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赤羽ダンジョンをめぐるコミュショーと幼女の冒険  作者: 佐々木ラスト
1章:怪獣娘にかける言葉は決まっている
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エピローグ

 ギンチョは変わった女の子だ。


 ライオンより肉好きで。白目剥くほど野菜嫌いで。

 世間知らずで。ときどき慇懃無礼で。

 羨ましいくらい女にモテて。


 どうしようもないくらいビビリで。感嘆詞がいちいち意味不明で。

 汚い大人にダンジョンウイルスを投与されて。

 それでもバカみたいに素直で、僕のようなやつに懐いて。


 いろいろ変テコでも、普通の女の子じゃないか。


 なんでダンジョンに行きたいなんて思ったんだろう?

 ダンジョンにいなきゃいけないって、どういう意味だったんだろう?


 なんで僕なんかを庇ったりしたんだよ?

 なんで僕なんかと一緒にいたんだよ?



 部屋に響く絶叫が、自分の口から溢れているものだと、千影は気づかない。


 なにも考えられない。思考が言語の形をとらない。


 ギンチョの顔が脳裏に浮かぶ。笑っている。肉を食べて頬を緩ませている。怯えている。笑っている。ビビって泣いている。照れている。笑っている――


 頬を重い衝撃が襲う。床になぎ倒される。


 うるせえよ。

 誰かの声がする。頭に入ってこない。


 胸ぐらを掴まれて引き起こされる。身体に力が入らない。全身の骨を奪われたみたいにぐにゃりとしている。


 どうしようか。このまま生かしとくのもありかもな。そのほうが絶望だろ?

 男の声がそんなことを言う。

 意味がわからない。どうでもいい。もうなにも、なにも――


「――がぁっ!」


 短い悲鳴とともに、千影の身体が投げ出される。それが千影の意識を現実に引き戻す。


 顔を上げると、目の前に黒が立っている。顔を歪めている。その首に銀色の毛むくじゃらがひっついている。


 黒の手がそれを掴み、ぶちぶちと引きはがして床に投げつける。首元の肉が大きくえぐられている。ぼたぼたと大量の血が流れ落ちる。


「くそが……いてーじゃねえか」


 床に落ちてごろんと転がったそれが、ぐぐっと起き上がる――ギンチョの上半身だ。


「忘れてたよ、その能力……シヴィのまがいもんだもんな、その程度じゃ死なねえか」


 腕で床を蹴るように跳ね、血の海に浸るもう半身へとしがみつく。切り口と切り口が重なると、ぴきぴきと乾いた音とともに断面の肉が伸び、触手のように絡み合い、接合されていく。


「……ギンチョ……?」


 ゆらっと頭を左右に揺らしながら、ギンチョが立ち上がる。銀髪が柳のように垂れ下がり、その顔は見えない。

 なにが起こっているのかわからない。わからないけど。

 千影の脳が再び動きはじめている。


「……ギンチョ……お前……」


 死んだんじゃなかったの? 身体が二つになったのに、なんでくっついてんの? ホラー映画かよ。


 ぼたぼたと血の垂れる首筋を押さえたまま、黒が一歩二歩とあとずさる。

 その足元から突如、幾筋もの蔦のようなものが現れ、びゅるんっと黒の全身に絡みつき、その動きを拘束する。


「ちっ、時間かよ! まだ終わってねえ、もっと遊ばせろ! 〝ダンジョンの意思(ウィル)〟!」


 床が液状化したかのように、黒の足がずぶずぶと沈んでいく。声の限りに悪態をつくうちに腰まで、蔦を無理やり引きちぎろうともがくうちに胸まで。これがエネヴォラの時間切れか。


「ま、待て――」


 とっさに千影の口がそうさけぶ。考えなしに、ほとんど反射的に。

 黒が千影のほうを向く。そして口の端を持ち上げて笑う。


「次に出る場所と時間は決まってる。運がよければまた会えるかもな。きひ――」


 とぷん、と頭の先まで沈みきると、床はほんの少し波打ち、そしてなにもなかったかのように元の石床に戻る。残されたのは散らばった黒の血痕だけだ。


 思いがけず訪れた静けさの中で、千影は全身から力が抜けていくのを感じる。


 ギンチョのほうを振り返る。

 視界に飛び込んできたのは、裂けんばかりに口を開け、眼前に迫る影だった。



 ばつん、と顔の右側でなにかが切れたかと思うと、音が消える。ヘッドギアが床に落ちる。


 反射的に顔を背けた。それでも避けきれず、耳とその周りの肉をもっていかれた。

 なにを避けた? なににもっていかれた?

