4-4:ヒトデナッシング
『――いったん停止します、お掴まりください』
異変を察した運転手がバスを停める。と同時に、千影はギンチョを脇に抱えて通路を駆ける。一瞬遅れて、さっきまでいた席にも銃弾が降りそそぐ。
降車口のドアを蹴破って外に転がり出る。バスの天井――を振り返っている暇もなく、歩道から路地に跳び込む。ばらららっ、すぐ後ろの塀が爆ぜて穴だらけになる。
「あの、あの、おにーさん――」
「黙ってろ、舌噛むぞ」
なんだ、どうなってんだ?
襲われてる、間違いない。
なんで? どうして? 誰に?
つか、あれっておそらくマシンガンってやつだよね? ばらららって、いっぱいタマばらまくやつ。ヤクザとかがぶっぱなすやつ。
銃弾だった、本物だった。そんなもん向けられるいわれはない。一個もない。断じてない。
「くそっ、なんなんだよっ!」
プレイヤー? いや、プレイヤーは銃火器を使わない。ヤクザ? いや、そんなもんに狙われる理由がない。〝C〟? あ、それならあるかも。明智のパシリで何人か捕まえるのを手伝った。でもなんで僕? 逆恨みってやつ? なんでこのタイミングで?
めちゃくちゃに頭を回しながら、それでも逃走する方向は見失っていない。北へ、赤羽駅方面へ。走りながらポケットをまさぐり、ギンチョにケータイを渡す。
「明智さんにっ、電話っ!」
狭い住宅街の路地だ、午後八時前、だいぶ薄暗くなってきている。入り組んでいるからスピードも出せないが、さすがにこれで振りきれるはず。普通の人間相手なら。
「でない、でないです!」
「なにがっ!?」
「でんわ、るなおねーさん!」
「ああ、ちくしょう! なにが瑠奈だ、似合わねえ!」
どれくらい走っただろうか。おそらく五分と経っていないだろうが、もっと長く感じられる。いったん足を止め、ギンチョを下ろし、呼吸を整えつつあたりを窺う。
周りの風景が変わっている。住宅地には変わりないが、古い木造家屋や荒れ果てた庭が並び、かなりさびれている雰囲気だ。すぐそばには門扉の開け放たれたままの廃工場らしき建物もある。じじ、と頭上の街灯が軋んだ音をたてる。
ダンジョンが来て、赤羽周辺すべてが賑わったわけではない。とりわけ住宅地は治安の悪化への懸念で虫食いになったエリアもある。このあたりもその一つだ。
「……ぜひー、ぜひー。お兄さん、おめー、足はえーじゃねーか」
――やっぱり。
ギンチョを抱えていたとはいえ、振りきれなかった。
「……ぷひゅー、疲れたワ、アイムタイヤードだワ、デーブ」
暗がりから二つの影が姿を現す。でっぷりと横幅のある体形の男と、対照的に長身スレンダーな女。それぞれ青とピンクのライダーススーツという派手なペアルック。顔は見えない――というか、男は布で口と鼻を覆い、女はなぜか福笑いみたいな垂れ目イラストのアイマスクをしている。二人とも金髪だ。
走って追いかけてきたらしい。ということは、間違いなく〝C〟――犯罪プレイヤーだ。
「えっと……いったいなんなんすか……?」
訊きながら、千影は後ろにギンチョを庇って半身になる。
男が塀に手を置き、女は男の肩にもたれかかる。二人の息切れ具合を見るに、すぐに襲いかかってはこない、はず。
「それ、本物の銃でしょ? そんなもん、人に向けちゃダメじゃないっすか……?」
男が持っているのは、映画とかでよく見る、小ぶりのサブマシンガンとかいう代物だ。それを片手にぶらぶらさせている。女のほうは普通の拳銃、異様にゴツくてむしろリアルに感じられる。
「いやー……ぜひー……そらお前が……」
「僕……?」
「ぜひー……お前が……ゴクアクニンだからだろうが、ええ!」
「ぷひゅー……デーブのユートーリヨ! この……えっと、ファッキン・ヒトデナッシング!」
金髪、イントネーションの独特な日本語、ネイティブっぽい発音――やっぱり外国人か。女のほうはインチキくさいが。
「いや……あんたらと会ったことないし……そんな追いかけられる理由も……」
捕まえるのを手伝った〝C〟の中に、こんな珍妙なやつらはいなかった。顔を隠しているとはいえ、一度でも会っていたら記憶に残っているはずだ。
「てやんでぃず! どのヅラ下げてほざきやがる、てめえの脳みそはチーズバーガーか!?」
「ホワイトばっくれるんじゃないわヨ、このファッキン・ヘーキンフェイス!」
「平均でなにが悪い、日本代表だ!」
「シャラップ! そこにいるムックなキッズが、ユーのアックギョーのショーコなのヨ!」
祥子とか翔子みたいなイントネーションだが、証拠? ムック? 無垢なキッズ――ギンチョが悪行の証拠?
