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赤羽ダンジョンをめぐるコミュショーと幼女の冒険  作者: 佐々木ラスト
1章:怪獣娘にかける言葉は決まっている
24/222

4-1:特訓ぺひー

「はい、今週はダンジョンに行きません」

 そう告げられたときのギンチョの目は、老木のうろを思わせる空虚さを湛えていた。


 丹羽によるお疲れ焼き肉会の翌日。六月二十一日、水曜日。


 普通のジャージに着替えた二人は、水筒やら弁当やらをリュックに入れ、ポータルとは逆の方向に歩いていく。


 国道一二二号沿いに北に向かうと、間もなく新荒川大橋が見えてくる。手前の新河岸川を通り越して、荒川の土手から河川敷のほうに下りていく。

 芝生の土手や広場、バーベキュー場、桟橋の歩道。大橋の西側には野球やサッカーのグラウンド、東側には旧岩淵水門の赤っぽい扉。


 そして、その水門の近くに景観と不釣り合いな、ハリウッドのヒーロー映画に出てくる科学研究所みたいなモダンな高層ビルがある。千影が子どもの頃にはなかった建物だ。


「あのビルはなんですか?」

「えっと、なんつーか、もう一つのポータルかな。IMODのイワブチポータル」

「あそこからもダンジョンにいけるんですか?」

「行けるけど、僕たちは使えない。話すとややこしいから、またあとでね」


 大橋の西側の広場で荷物を下ろす。街中とは異なる広々とした風景に、ギンチョは目を輝かせ、「きゃわー」とか「ふしゃー」とか奇声をあげながら芝生の上を走ったり跳んだりごろごろ転がったりする。初めての散歩に出た子犬のようだ。


「つーか、エリア1のほうがよっぽど広くてテンション上がると思うけど」

「あっちもたのしいです。でも、こっちはほんものです。ほんもののかわです」

「まあ、そらそうだけど」


 うっすらと雲が広がっているが、日差しは強い。予報によると雨の心配はなさそうだ。風は弱くてやや蒸し暑く、夏が近づいているのが体感できる。


 藍色にきらめく水面の向こう岸がよく見える。土手の上にある小学校、河川敷の自動車教習所。ここからでは見えないが、京浜東北線の荒川橋梁の向こう側には運動グラウンドやゴルフ場がある。


 埼玉県川口市。千影の生まれ育った街。


「……あっち、どうかしたですか?」


 千影が向き直ると、ギンチョが首をかしげて見上げている。いや、と首を振ってみせる。


「なんでもない。あんまり好きじゃないなって、夏が」

「ほえ?」

「あ、いや……暑いからさ。ギンチョは好き?」

「うーんと……わかんないです」


 わからない? というか、数日一緒にいるが、こういう世間話はほとんどしてこなかった気がする。食べものの好みは脂っこい味が濃いラグビー部的肉食系だということくらいしか知らない。


「あの……そういやさ……ギンチョは……」

「ほえ?」


 どうしてそんなにダンジョンにこだわるの? その、悪い組織のところにいたときのことと、なにか関係が――?


「……いや、なんでもない」


 改まって身構えてしまうと、とたんに言葉が出なくなる。ギンチョのトレーニングだけでなく自分のコミュニケーション能力も鍛えるべきかもしれない。うん、がんばろう。無理のない範囲で。


「そろそろ始めようか」


 千影はハンマーを構える。プラスチックの、ぺちっと叩いたら「ぺひー」と間抜けな音の出るオモチャ。


 ギンチョは黄色いヘルメットをかぶる。ハンマーと一緒にドンキで千円で売っていた、プラスチックのぺらぺらのヘルメット。


「じゃあ、行くぞ、ギンチョ!」

「はう!」


 犬を連れた散歩中のおばあさんがこちらを見てぎょっとしている。紐でつながれたマルチーズが警戒感マックスでぎゃんぎゃん吼えたてる。

 必死の形相で逃げまどうチビっこと、鬼の形相でハンマーを掲げて追いかけ回すジャージの不審者。鬼ごっこで遊んでいる、ようには見えないかもしれない。


「ほら、もっと反応速く! 動きを予測して!」

「はう!」


 ぺひー。


「にゃぼー!」

「ちゃんとよけろ! つーかにゃぼーてなんだ!」

「うひー、ぎゃわーーーーーっ!」


 昨日の焼き肉会のあと、明智とファミレスで話したことを思い出した。新人の研修にもっと力を入れたほうがいいと。あれ、どっちが言ったんだっけ? まあいい、そんな話だった。


