3-8:ただのへこみチビっこのようだ
9/3:明智への電話報告のやりとりについて追記しました。
席を確保してテーブルに昼ごはんを並べるも、ギンチョのメンタルはもうぽっきぽきに折れてしまっている。サンドイッチもからあげもそれを修復するには至らず、食べ終えて一休みして、早くもダンジョンを出ることにする。
家に着いたのが午後三時すぎ。ギンチョはジャージを脱ぎ、シャワーを浴びると、自分の部屋(というか千影の寝室)にこもってしまう。少しして部屋を覗くと、ベッドでうつぶせになっている。ベッコベコでくったくたなのだろう。
「ギンチョ、夕飯なに食べたい?」
「…………」
返事がない。ただのへこみチビっこのようだ。
無理もないか。ポータルに戻ってからも大変だった。千影としてもそっちのほうがうんざりだった。
まずポータル一階に上がったところで、ダンジョン情報媒体の記者やマスコミまで待ち構えていた。マイクを向けられたのなんて初めてだったが、守衛や職員の人たちが制してくれなければどうなっていたことか。
なんとか無言のまま振りきって外に出ると、今度は反ダンジョン主義者たちの猛抗議を受けるはめになった。「そんな幼子を薄汚い危険地帯に連れ込んで、この人でなしが」「少女の未来を奪ったダンジョンを許すな」と。
かと思えば今度はダンジョン原理主義者――ダンジョンを神と崇めて信奉する宗教じみた集団がそこへ乱入し、「彼女こそダンジョンに選ばれた聖女だ」「人類の進化の道標だ」とわめきたて、両陣営による揉み合いに発展した。
ああいう大人たちの狂気じみた姿ほど、子どもにとって恐怖なものはない。もう泣きべそ状態のギンチョを抱っこして、タクシーを拾って逃げ帰った。自宅バレしないようにちょっと遠回りまでして、文冬につきまとわれるタレントのような気分も軽く味わうことができた。
明智に今日のことを電話で報告したところ、「マスコミへの対応についてはこちらでやっておく」とのことだった。「事件捜査中に保護したウイルス強制投与の被害者」とそこまで正直に話した上で、それ以上のプライバシーについては厳重に配慮を求める方向に持っていくシナリオだそうだ。
とはいえ、今のネット時代、果たしてどこまでそんなものが守られるだろう。考えるだけで気が重くなる。
引き戸をそっと閉め、居間にべろんと広がったままの寝袋に足を突っ込む。くすんだ天井を仰いで大きく息をつき、今日の反省をする。
収穫はフュエルオーブ一つと、エリア2で拾ったレアメタルのかけら数個、ボーンガールから獲ったギャル骨が数本。資源課に持ち込む余裕はなかったが、現金にして三万円いかないくらいだろう。
一日で五万円くらいいけばともくろんでいたので、徒労感は若干ある。あの〝白狼〟がロリコンのド変態だったという情報が一番有益だったかもしれない。思い返すとなんか夢が壊れたような気もするけど。
ともあれ、明日以降どうしよう。もう少し実入りがあれば急ぐ必要もないのに、このぶんだとそんなに悠長には構えていられない。エリア3でドロップしたシリンジをあの二人に渡してしまったのが悔やまれる……でも、必要な代償だったと思うしかない。あいつらが本当に黙っていてくれればの話だけど。
ギンチョは……やはりクリーチャーとの戦闘が最初の壁になってしまった。ちょっと申し訳ないくらいトラウマになってしまった。確かに最初は誰でもそうだし、ましてや九歳の女の子だ、無理もない。
職業としてプレイヤーを続けることを選ぶなら、そこから経験を積んで、怖さと弱さを克服していくしかない。生きていくために武装し、心をかため、再びクリーチャーに挑んでいく。
千影自身もそうだった。もう一度あいつと会うことだけを考えて、たった一人で血道を走ってきた。
やはり――そこにはどんな形であれ、ダンジョンに潜る動機と目的、それを果たすための意志が必要だ。飯を食うためでもいい、ロマンを追いかけるためでもいい、道楽でもいい。
ギンチョにはそれがあるのだろうか? 子どもじみた憧れだけだったのだろうか?
それならきっと、ここで終わりだ。
それでもいいかもしれない。無理強いなんて絶対にしたくないし、するつもりもないし。
ダンジョンに行ってみたい、と彼女は自分でそう望んだ。現実を目の当たりにして、クリーチャーの恐ろしさを知って、冒険の残酷さを味わって、それでもまたダンジョンに行きたいと思うだろうか?
ひとまず今日明日はゆっくりしよう。そして彼女の意思を確認しよう。もう行きたくないと言うなら、そのときは明智に相談するしかない。
ああ、そうだ。今日のことはメールで報告しておこう。自分はもう精いっぱいあの子のことを気にかけましたよー的に多少の脚色をつけて、ピンチとかトラブルとかそのへんは報告しない自由を振りかざして。
ああ、でもとりあえず眠い……朝早くに起こされたし……ちょっとだけzzz……――
ケータイのバイブ音で目を覚ます。窓の外は薄暗くなっている。起きて真っ先に嫌な予感がするのは、十中八九あの悪魔からだと思い当たったからだ。
――ところが、画面に表示されている名前はまったく予想外のものだった。慌てて電話に出ようとして、いやいやなにを話すのよ、なにかの間違いでしょ、とあたふたし、結局通話ボタンを押す。
耳に甘い声が流れ込んできて、はわわっと思考能力が低下する。よくわからないうちにはいはいと返事をしてしまい、一分足らずで通話は終わる。耳にくすぐったい甘痒さが残っていて、夢とか寝ぼけとかではないことを教えてくれる。
寝室の戸をノックし、一声かけてから開ける。ギンチョは起きていて、電気もつけずにベッドに座ってタブレットを見ている。
「ギンチョ、お腹減ったろ? 外に食べに行こう」
はう、とうなずくギンチョ。やはり元気が戻っていない気がする。
二人とも適当な外着に着替え、アパートを出る。
そして、日本一キテレツな夜の街、赤羽三番街へ――。