当の本人は千影の腰にしがみついたまま、「ぐぇぷ」と耐えがたいほどにんにくくさいゲップをする。
「オレたちはデーブ&ロビン! セーギの、あれだ、えっと」
「えっと、なんだっけ? ロコーシャ?」
「そうだ、コロシヤ。アクトー専門のな!」
殺し屋。そんな風に言われてもぴんとこない。典型的日本人としてはダンジョンよりもクリーチャーよりもよっぽど非現実的。
てか、悪党専門? 僕が悪党? ああ、頭の回転が鈍くなっている。この展開についていけていない。
「その子へのギャクタイのカズカズ! 俺たち見てたんだカカサズ! ヘイヨー、ロビン、いつものやつを読みあげてやれ!」
ロビンとかいう女が拳銃を豊満な胸の谷間に突っ込み(ここで千影は初めて巨乳の存在を認識する)、ポケットからくしゃくしゃに折り畳まれた紙をとり出す。そして両手で広げて自分の顔に近づける。アイマスクのせいで見づらいようだ。
「えっとー、えー、ザ……ザイ……ジョー」
「罪状?」
「イエス! ザイジョー、チ、チ、チハゲ・ハヤカワ」
「わざとだろ」
「ここフューデイズ、アタシたちはキサマをウォッチしていたのヨ。そこのキッズをユーカイしただけじゃアキタラズ、ジェイソンやフレディーのごとく追いかけまわし、ドンキーのようなモノでナグることソーメニー。ランチはあえてエーヨーのあるベジタボーをネグレクトすることソーバッド」
「すげえ入ってきづらいんだけど」
要するに、ここ数日見張られていた。鬼ごっこのトレーニングもピコピコハンマーも野菜嫌いも不時着のラーメンも、こいつらは虐待だと認識している。
「さっきも見てたわヨ。ダメプッシュに、ピッグのエサのごときラードまみれのブツをムリヤリ食べさせタ。これまさに、キティクのショギョー!」
不時着のラーメンがブタの餌だと?(万死に値)
「さっきのバスもそうだぜ。てめえはその子に窓際をユズらなかった。オレが育ったアイダホの街はな、バスでもトレインでも、キッズは窓際ってソーバが決まってたんだよ。流れていく街のフーケーを眺めるのはキッズのトッケンだって、オトナたちはみんなスマイルでユズってくれたんだ。それをてめえはその子から奪った、バンシにアタイする!」
「もうダメだ。まともな世界に帰りたい」
「オーケー、土に還らせてやるよ。グランマの畑に撒いて、ポテトのヒリョーにしてやるぜ」
「メイドのもみやげはナマリダマヨ」
ぱちっとスイッチを切り替えたみたいに、即座に二人の表情が消える。同時に二つの銃口が千影のほうを向き、間髪入れずに轟音がはじかれる。
ギンチョを脇に抱え、身体ごと横の敷地内へと転がる。塀が盾となってびすびすと穴が開いていくが、そのうちの一発が千影の左足をかすめる。
傷口を気にする余裕もなく起き上がると、目の前にはシャッターが開いたままの廃工場が暗闇を湛えて佇んでいる。きつく締めつけすぎてうっぷうっぷ言っているギンチョを無視して千影はそこに飛び込んでいく。
「逃げんじゃメェン!」
光源のない工場内で目を凝らす。足音が追ってくる。なにか遮蔽物――といっても角材や段ボールが転がっている程度だ。いや――奥のほうにリフトカーが一台放置されている。間一髪その陰に飛び込むと同時に、ギャギャギャッ! と車体が弾雨を浴びて火花を散らす。
「ヘイ、ファッキン・デクノボーイ! もう逃げ場はナッシングだぜ?」