 初心者のギンチョを連れていくにあたり、そのへんすっかりブーメランだった。


 お客さんだから、ただの庇護者だから、せいぜいポーターだから。そう高をくくっていた。無配慮の甲斐性なしというか、浅層なら自分がそばにいればなんとかなるという自信過剰というか。そのせいで完全に準備が不足して、ギンチョを怖い目に遭わせることになった。


 プレイヤーになりたい、この子は千影が思うより強く、真剣に、そう思っているみたいだ。あのふがいない初体験を悔いているみたいだ。ならば、やることは一つ。


 というわけで、訓練実施。千影もやった、プレイヤーの基本中の基本。


 敵の攻撃から自分を守る術を学ぶ。身のこなしを憶える。度胸をつける。そのための最適メニュー。

 その名も、鬼ごっこ。


 広大な荒川河川敷、全域がフィールドだ。千影が追いかけ、ハンマーを振るう。ギンチョは逃げ、攻撃をかわす。ルールはそれだけだ。


「僕の動きをよく見ろ!」


 ぎゅんっと距離を縮め、ハンマーを振りかぶる。ギンチョはぎょっと反射的に身を縮め、手で頭を庇う。その上からぺこっとぶっ叩く。ぺひー。


「目をつぶるな! ちゃんとよけろって!」

「うぎゅー! めびゃー!」


 初心者だし子どもだからしかたないが、ビビったら動きがかたまる悪い癖。敵が千影で得物がオモチャであるうちに、それをとり除いておかなければ。


 レベル1だからオリンピック選手並みのスタミナはあるはずだが、その力の入れかたやブレーキのかけかたが身についていない。開始から三十分ほどで、早くもギンチョは仰向けに倒れ込み、ぜぴーぜぴーと動けなくなってしまう。よく見ると白目を剥いている。


「十分休憩。ほら、スポーツドリンク飲んで。トイレ行きたくなったら我慢しないで」


 教え子へのハラスメントとブラック教育を回避する、我ながら見事な心配り。


「お……おにーさん……」

「なに?」

「かお……かおも……くんれんですか……?」

「どういう意味?」

「ハンマーもって……おっかけてくるおにーさん……あのときの……トカゲかいじゅーとそっくり……」

「よし、十分経ったから始めるぞ」


 こまめに休憩をはさみ、午前中は鬼ごっこに終始する。千影としてはものすごい手加減をした上、動作をはっきりさせたり無駄な動きを加えていたものの、ギンチョの回避率は五発に一回といったところだ。

 まあ、それでも想定の範囲内だ。子どもだし、最初からそううまくやれる人なんて――


「……ああ、そういえば」


 ――すげーなあ、早川くん。その避けっぷり。マジゴキブリ並み。


 馬場の苦笑いが脳裏によみがえる。


 思えば千影を心から褒めてくれた人なんて、あの人以外にはいなかった。家族でさえそうではなかった。まあ、ゴキブリが適切な褒め言葉だったかどうかは置いておいて。


「……これだけがとりえで、生き延びてきたようなとこもあるよな……」

「……ほえ?」

「いや、なんでもない。そろそろメシにしよっか」


 レンチンしてきた大量のからあげは吸い込まれるようにギンチョの中に消え、おにぎりも二合ぶんくらいたいらげる。野菜は見事に九割以上残る。それも見越して野菜ジュースを無理やり飲ませる(なぜか白目を剥く)。


 イカメシのごとくぱんぱんになったギンチョの腹を見るに、すぐに再開したら公園を汚しまくることになりそうなので、ビニールシートを敷いてお昼寝タイム。


 まあ初日だから、と自分に言い聞かせ、彼女の隣に横になる。一分もしないうちに、千影もあっさり眠ってしまう。目が覚めると一時間以上経過している。


「あー、うー……」


 ぼんやりする頭をがしがし掻きむしり、軽くやっちまった感を覚える。ダンジョンの中で野宿することも珍しくないが、こんな風に屋外で無防備に眠りこけるなんて、プレイヤーになってからは初めてだ。


 まあ、ダンジョンだったらこんなことにはならないし、別に自分の持ち味(慎重さやチキンハート)を損なうほどのことでもない。誰かの隣で眠る、という人間らしいことができたことへの驚きはともかくとして。


 ぷーぷーと鼻を鳴らして熟睡するギンチョの寝顔を見る。苦笑しそうになる。同時に、この面倒に少しずつ慣れつつある自分に戸惑いを覚える。


 なんかいたたまれなくなって、その幸せそうな寝顔にハンマーを振り下ろす。「ぶにゃっ」、ぺひー。

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