影の肉を食いちぎったことを、あの子は憶えていなかった。記憶があるのは黒のエネヴォラと遭遇したところまで、それ以後の記憶は曖昧だった。もちろん千影の口から事実を伝えたりはしていない。


「あの子はなにも憶えていないと言っていた。でも、あの子は頭がいいし、勘も鋭い。あたしや君よりもね。自分のしたことに薄々気づいてるかもね」

「あの子はなにも悪くない!」


 タカハナがテーブルを叩く。ばきっと木板が陥没する。


「悪いのはあの人でなしのカスどもよ。人を記号としてしか見ない、命を作用と価値でしか語らない、白衣の中に知識と欲だけ詰まったクソ袋。全員死ねばよかった……私が殺せばよかった!」


 震えるほど強く握りしめた拳の隙間から血がにじむ。


「それなのにあの子は……繰り返される実験動物のような日々でも、あの子は誰も憎まず、なにも呪わず、ただ外の世界への興味と憧れを口にするだけだった。ダンジョンの話をすると、目をキラキラさせて続きをせがんだりした。この狂った場所で誰よりも……あの子は人間だった。悪いのはあいつらと……それを止められなかった私……」


 うめくように吐き出された呪詛は、最後には自分に向けられ、そのまま散って消えていく。


 ギンチョについては、これでほぼすべての疑問が解けた。


 正直知らないままのほうが楽だったと、千影は思わずにはいられない。後悔しているというわけでもないけど、今はまだぴんときていないだけかもしれない。自分にはまったく関わりのない、異世界のような話ばかりだったから。


 ただ――このあと家に帰って、あの子と顔を合わせたとき、自分はどう思うのだろう? あの子のことをどのように扱うのだろう?


 ……想像がつかない。そうなってみないとわからない。



 そろそろ戻るか、と明智が立ち上がる。タカハナも同行するよう申し入れる。タカハナは無言のままうなずく。明智がビニール袋を手渡してきたので、三本の空き缶は千影が回収する。


 門までの道中、無言が続くのがいたたまれなくなり、千影はなんとなく尋ねてみる。


「そういえば、なんで僕は殺し屋とタカハナさんに襲われたんですか?」

「……あの二人を使って、あの子を奪還するつもりだった。家の近くには捜査課の人たちがいる可能性が高かったから、あなたたちが外出したタイミングで仕掛けてもらって。人選は都合のいい口八丁で動かせるのが彼らくらいしか思いつかなかったから」

「なるほど(納得)」

「所属機関から離れて、私は一人であの子を見守っていた。IMODにもこの国にもあなたにも、あの子を任せてはおけなかった。D庁もあの子の秘密を知れば、またあの子を檻に入れ、注射器とメスを握る。もう誰にもあの子を傷つけさせたくなかった。あの子を奪還して……一緒に逃げて……誰にも見つからない場所で……」

「親心かね。それとも贖罪か、いや両方か」


 そう言って明智はタバコに火をつける。歩きタバコはいけません。


「私が一緒なら……あの子に怪我させたりしなかった……」

「それは……僕の力不足で……」

「私が一緒なら……あの子をあんなガーリックくさくしなかった……」

「それは……本人の食い意地で……」


 車まで戻ると、タカハナはもう一台のほうに連れていかれる。後部シートに乗り込む前に、振り返って千影を見る。なにか言いたそうに口を開けるが、そのままドアを閉める。


 千影も明智の車に乗る。エンジンがかかり、エアコンの涼しい空気が肌に触れる。デジタル表示はもうすぐ六時になる。


「タカハナさんも言ってましたけど、捜査課つーかD庁はギンチョをどうするつもりなんですか? ていうか、あの子を僕に預けた動機の話も嘘だったわけですよね?」


 人身売買組織に無理やりダンジョンウイルスを投与された、悲劇の子ども。その居場所づくりのための時間稼ぎとダンジョン庁への批判回避のために、一カ月間の子守りを頼まれた。半ば脅迫される形で。


 ギンチョの身の上話が真っ赤な嘘だったわけで、その前提はがらりと崩れた。なぜ自分があの子を預からなければいけなかったのか? なぜ自分だったのか?


「あー……そうだね、それも話さなきゃいけないか。めんどくせーのが残ってt――」


 ぶー、と千影のスマホがバイブする。ディスプレイには今日登録したばかりの名前が表示されている。明智に目配せして、電話に出る。


「あー……はい」

『……ボクだ……』

「ボスかよ」


 直江ミリヤだ。


「えっと、ギンチョとお祭り行くんでしたっけ?」

『……もう来ている。この熱気が伝わるだろう……』

「はあ」

『……そして、いなくなった……』

「はあ?」

『……はぐれた、見失った、迷子になった……』

「マジすか」

『……この場合、迷子とは、ボクとあの子、どちらをさすんだろうな……ふふ……』


 熱気というか後ろの騒がしさは伝わってくる。そしてトッププレイヤーのパニックが一周回っておかしくなってきた臨場感も伝わってくる。

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