「まさにフライアンドダイビンファイヤーするサマーバグだわネ、デーブ」
わざとだ。あの女、絶対キャラつくってる。
ぎゃんぎゃんと車体が爆ぜる中、千影はすばやく屋内を見回す。がらんと広く、もぬけの殻だ。鉄骨の柱と無造作に転がる廃材。窓は二階部分に並び、裏口らしきドアは段ボールと木材が積まれてふさがれている。どかして逃げようにも、その隙に背中を蜂の巣にされる。
あのアホどもの言うとおり。退路は断たれ、追いつめられた。
わけがわからない。もううんざりだ。
でもまだだ――まだ最初に描いたプランの中にいる。
「お、お、おにーさん……」
不安げに瞳を揺らすギンチョに、千影は頭を撫でてやる。
「だいじょぶだから、ここを動くなよ。あと顔近づけないで、にんにく臭やばいから」
今後の安全と安眠のために、こいつらとはここでカタをつける。
ギャギャギャギャッ! 耳障りな音と火花の光。車体の隙間から窺う、敵との距離は十メートル程度、女のほうが数歩手前にいる。
マシンガン男が千影たちを釘づけにし、女が側面をつくつもりか。意外と手がたい、というか慣れている。殺し屋というのも嘘ではないらしい。
問題はどうやって距離を詰めるかだ。こちらも飛び道具でもあれば。あいにく手元には財布とスマホくらいしかない。
作戦その一、【アザゼル】で頭だけ庇いつつ突進――却下。レベル4のタフネス――検証動画によると、プレイヤーの皮膚や筋肉や骨の強度なら、小口径の銃弾では大したダメージにはならないらしい――とはいえ、向こうの銃はだいぶゴツいし、何発もくらえばさすがにやばい。つーか怖い。
作戦その二、【ムゲン】で一気にカタをつける――保留。加速できるのはたった一秒、二人を同時に倒すにはぎりぎり届かないかもしれない。女が回り込んでくるまでは保留。
うーむ、他になにかいい手はないか。こうなると明智のような遠距離系スキルが羨ましい。とりあえず持っているもの転がっているもの手あたり次第投げてみるか――
「ギンチョ、あれ、まだ持ってる?」
「ほえ?」
ギンチョは外出の際に小さなガマ口の財布を持っている。そこにはわずかなお小遣いと、綺麗なボタンとか猫の顔のクリップとか、お気に入りの小物が雑多に入っている。
「お前の稼ぎだけど、使わせてね」
ガマ口からとり出した赤い小石――フュエルオーブを、【アザゼル】で硬質化した手で握りしめる。べききっ、とてのひらの上で粉々に砕けたそれを見て、ギンチョがはわわっと悲鳴をあげる。そしてライターの火をその破片に近づける(ライターはプレイヤーの必需品だ)。
立ち上がってリフトカーから顔を出す。銃口がこちらに向く。それより先に千影は振りかぶった腕を振り下ろす。
フュエルオーブ、別名〝石油宝珠〟。可燃性。花火の火薬や金属加工などに用いられる。
砕いて空気に触れさせた断面を高温にすると、数秒後、激しく燃え上がる。
千影の手から無数の赤い煌めきが放たれる。地面にばらまかれ――バゥッ! と爆音とともに幾筋もの火柱が上がる。
眩しいほどの光が室内の闇を吹き飛ばす。「うひゃー!」「あうちー!」、顔を背けて怯む二人。火柱は直撃しなかったが、距離を詰めるにはじゅうぶんな隙だ。
右手で女の拳銃を、左手で男のマシンガンを掴む。もう一度【アザゼル】を発動。
「ファック――」
「日本で銃はダメだって」
一気に銃身を握りつぶす。同時に、火柱はふっと闇の中に融けて消えていく。