 血が噴き出す。灼けるような痛みを感じる。構わずに後ろを振り返る。


 ギンチョが背中を向けてうずくまっている。頭を上下に揺らしている。ぐじゅぐじゅと咀嚼音のようなものを残った左耳が拾う。


「……ギンチョ……?」


 千影の呼びかけに応じるように、ギンチョが振り返る。


 垂れ下がる前髪から覗く目は、ピンポン球のように丸く見開かれている。銀色だ――瞳も白目も、妙に透き通った綺麗な銀色になっている。

 もちゃもちゃと口元が動いている。唇の周りにはべっとりと血糊がついている。


「ギンチョ……なんで、僕を食ってんの?」


 ごくん、と口の中のものを飲み込み、げふっと一息つく。そしてまた、千影を見据える。

 表情がない。昆虫みたいに無機的に、獲物を凝視するような眼だ。


「おい、聞いてんのか、ギンチョ」


 かぱっと口が開く。前かがみになって床に手をつき、そのまま四つ足で突進してくる。


 ああもう、全然わけがわからない。

 ギンチョが死んだ。なのに生き返った。そして肉を求めてあんなに口を開けている。

 お昼前だからかな。リュックどこにやったっけ。弁当を差し出せば、もう噛みつかれなくて済むのかな。でも無理だ、もう間に合わない。


 ほんとにもう、考えるのも疲れた。避ける気力もない。殴られた腹もかじりとられた耳も痛い。いや、もう耳はないのか。顔が痛い。


 ギンチョの顎が迫る。千影の首あたりに狙いをつけているようだ。


 まあいいや。食べたいなら食べればいい。ギンチョに食べられるならそれでいい。

 それでもう、考えなくて済むのなら――


 バキッ! とギンチョの身体が吹き飛ぶ。横倒れになって床を滑っていく。


「……どうなってんの、これ……」


 ギンチョと入れ替わるように、千影の目の前にバトルメイスが転がっている。横合いから投げられたそれがギンチョを直撃したようだ。


 振り返ると、真っ白な女が脇に立って千影を見下ろしている。

 白髪、尖った獣耳に端正な顔立ち、ふさふさの尻尾。そして巨乳。


「……で、ボクのギンチョはどこ……?」

 眠たげな声で〝白狼〟こと直江ミリヤは言う。

「……今吹っ飛ばしたアレがそうです」

 千影も疲れきった声で応じる。



 ギンチョがふらっと頭をもたげ、髪の隙間から千影と直江を見る。どちらが食いでがあるかを品定めするみたいに。


「どうなってる……あの愛らしい奇跡の子が……海外のB級ホラー映画みたくなってる……」

「わかんないです……殺されたと思ったら生き返って、肉を求めて暴走モードです」

「……殺された……誰に……?」

「黒のエネヴォラに」


 直江がちらりと千影を見て、すぐにギンチョに目を戻す。


「……死んでも生き返るアビリティなんて……聞いたことがない……」

「こっちだって……もうなにがなんだか。わからない、考えたくもない……」


 どかっと足裏で肩を蹴られる。ゴツい安全靴だからなおさら痛い。


「……考えろ……あの子を元に戻す……方法を考えろ……」


 かぱっとギンチョの口が開く。品定めが終わったようだ。


「……ザコは頭使うしかないだろ……首の上に乗ってんのはチ〇コか……?」


 四つ足、一気にダッシュ。向かう先は――直江のほうだ。

 バトルメイスの柄がギンチョの口をふさぐ。がちっと噛みついたまま、それでもギンチョは止まらない。爪を立てて直江の腕にしがみつき、直江の背後の柱へと押し込んでいく。


 直江も本気を出してはいないだろう。それでも渡り合うギンチョは、スピードもパワーも、レベル1のものではない。


 考えろと言われても。今さら自分になにができる?


 全力を尽くした。絶対に殺したいと思っていた仇に、自分のすべてをぶつけた。

 なのに軽々と返り討ちをくらった。思うさま嘲笑われ――目の前で仲間を殺された。


 心なんかボッキボキに折れてしまった。いっそミキサーにかけて粉々にして海に撒いたほうがいいくらいに。

 これ以上、自分になにができるんだろう?


 ずりずりと床を削るように、ギンチョが柱のほうへと押し込んでいく。


 その小さな背中が――あのときの、黒から千影を庇うように立ちはだかった、あの背中と重なる。


 ギンチョは生きている?

 ギンチョを元に戻す方法はある?

 わからない。無理かもしれない。

 それでも――小賢しく考えることはできる。

 つーかさ。それくらいしかとりえがないだろ、早川千影。



 直江がふっと力を抜くと、跳躍し、背後の柱を蹴ってふわりと宙返りする。華麗な着地とともに距離をとる。

 ギンチョは左右に首を振り、後ろを向き、また直江を視界に捉える。


 あのとき、ギンチョは確かに身体を両断された。ギンチョは一度死んだ。いや――死んでいなかった?


 ――その程度じゃ死なねえか。忘れてたよ、その能力。

 黒はそう言っていた。ギンチョのこの状態はその能力とかいうやつのせい?


 もう一度、ギンチョが突進する。直接の噛みつきでは届かないと学習したのか、今度は手から掴みにかかる。

 大振りとはいえ、そのスピードは千影にも迫るほどだ。それでも直江は最小限の動作でかわす。じゃれつく仔犬をあしらうかのように、彼女の尻尾が優雅に揺れている。


 ギンチョの目が――左目が、さっきまでの異常な銀色ではなくなっていることに気づく。ひどく充血しているが、元の白目と赤みがかった瞳に戻っている。


 あのとき、黒の肉を食い、すぐさまもう半身と接合した。

 千影の肉を食い、片目が元に戻っている。


 ダメージを回復している? 食べることで?

 肉体の激しい損傷で発動する自動的なアビリティ?

 その損傷を捕食で補う能力?

 だとしたら――。


「直江さん! ギンチョを止めて!」


 直江の目が千影を垣間見る。迫るギンチョの顔に、直江の尻尾が当たる。視界を奪われたギンチョが一瞬怯み、その隙をついて直江が背後に回る。

 羽交い絞め。両手でがっちりとギンチョの身体を拘束する。


 ギンチョがもがく。力の差を見ればそれをほどくのは不可能だ。それでも足をばたつかせ、直江の太ももや腰を蹴る。直江がわずかに顔を歪ませる。


 千影は立ち上がる。足が言うことを聞かず、頭も重い。自分の身体ではないみたいに。


 あっちこっち傷だらけ。血を失いすぎている。おまけに肋骨も折れている。

 その上、仮説の検証のために、もっと痛い目が待っている。


 それでもやるしかない。直江には頼めない。自分がやるしかない。


 ただの子守りクエストだとしても。嘘となりゆきで始まったチームだとしても。

 僕はギンチョのメンターなんだから。

 ギンチョはたった一人の仲間なんだから。


 千影は足を引きずるようにして、ギンチョと直江の前に立つ。

 ギンチョは声にならない低いうなりをあげながら、その口を開いてあぐあぐと宙を噛んでいる。


「……なにかわかったか……?」

「……わかんないけど……やれることから試してみます」


 左腕の袖をまくり、ギンチョの前に差し出す。骨に近い外側ではなく、肉の厚い内側を。


「……なにを――」


 直江が言うより先に、ギンチョの歯が腕に食い込む。皮膚を破る痛みを感じる間もなく、その歯は躊躇なく肉を食いちぎる。


 痛すぎる。目に涙がにじむ。押さえる指の間から血はぼたぼたと流れ落ちる。


「……もう一口くらい、いっとく?」


 言葉が通じたのか、もう一度腕を差し出すと、遠慮なくさらにがぶっともう一口。痛みで気が遠くなる。膝から崩れ落ちそうになる。


 せっかく振る舞った新鮮なお兄さんの肉、せめてもう少しおいしそうな顔ができないものか。


「この際だから……右腕もいっとく?」


 無表情のままもちゃもちゃと咀嚼するギンチョの頬に、


「それでも足りなきゃ……もういいや、全部食っていい」


 千影の血まみれの指がそっと触れる。


「だから――戻ってきてよ、ギンチョ」


 ごくん、と千影の肉がか細い喉を通る。


 もがいていたギンチョの身体がぴたりと動きを止める。いや、小刻みに震えている。なにかに抗うかのように。


 右目の銀色が消えていく。その目から赤い涙がこぼれ落ちる。血糊で汚れた唇が薄く開く、必死になにかを求めるかのように。


「……おにーさん……?」


 その声を聞いたとき、千影は、耐えがたいほどに胸が熱くなるのを感じる。

 すとんと尻から床にへたりこむ。天井を仰いで大きく息をつく。


 最初にかける言葉は決めてあった。


「――帰ったら絶対野菜食わすからな」

1章終わりです。お付き合いいただいてありがとうございました。

次は2章です。シーケンス的に2ですが、1章の後編みたいな感じです。

引き続きよろしくお願いします。


ここまでの感想、レビュー、評価などをいただけると大変嬉しいです。

よろしくお願いします。

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